※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

婦人服を軸に、雑貨の企画から製造、卸、小売までを一貫して手がける株式会社アサクラ。ECサイトや直営・フランチャイズ店舗、全国の百貨店への卸売りなど、多様な販売チャネルを駆使し、変化の激しいアパレル業界で確固たる地位を築いている。同社を一代で築き上げたのが、代表取締役社長の朝倉満氏だ。「服が好き」という純粋な情熱から独立の道を選び、幾多の困難を乗り越えてきた。自身の感覚の限界を悟ったことを機に、大胆な組織改革を断行した朝倉氏に、創業の経緯から独自の経営哲学、そして会社の未来像について話を聞いた。

服への情熱だけを武器に選んだ独立の道

ーー起業家の道を選んだ理由となる、ご自身の原体験があれば教えてください。

朝倉満:
自分にサラリーマンは到底務まらないだろうと、どこかで感じていました。実現できるかはさておき、組織に属するというよりは、何か自分の力で道を切り拓きたいという思いは、学生の頃から漠然と抱いていましたね。

ーー社会人としての第一歩は、どのような形で踏み出されたのですか。

朝倉満:
洋服が好きで、学生時代にアルバイトをしていた繊維商社に就職しました。当時は不況の最中でしたが、ご縁があって声をかけていただきました。

商社ではセールスアシスタントとして、大阪の船場のような繊維問屋街を駆け回り、素材の知識を徹底的に叩き込みました。しかし、次第に「素材」を売るだけでなく、服という「製品」を生み出す知識が不可欠だと痛感するようになったのです。

そこで、平日は商社マンとして働きながら、休日には洋裁学校に通い、縫製工場が稼働していない日にお願いしては見学させてもらうなど、現場でパターンや縫製の基礎を学びました。まさに、商社マンと服作りの見習いという「二足の草鞋」を履く毎日でしたね。この時の経験が、今の事業の礎になっています。

ーー独立を決意された決定的な理由は何だったのでしょうか。

朝倉満:
勤めていた会社は生地を主力としていたのに対し、私の中では婦人服を手がけたいという思いが日に日に強くなっていきました。会社に稟議書を提出し、婦人服事業の立ち上げを提案したのですが、残念ながら受け入れられることはありませんでした。それならば、自分自身で挑戦するしかない。資金のあてなど全くありませんでしたが、退路を断つ覚悟で独立を決意しました。

ゼロから事業を軌道に乗せた試行錯誤の日々

ーー創業当初、事業はどのようにスタートされたのでしょうか。

朝倉満:
当時はまだ感性が鋭く、翌年に流行する素材やデザインの大筋を掴むことができました。その感覚を信じ、まずはリスクを最小限に抑えるため、女性向けのボトムス、つまりパンツかスカートに絞って事業を始めました。

ーーゼロから事業を軌道に乗せるまで、どのようなご苦労がありましたか。

朝倉満:
何より自己資金がなかったので、創業当初は資金繰りに最も苦労しました。見本を作っては問屋に「売れる」という確信をもらい、その確信を得て初めて現金で生地を仕入れて工場を回る、という綱渡りのような日々の繰り返しでした。

その厳しい状況を支えてくれたのが、月に2回現金で製品を買い取ってくれた大手企業との出会いです。その入金を元手に次の仕入れを行い、わずかな資金をとにかく高速で回転させることで、なんとか事業を継続させました。そうして個人事業主として数年活動した後、1975年に株式会社アサクラを設立。社員を3名雇用して、ようやく会社としての体裁が整い始めたのです。

己の限界を認め、組織を変えた一大転換期

ーー経営者として、最も覚悟を要したご決断についてお聞かせください。

朝倉満:
自身の企画能力、つまり「感覚」に限界を感じた時です。ある婦人服店の店頭で在庫が完璧に揃った商品を見た際、それが売れ筋か売れ残りかを自身の「感覚」で判断できなくなっていることに気づきました。

店員に確認したところ、最も売れている商品だと分かり、自身の感覚が市場とズレてしまったことを痛感しました。在庫管理が死活問題となるアパレル業界においてこの感覚の喪失は致命的だと考え、現場の第一線から退くべき時だと悟りました。

ーーそのご決断から、どのように組織を変革していったのでしょうか。

朝倉満:
かねてより尊敬していたパナソニック創業者、松下幸之助氏の経営哲学に倣い、事業部制の導入を即決しました。自らは営業の最前線から退いて組織づくりに専念する一方、各事業部がターゲット設定から損益管理までを行う独立採算制を徹底したのです。

これにより、社員一人ひとりに経営者の視座と当事者意識が芽生え、会社全体の成長を力強く牽引する原動力となりました。

組織は生き物 社員の成長を育む経営哲学

ーー現在の事業内容について、改めてお聞かせください。

朝倉満:
婦人服全般と、バッグや靴などの婦人雑貨が主力です。販売チャネルは、自社ECサイト、直営店およびフランチャイズ店、そして全国の百貨店などへの卸売りが中心で、現在も売り上げの半分以上は卸事業が占めています。

さらに、アパレル事業とは別に、2007年より不動産管理会社「株式会社ARM」を設立しました。アパレル業界は浮き沈みが激しく、常に安定しているとは限りません。会社がどんな荒波に揉まれても決して揺らぐことのないよう、盤石な財務基盤を築く必要があると考え設立に至り、少しずつ収益物件を買い進めてきたのです。これも、社員の生活と未来を守るための、私に課せられた仕事だと思っています。

ーー今後の事業展開や商品開発については、どのようにお考えですか。

朝倉満:
正直なところ、もはや私の頭で将来の商品展開を考える時代ではないのです。今はすべて各事業部の責任者に一任しています。私の役割は、新たな商品を考えることではなく、社員が挑戦し続けられる「組織のあり方」をデザインすることにあります。

ーー経営者として大切にしていることや信念はございますでしょうか。

朝倉満:
時代に合わせて組織も常に変化し続けなければ、いずれ澱み、腐敗してしまいます。会社は社員のために存在し、社員が働きやすい環境を創出することこそが、経営者である私の最も重要な責務です。創業以来の信念として私の会社には身内を一人も入れていません。これは、社員が誰の顔色をうかがうこともなく、実力で正当に評価され、のびのびと働ける環境を守るためです。社員第一を貫いてきたからこそ、多くの社員が長く会社に残ってくれているのだと思っています。

安定と挑戦を両立させるアサクラの未来像

ーー貴社ではどのような社員が活躍されていますか。

朝倉満:
社員の平均年齢は若く、活気に満ちています。採用は各事業部が責任を持って行っており、新卒・中途を問わず、ほとんどが未経験でこの業界に飛び込んできます。20代の社員が事業の中核を担っている部署も少なくありません。

ーー最後に、この記事を読む読者へメッセージをお願いします。

朝倉満:
何か格好の良い言葉を伝えられるわけではありません。ただ、私は創業から今日まで、常に社員のことだけを考えて会社を経営してきました。身内を入れず、社員が主役となって働きやすい環境を追求してきた自負はあります。弊社は、意欲さえあれば未経験からでも大きく飛躍できる職場です。アパレルという仕事に夢や情熱を抱いている方にとって、挑戦し、成長できる環境がここにあることだけは、確かです。

編集後記

「自分の感覚の限界を知った」。朝倉氏は、自身のキャリアにおける転換点をそう語った。多くの経営者が固執しがちな自らの成功体験に潔く見切りをつけ、次世代に権限を委譲する。その決断力が、社員の自主性を育む「事業部制」という強固な組織文化を醸成したのだろう。朝倉氏の経営哲学は、変化の時代を生きる全てのビジネスパーソンにとって、大きな示唆を与えてくれるに違いない。

朝倉満/1935年11月10日、満州国大連市に生まれる。1959年、関西大学商学部を卒業。同年に日菓商業株式会社へ入社。1970年、株式会社アサクラ創業設立。2005年、株式会社ARM設立。現在に至る。