※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

大阪・心斎橋のランドマークとして40年以上の長きにわたり人々を魅了し続ける、株式会社ホテル日航大阪。その舵を取るのは、ホテルマン一筋のキャリアを歩み、一度は離れた「古巣」へ“最後の奉公”の思いを胸に戻ってきた代表取締役社長の呉服弘晶氏だ。スタッフ第一の経営で過去最高益を更新し続ける氏に、仕事も人生も謳歌する哲学と、老舗ホテルを未来へつなぐ挑戦についてうかがった。

ホテルマンは天職、人生を懸けた仕事との出会い

ーー呉服社長がホテル業界を目指されたきっかけを教えてください。

呉服弘晶:
大学時代に1年間休学してロンドンで暮らした経験があります。ヨーロッパ各地を旅する中で、航空会社やホテルの洗練されたサービスに触れ、その素晴らしさに心を打たれたものです。もともと人と接することが好きだったこともあり、「私の進む道はサービス業しかない」と、その時、固く心に決めました。

中でもホテルを選んだのは、世界中からいらっしゃる多様なお客様一人ひとりの笑顔を引き出すことに、何者にも代えがたい喜びと生きがいを感じたからです。他の選択肢は考えられませんでしたし、今でもホテルマンは私の天職だと確信しています。

ーー社会人としての第一歩は、どのようなスタートだったのでしょうか。

呉服弘晶:
大学卒業後、電鉄系ホテルに入社しました。そこで3年間勤務した後、このホテル日航大阪が開業することを知り、転職を決意したのです。

当時から大切にしているのは、何よりもまず「笑顔」、そして「仕事を楽しむ心」です。人生で最も長い時間を過ごすのが仕事なのですから、そこを楽しまずして人生は楽しめません。時には嫌なことや、苦手な上司、同僚もいるでしょう。しかし、それすらも「楽しい」「勉強になる」と捉える。何事も楽しもうとする姿勢が、すべてを好転させる力になると信じています。

育ててくれた古巣への帰還、愛するホテル日航大阪への最後の奉公

ーーホテル日航大阪の開業当時の様子をお聞かせください。

呉服弘晶:
航空会社系のホテルは当時ここが初めてで、“JALの白いホテル”とも呼ばれていました。今なお斬新なこの建物は、当時からこのエリアのランドマークであり、ここで働けることに大きなプライドを感じていましたね。

開業当時は、とにかくがむしゃらでした。開業日、フロントでチェックイン業務にあたっていたのですが、次から次へといらっしゃるお客様で、目が回るほどの忙しさでした。ホテルでは日々、多様な人生の物語が生まれます。その縮図ともいえるこの場所は、平坦ではないからこそ面白く、「この仕事は生涯やめられない」と実感しました。

ーーその後は、どういったキャリアを歩まれてきたのですか。

呉服弘晶:
ホテル日航大阪で経験を積んだ後、ホテル日航奈良、ホテル日航金沢で総支配人を務めました。とはいえ、私が特別に秀でていたわけではありません。ただ、誰よりも真面目に、そして心から仕事を楽しんでいた自信はあります。会社へ行くのが嫌だと思ったことは、一度たりともありません。

ホテル日航奈良では、当時の天皇皇后両陛下の行幸啓(ぎょうこうけい)をお迎えするという、ホテルマンとしてこれ以上ない栄誉にも恵まれました。

その後、金沢で実り多い数年間を過ごし、60歳を過ぎた頃には、正直なところ私のキャリアも終わりかと考えていました。そこへ「ホテル日航大阪の社長をやってみないか」というお話が舞い込んだのです。まさに運命を感じ、「行きます」と即答しました。ここは私をホテルマンとして育ててくれた場所。その大恩に報いるため、“最後の奉公をしなくては”と、強く心に誓いました。

企業は人なり スタッフの笑顔が最高のサービスを創出する

ーー総支配人として戻られ、まず何から着手されたのでしょうか。

呉服弘晶:
ホテルに戻ると、顔なじみのスタッフたちが本当に温かく迎えてくれました。その声を聞き、「彼らのために全力を尽くそう」と、改めて決意しました。スタッフが元気で、楽しく、心からの笑顔で仕事ができる環境をつくることこそが、私の最大の使命です。その思いから、給与体系の見直しや過去最高額のボーナス支給などを実現しました。スタッフの頑張りが数字として実を結び、それを彼らに還元することで、さらに良い循環が生まれるのです。

ーー貴社の強みや特徴はどこにあるとお考えですか。

呉服弘晶:
第一に、大阪市内でも随一の立地の良さです。これが高い客室稼働率を支えています。しかしそれ以上に、スタッフ一人ひとりが提供する心からのサービスと、43年の歴史で培ってきた“老舗”としての信頼が我々の財産です。スタッフはこのホテルにプライドを持って働いており、その誇りがお客様を歓迎する真心の姿勢として表れているのだと自負しています。

ーー社員の皆様と共有されている価値観や、人材育成で大切にしていることは何でしょうか。

呉服弘晶:
ホテルチェーン全体で「Origin8(オリジンエイト)」という8つの行動指針を掲げており、これが私たちのサービスの礎となっています。その上で、常に一歩踏み込んでお客様の心を先読みするサービスを心がけるよう指導していますね。

ーー仕事をする上で大切にされているモットーを教えてください。

呉服弘晶:
私自身がリーダーとして、一人のホテルマンとして最も大切にしている信条は、“人生、楽しんだもん勝ち”、これに尽きます。トップの私がしかめっ面をしていては、スタッフもお客様も笑顔にはなれません。会社が内側から元気でなければ、心からのサービスは決して伝わらないのです。みんなの力で会社が成果を上げ、その結果として私は給料をいただいているのですから、誰よりも働き、みんなを大事にするのは当然の責任です。

未来へつなぐ飽くなき挑戦、圧倒的No.1を目指して

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。

呉服弘晶:
この地域でナンバーワンであり続けるためには、ホテル自身も進化し続けなければなりません。現在、全館改装を視野に入れたプロジェクトチームで検討を重ねています。たとえば、客室数を減らしてでも一つひとつの部屋を広くし、より高い顧客満足を追求するなど、競争力をさらに高める計画です。未来の社員たちのために、私たちが今、その道筋をつける責任があります。

現状に甘んじることなく、良いときにこそ先を見据えて手を打つ。悪くなってからでは手遅れですから。大阪・関西万博後のIR(統合型リゾート)開業が見込まれる2030年頃を目途に大改装を実現し、圧倒的なナンバーワンホテルとして次の時代に備えたいと考えています。

ーーサービスの質を高めるために、他にはどのような取り組みをされていますか。

呉服弘晶:
新しい顧客層を取り込む努力も欠かせません。宿泊部門のスタッフには、海外の超高級ホテルへ赴き、世界最高峰のサービスをその身で体験する機会を設けたいと思っています。サービスに上限はありません。世界中から良いものを学び、私たちのサービスを進化させ続けることで、より高い価値をお客様に提供できると考えています。

ーー最後に、読者へメッセージをお願いします。

呉服弘晶:
「みんな、楽しくやろうよ」。本当に、この一言に尽きます。自分が楽しもうと思わなければ、物事は決して楽しくなりません。私は毎日、スタッフみんなの顔を見て元気をもらいたい。そう思って会社へ行くのが、今でも一番の楽しみなのです。

編集後記

取材を通して一貫していたのは、呉服社長の「仕事を楽しむ」という揺るぎない哲学だ。そのポジティブなエネルギーがスタッフの笑顔と主体性を引き出し、ホテル全体の温かい雰囲気と高いサービス品質を醸成していることは想像に難くない。実績に甘んじず、未来への投資を決断する姿からは、ホテルへの深い愛情と次世代への責任感が強くうかがえた。同社の挑戦は、これからも多くの人々に最高の体験を届け続けるだろう。

呉服弘晶/1955年生まれ。1979年龍谷大学経済学部卒業。1982年株式会社ホテル日航大阪入社。宿泊部、マーケティング部で経験を積み、2007年ホテル日航奈良 総支配人、2011年ホテル日航金沢 総支配人に就任。2018年6月よりホテル日航大阪 総支配人を務める。株式会社オークラ ニッコー ホテルマネジメント 常務執行役員を兼務。