※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

兵庫県丹波篠山市に拠点を置き、ギフト事業から葬祭、EC、ふるさと納税支援、さらには自社ブランド商品の開発・卸売まで、多角的な事業を展開するキクヤ株式会社。創業家に生まれ、予期せぬ中国留学という経歴を持つ代表取締役の遠山雅治氏。先代のワンマン経営から脱却し、「社員が主役の会社」への組織改革を推進した。逆境すらもチャンスと捉える揺るぎないプラス思考を原動力に、会社の急成長を牽引する同氏に、その事業戦略と経営哲学について聞いた。

予期せぬ留学と逆境で得た経営の原点

ーーどのような経緯で、家業を継がれることを決意したのでしょうか。

遠山雅治:
兄妹の中で男は私一人でしたので、物心ついた頃には家業を継ぐことを意識しておりました。ただ、大学受験で志望校に合格できず、進学先がなくなってしまったのです。そこで父から、入社条件として中国にある電子機器メーカーで働くよう命じられました。

ーー中国での経験は、現在の社長を形作る上でどのような糧となりましたか。

遠山雅治:
「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という父の考えを、まさに体現したような環境でした。現地では納期・価格・品質のすべてが厳しく問われる中、PCスキルから礼儀作法まで、ビジネスの基礎を徹底的に叩き込まれたのです。あの経験がなければ今の私はない。まさに、私の人生の礎となる時間でした。

ーー厳しい環境を乗り越える上で、支えとなったものは何だったのでしょうか。

遠山雅治:
幼い頃から父に「物事はポジティブに捉えろ」と教えられており、その影響が大きかったですね。物事を悪く捉えるか、良く捉えるかは自分次第です。父の教えから、何か困難なことが起きても「試練」ではなく「チャンス」と捉える習慣が、昔から身についているのです。

多角化を推進する事業の柱とその強み

ーー貴社の事業内容ついてお聞かせいただけますか。

遠山雅治:
長年続けてまいりましたギフト事業と葬祭事業を会社の基盤としながら、時代の変化に合わせて事業を広げてまいりました。現在では、それに加えてEC、法人(卸売・商品開発)、ふるさと納税という3つの事業が新たな柱となり、合計5つの事業で会社を運営しています。

中でもEC事業は売上の4割を占めるまでに成長し、全国を市場に価格優位性を確立しています。また、基盤事業である葬祭事業では、専業ではないからこその柔軟な視点で、お客様本位のサービスを追求できる点が我々の強みです。

ーー新しい事業は、どのようなきっかけや思いから始められたのでしょうか。

遠山雅治:
やはり、地元への貢献は常に意識していますね。ふるさと納税事業は、まさにECで培ったノウハウを地域に還元したいという思いから始まりました。自社開発の菓子ブランド「つばめと風」も、地域の特産品である黒豆を通じて丹波の魅力を発信したい、という考えが原点です。

このブランドにはもう一つ、より切実な背景があります。丹波の特産品である黒豆は、実は天候や人手不足によって年々生産量が不安定になっているのです。私たちはそうしたコントロールできない要因に左右されるのではなく、自分たちで販路を開拓できる土産物市場で、丹波の魅力を伝える商品を育てたいと考えました。市の鳥である「ツバメ」が巣に帰るように、このお菓子をきっかけに多くの人が丹波篠山へ帰ってきてほしい。そんな願いをブランド名に込めています。

そして今、この「つばめと風」を、次のステージへと引き上げる段階に来ています。目指すのは、北海道の「白い恋人」のように、誰もが知る丹波篠山の代表的なお土産ブランドです。そのために、「つばめと風のブールドネージュ」「つばめと風のバームクーヘン」といった形で商品をシリーズ化していきます。まず、その第一歩として、2025年10月には城下町に直営店をオープン予定です。将来的には、海外展開も視野に入れています。ありがたいことに台湾からすでにお話をいただいており、世界中の方々に丹波篠山を知っていただくきっかけとなるよう、準備を進めています。

「社員が主役の会社」へ ワンマン経営からの脱却

ーー社長就任後は、どのような組織改革を行いましたか。

遠山雅治:
先代は、いわゆる「超ワンマン」でしたので、まずはピリピリしていた労働環境を「緩める」ことから始めました。就任当時は年間90日だった休日を毎年少しずつ増やし、有給休暇の取得も推進しています。また、社員が意見を言いやすい風土を作るため、外部コンサルタントの力も借りながら、誰もが自由に発言できる会議の仕組みを整えてきました。

ーー改革を進める上で、大切にされていることはございますか。

遠山雅治:
社員一人ひとりが正当に評価され、個性を発揮できる環境こそが、働く意欲につながると考えています。たとえば、葬祭部門ではこれまで厳しかった服務規程を、若い社員たちの声に応える形で一部緩和しました。もちろん、お客様からの信頼が第一という条件付きですが、少しずつ自由な環境を整えています。

また、会社の成果は社員全員の努力の賜物です。ですから、「顧客感動の追求」という理念のもと、お客様に喜んでいただいた結果として得られた利益は、決算賞与として公正に社員へ還元する仕組みも整えています。

次の10年を見据えて 事業規模3倍への挑戦

ーー社長に就任されてからの日々は、ご自身にとってどのような時間でしたでしょうか。

遠山雅治:
就任当初の10年間は、若さゆえの未熟さから、自分の理想ばかりを追い求めていたように思います。自分の「正しさ」を信じるあまり、周囲と衝突し、孤独を感じることも少なくありませんでした。今思えば、経営の楽しさよりも、むしろ“産みの苦しみ”を感じていた時間だったのかもしれません。

ーーその“産みの苦しみ”を経て、現在はどのような未来を描いていらっしゃいますか。

遠山雅治:
経営者として次の10年、つまり50歳になるまでの一区切りを見据えています。この8年間で事業規模を現在の3倍にまで成長させ、会社を盤石な状態にした上で、次の世代へバトンを渡す。それが今の私の最大の目標です。現状維持は後退と同じ。常に高みを目指し、挑戦し続けたいと考えています。

ーー最後に、ご自身の「経営の軸」ともいえる哲学をお聞かせいただけますか。

遠山雅治:
変えられない他人のことや外部環境のことで、心を悩ませても意味がない。コントロールできるのは、いつだって自分自身の捉え方と行動だけ。若い頃は、この当たり前の事実に気づけませんでした。しかし、物事をどう捉えるか、その選択権はすべて自分にあると腑に落ちてから、経営者として、一人の人間として、ずいぶんと楽になりました。この考えを羅針盤として、これからも挑戦を続けてまいります。

編集後記

「物事を悪く捉えるか、良く捉えるかは自分次第」。取材中、遠山社長が語ったこの言葉は、彼の経営者としての歩みそのものを表している。予期せぬ留学、ワンマン経営からの組織改革という幾多の逆境は、彼にとってすべてが成長の「チャンス」であり、それらを乗り越えることで道を切り拓いてきた。その揺るぎない精神力は、多角的な事業を成功へと導く原動力となっている。伝統的な家業を、社員一人ひとりが主役となる現代的な企業へと進化させながら、丹波篠山という地域に深く根差し、全国を見据える。その視線の先にある「事業規模3倍」という未来が、今から楽しみでならない。

遠山雅治/1983年、兵庫県丹波篠山市生まれ。20歳で単身中国に渡り留学。現地で電子機器メーカーの購買部に従事し3年後に帰国。父が経営するキクヤ株式会社に入社し、葬祭業、ギフト店舗運営、ECショップなど実績を出し、30歳にて事業承継し社長就任。M&Aや社員研修、WEBサイトを拡充し事業拡大。葬祭ディレクター1級、日本贈答文化協会認定、贈答アドバイザー、(一社)丹波篠山青年会議所第51代理事長も務める。