
兵庫県姫路市に本社を構え、家具の共同配送を軸に全国的な物流ネットワークを構築するカンリクグループ。ドライバーが働きやすい環境づくりと業界イメージの刷新に力を注ぎ、年商52億円、従業員310名を擁する企業へと成長を遂げた。その舵取りを担うのが、三菱電機の設計者という異業種から物流の世界に飛び込んだCEOの井田正勝氏だ。畑違いだからこそ見えた業界の課題と、赤字経営からの脱却、そして「ドライバーが主役」という信念を貫く経営の軌跡に迫る。
設計者から経営者へ 未経験からの船出
ーー起業された経緯をお聞かせください。
井田正勝:
以前は三菱電機で設計の仕事をしており、在職中に結婚しました。その妻の父、つまり義父が運送会社の経営者でした。
その後、義父が体調を崩したのを機に後継者問題が浮上します。しかし、義父は兄弟で運営していた会社から独立した経緯があったため、私がそのまま後を継ぐことはできませんでした。そこで義父から「私がフォローするから、自分で会社を興したらどうか」と勧められ、1992年に会社を立ち上げました。
ーー創業当初、どのようなことに苦労されましたか。
井田正勝:
サラリーマンからいきなり起業したので、最初は請求書の書き方にも戸惑っていました。年上のドライバーたちはなかなか言うことを聞いてくれず、信頼を得るために自らトラックに乗って仕事をすることも頻繁にありました。特に最初の4、5年は赤字続きで本当に悩みました。
下請け構造から抜け出すための一大決心
ーーどのようにして赤字経営から脱却されたのでしょうか。
井田正勝:
「下請けを続けていては駄目だ」と痛感し、自分で価格決定権を持てるように荷主との直接交渉に努めました。また、「共同配送」を開始しました。複数の荷主様の荷物を一台のトラックに積み合わせて運ぶことで、一台あたりの売上を向上させ、利益を確保するモデルへの転換を図ったのです。とにかく、「この事業を軌道に乗せなければ」と強く思いました。
しかし、「共同配送」を請け負うには荷物を一時保管する倉庫が不可欠でした。そこで、創業6年目の1998年頃、初めて倉庫を建てるという大きな設備投資を決断しました。義父からは「借金までしてやることではない」と反対されましたが、「制限をかけられるなら社長を辞めます」と伝え、覚悟を持って推し進めたのです。このときから、少しずつ経営が上向いていきました。
輸送から設置までを担う一貫体制という強み
ーー会社の成長を後押ししたターニングポイントはありましたか。
井田正勝:
中でも大きかったのは2003年に始めた「家具の全国共同配送」です。これも当初は全く儲かりませんでした。しかし、続けていくうちにお客様が増え、弊社の主力事業へと成長しました。弊社が大型車での長距離輸送と、2名1組で行うツーマンデリバリー(※)の両方を手がけていたことが、お客様のニーズに合致したのだと思います。
(※)ツーマンデリバリー:作業員2名で配送し、家具などの開梱、組み立て、設置から梱包材の回収まで行う配送サービス。
ーー具体的にはどのような点が評価されたのでしょうか。
井田正勝:
工場での商品ピックアップから個人宅への配送までを一貫して請け負える点です。長距離輸送とエリア配送を両方できる会社は当時は少なく、荷物に何かあった際の責任の所在が不明確になりがちでした。弊社がすべてを担うことで、お客様は安心して任せられる。リスクを背負うのは大変ですが、これが最大の強みとなり、信頼獲得につながりました。
旧来の業界イメージを刷新する未来への投資
ーー経営において最も大切にされている考え方は何ですか。
井田正勝:
「人が宝であり、ドライバーこそが会社の品質であり、商品そのものである」という考え方です。そのため、常に現場目線であることを何よりも重視しています。今でも毎年、トラックの助手席に乗って現場を回り、各ドライバーと直接対話する機会を設けています。社員が最高の仕事ができるよう後方支援するのが、私たちの役目です。
ーー経営理念についてお聞かせください。
井田正勝:
弊社の経営理念は、「己を捨て、お客様第一主義でいこう」です。しかし、お客様の言うことなら何でも聞くという意味ではありません。私たちは物流のプロとして、安全や法令を無視したご依頼には「できません」と明確に伝えることも、真の「お客様第一主義」だと考えています。プロとしての責任を果たすことで、お客様との長期的な信頼関係を築いています。
100年企業を目指す成長プロジェクトの始動
ーー業界のイメージを変えるため、どのようなことに取り組まれていますか。
井田正勝:
旧来の「プレハブの事務所に砂利の駐車場」というイメージでは、若い人材は集まりません。本社を建てた際、「運送会社っぽくない」と言われましたが、これこそが未来の運送会社の姿だと確信しています。
また、トラックはドライバーのプライドの象徴です。だからこそ、特に頑張っている社員には新車を用意し、本人の希望も取り入れて少しだけカスタマイズした、格好良いトラックで仕事に臨んでもらいます。また、自動車整備や保険代理店、さらには保育園や障害者施設の運営までグループ内で行い、社員が安心して長く働ける環境を整備しています。
社員が「この会社で働いている」と胸を張って言える。子どもが「お父さんの職業は物流業だ」と誇りに思える。そんな業界にしたいと思っています。
100年企業を目指して。生涯働ける組織と未来への挑戦

ーー会社の将来像について、どのようにお考えですか。
井田正勝:
社員が、本人の望む限り生涯働き続けられる組織をつくり上げていきたいと考えています。
かつてこの業界には長く勤めにくいというイメージもありましたが、私は全く逆の考えです。長く勤めてくれる人こそ会社の財産であり、お客様の信頼の礎となります。そのため、たとえばトラックを降りた後も、フォークリフトの運転など他の職種で活躍し続けられる環境を整えていきます。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
井田正勝:
私たちは今、100年企業、100億円企業を目指す「ドリーム100プロジェクト」を推進しています。100億円という数字は、単なる売上目標ではありません。それは、社員とその家族が将来にわたって安心できる経営基盤を確立するためのものです。そして、業界のイメージを変えるための投資を続ける原動力でもあります。この目標に向かい、皆で挑戦を続けていきます。
編集後記
「ドライバーが商品であり、会社の品質そのもの」。井田氏の言葉には、異業種から参入し、現場の最前線で苦闘してきたからこその実感がこもっている。その哲学は、モダンな本社や社員の人生に寄り添う制度整備に見てとれる。運送業の枠を超え、働く人が誇りを持てる業界の未来を切り拓こうとする同社の挑戦は、物流業界全体を照らす光となるだろう。

井田正勝/1964年、兵庫県生まれ。兵庫県立姫路工業高等学校を卒業後、三菱電機株式会社に入社。製造業の現場で経験を積んだ後、1990年に退職し、運送業界へ転じる。1992年に関西陸運株式会社を設立し、代表取締役に就任。以後、安全と信頼を基盤に事業を拡大し、現在は運送業に加え、飲食業や介護福祉業など多岐にわたる業種を展開するグループの経営を統括している。