※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

採用コンサルティングを核に、中小企業の成長支援を手がける株式会社ジーエスホールディングス。同社は、自らを“採用と定着の実験センター”と位置づけ、現場での徹底した実践から得た知見で、これまで累計2,100社以上の企業課題を解決してきた。

代表取締役の河野一平氏は、大島紬の職人を父に持ち、学歴社会とは無縁の環境で育った。高校を1年で中退し、10代から社会の荒波に揉まれ、22歳で兄と起業。その壮絶な経験から“顧客への徹底貢献”という哲学を築き上げた。「日本の労働者幸福度を世界一にする」という大きな目標を掲げる同氏に、その軌跡と今後の展望をうかがった。

「かっこいい大人」は皆、中卒の社長だった。起業に至る原体験

ーーまず、社長の原点についてお聞かせください。

河野一平:
私の実家は大島紬の加工業を営んでおり、父は大島紬の染色職人です。日本一の賞を何度も取るような、まさに“本物”の職人でした。父の仕事仲間も、その多くが中学を卒業してすぐに独立した社長たち。彼らは事業で成功しているだけでなく、困っている人がいれば見返りを求めずに助ける、そんな情に厚い人たちでした。私にとっての“かっこいい大人”とは、学歴や肩書ではなく、まさに彼らのような生き方そのものでした。

ーーそこから、どのようにご自身の仕事人生をスタートされたのですか。

河野一平:
周囲の大人たちの影響で、「自分の金は自分で稼ぐもの」という思いが強く、高校には1年通ったものの、働くことへの意欲が勝り中退しました。鳶職などを経験した後、17歳のときに兄を頼って愛知県へ。そこで就職した多角経営の会社で、私を息子のようにかわいがってくれる社長に出会いました。新店舗の立ち上げや店長業務など、10代にしてあらゆるミッションを与えてもらい、経営の面白さと厳しさを叩き込まれました。この経験が、私のキャリアの土台です。

顧客貢献を貫き掴んだ“請負”という天職

ーー20代からは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

河野一平:
20代のはじめは貨物運送会社で働いており、その社長から独立を後押ししていただく形で、私が22歳、兄が24歳のときにドライバー派遣の会社「TGVサービス」を立ち上げました。最初に大手物流企業からお仕事をいただきましたが、現場では「所詮、派遣だろ」と見下され、まともに仕事を教えてもらえない、悔しさで唇を噛む毎日でした。

ーーその厳しい状況を、どのように乗り越えられたのでしょうか。

河野一平:
そこで私たちは、「喧嘩ではなく、ビジネスで勝つ」と心に決めました。まずお客様に、“良いドライバー”と“嫌なドライバー”の条件を徹底的にヒアリングする。そして、誰よりも早く出勤して全車両を洗車し、待機時間にはドライバー全員でお客様の倉庫の草むしりをする。とにかく、頼まれてもいないことで貢献することに尽力しました。その姿勢が評価され徐々に信頼を得ましたが、お客様1社に依存していたため、契約終了と同時に売上がゼロになるという、本当のどん底も味わいました。

ーー売上ゼロのどん底から、どう再起されたのですか。

河野一平:
知人が繋いでくれたドライアイス配送の仕事から再起し、そこでも付加価値の提供を続けることで、大手企業との取引へと繋がっていきました。大きな転機は、ある物流センターの運営を丸ごと任せていただいたことです。これを機に、事業は“派遣”から“請負”へと進化しました。請負は、自分たちの工夫で業務を効率化すれば、それが利益になるモデルです。私たちは改善活動に没頭し、最終的にそのセンターの誤出荷をゼロにまで減らし、品質で評価をいただくことができたのです。

課題解決の本質を追求しコンサル、そして採用支援事業へ

ーーなぜ、そこからコンサルティング事業を始められたのですか。

河野一平:
物流センターでの成功が評判を呼び、「うちの会社も手伝ってほしい」という依頼が舞い込むようになったのがきっかけです。赤字や人材不足に悩む企業の現場に入り込み、私たちが培った改善ノウハウを提供する、自然な流れで、物流コンサルタントとしての活動が始まりました。

ーー新たな事業はすぐに軌道に乗りましたか?

河野一平:
はい。コンサルティングを行う中で、どの企業からも「とにかくドライバーが足りない」という切実な声を聞きました。そこで、自ら人材を集める手法を確立しようと、2016年頃から当時流行し始めていた求人検索エンジン「Indeed」を徹底的に研究し、採用ウェブマーケティングを始めたのです。

これが成功し、面白いように人が集まるようになりました。周囲から「なぜそんなに人が集まるのか」と問われるほどでした。そこで採用セミナーを開催したところ、7ヶ月で100社と契約するほど反響があったのです。そこで初めて、日本中の中小企業が「人」の問題で、これほど深く悩んでいるのだと痛感しました。

“実践者”だからこそ提供できる価値と顧客本位を貫く経営

ーー事業で最も大切にしていることは何ですか。

河野一平:
私たちが最も大切にしているのは、「絶対に嘘をつかない」ということです。私たちは、安全な場所から批評する評論家ではありません。お客様と同じ現場に立ち、試行錯誤の汗と涙を流してきた「実践者」です。

だからこそ、常にお客様の目線で「自分ならどうするか」を考え抜き、机上の空論ではない、本当に価値のあるご提案だけをさせていただく。それが、私たちの揺るぎない信条です。

ーーそのポリシーを支える仕組みを教えてください。

河野一平:
弊社には、営業ノルマもインセンティブも一切ありません。その代わり、お客様の採用が成功したり、新たなお客様をご紹介いただいたりした際にインセンティブを支給する、いわば“顧客貢献インセンティブ”を導入しています。この仕組みがあるからこそ、社員は目先の利益にとらわれず、真の顧客貢献に集中できるのです。その結果、現在の新規顧客は100%紹介経由です。テレアポや飛び込み営業は一切行っていません。

1万社の挑戦が拓く労働者幸福度世界一の未来

ーー今後の事業展開について、どのようにお考えでしょうか。

河野一平:
現在の採用・定着支援に加え、中小企業のDXを支援する「中小企業DX部」の設立や、後継者不足に悩む企業のM&A、AIシステムの開発などを計画しています。私たちのミッションは「日本の労働者幸福度を世界ナンバーワンにする」こと。私たちが1万社の会社を良くできれば、その影響は10万社に広がり、やがて日本全体が変わると本気で信じています。

ーー壮大な目標達成に向けた組織づくりについてお教え願います。

河野一平:
私は「良い上司を新卒に与えるのが、最大の福利厚生だ」と考えています。スキルと経験のある優秀な幹部を採用し、その下で未経験の若手を育てる組織構成を重視しています。そして、私個人としては、兄と始めた「TGVサービス」で掲げた、7人の社長を育てる「セブン(7)スタープロジェクト」を継続し、今後も20人程度の社長を育てていきたいです。利他の精神を持ち、顧客貢献に熱中できる人が正当に評価され、成功できる。そんな会社を増やしていくことが、社会全体を良くすることに繋がると信じています。

編集後記

大島紬の職人の家に生まれ、反骨精神と人情味あふれる環境で育った河野氏。その原体験は、学歴や肩書ではなく“顧客のために何ができるか”を問い続ける、一貫した事業哲学へと昇華されている。売上ゼロのどん底から、現場での徹底した改善と顧客貢献で這い上がってきた軌跡は、特筆に値する。単なる自社の成長に留まらず、“日本の労働者幸福度を世界一にする”という壮大なビジョンに向け、同氏の率いるジーエスホールディングスが社会にどのような変革をもたらすのか、今後の展開が注目される。

河野一平/1975年鹿児島県生まれ。1998年に兄弟で物流会社TGVサービスを創業し、物流改善コンサルタントとしても活動。2016年にドライバンクを設立し、2年で600名超の応募を獲得。2019年にジーエスコンサルティング(現:ジーエスホールディングス)を創業し、6年で累計顧客2200社・定着率95%超を達成。企業の採用担当のように深く関与し、中小・大企業から信頼を得ている。