
手回しドライバー製造から歴史をスタートさせた株式会社ベッセル。同社は、独創的な製品開発力と積極的なM&A戦略で成長を続ける作業工具メーカーである。その4代目として2023年に就任したのが、代表取締役社長の田口雄一氏だ。幼少期から「社長になる宿命」を背負い、その道をひた走ってきた。しかし、その歩みは順風満帆ではなかった。外部での武者修行で味わった悔しさや、タイの子会社で直面した痛恨の失敗。それらの挫折こそが、同氏の経営哲学の礎となっている。壮大な目標として「売上日本一」を掲げる一方、「会社の一番の資産は人」と断言。「誰も辞めない会社」づくりに心血を注ぐ。その固い決意の背景にある物語と、同社の未来を切り拓く戦略に迫る。
「社長になる」幼少期から始まった経営者への道
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。
田口雄一:
物心ついたときから祖父に「お前がベッセルの社長になるんや」と繰り返し言われて育ちました。私自身、その言葉を素直に受け止めていたのです。小学2年生の時の学校の作文では、周りが考古学者や獣医といった夢を語る中で、私は「ベッセルの社長」と書きました。そのことを母から聞いた祖父や父が、本当に嬉しそうな表情で喜んでくれた光景は、今でも鮮明に覚えています。
高校時代は水泳に熱中し、インターハイに出場するなどオリンピックを目指していた時期もありました。しかし「オリンピックに出た後、ベッセルの社長になればいい」と考えており、経営者になるという人生の軸がぶれたことは一度もありません。
高校2、3年生の頃には、カルロス・ゴーン氏や堀江貴文氏などのビジネス書を読み漁りました。さらに簿記2級を取得するなど、自分なりに社長になるために必要な準備を進めていました。父との会話も、ごく一般的な親子の雑談というよりは、「将来会社をどうすべきか」といった話が中心でした。
大学卒業後はすぐに家業へ入らず、弊社の取引先でもあるトラスコ中山株式会社に3年間お世話になることにしました。入社して最初の1年間は物流センターで実務経験を積みました。後半の2年間は東京の営業所で、営業事務と外回りの営業職を経験。お客様と直接向き合い、ビジネスの最前線に立つのはこのときが初めての経験です。
ーートラスコ中山時代、特に印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
田口雄一:
私は昔からとにかく負けず嫌いです。営業として働き始めた頃、あるお客様を引き継いだのですが、その方から「前の担当者のほうが良かった」と言われてしまいました。それが本当に悔しかったのです。普通ならそのお客様のところへは行きにくくなるかもしれません。しかし、私はむしろ逆でした。「『田口君になって良かった』と言われるまで毎日通おう」と決意し、訪問を続けました。その甲斐あって、退職する際には「今までの担当者の中で、田口君が一番良かったよ」という最高の言葉をいただくことができました。この3年間で、結果を出すことの重要性やお客様と向き合う姿勢の基本を徹底的に叩き込まれたと感じています。
傲慢さを打ち砕いた痛恨の失敗と覚醒
ーー貴社に入社後は、何から取り組まれましたか。
田口雄一:
弊社はメーカーですから、まずは製造の現場を知ることが最も大切だと考えました。そのため、ドライバーを製造している工場に配属されたのです。そこで3ヶ月ほど樹脂成形部門の担当者として従事。金型のメンテナンスや成形条件の調整といった業務に対応しました。
また、ちょうどその頃、2011年の洪水で被災したタイ工場を移転するプロジェクトが動いていました。その応援で1ヶ月ほど現地に出張する機会があり、そこで「ここで本格的に仕事がしたい」と強く感じたのです。
当時のタイ法人は約50名規模でしたが、日本人の管理者は1名のみでした。生産管理など、まだまだ改善の余地が多くあると感じました。日本に戻って百数十名いる会社の一担当者でいるのはもったいない。タイで会社全体のマネジメントに挑戦するほうが、より成長できると確信し、赴任を希望しました。
ーータイでの経験で、印象に残っていることはありますか。
田口雄一:
当時の私は本当に尖っていて、「会社の業績なんて、自分と同じ人間が百人いれば何倍にもできる」と本気で思っているような人間でした。そんなひとりよがりな考え方ですから、穏やかで平和を重んじるタイの文化とは異なります。そのため、現地の社員たちとは衝突していました。しかし私は、日本での当たり前を一方的に押し付けていました。「今日中にやる」と言った仕事が終わっていなければ、深夜まで残ってでもやらせるようなマネジメントをしていたのです。
当然、社員からは猛烈な反発を受けました。ついには、現場のリーダークラスだった社員3名から「あなたにはついていけない」と、一斉に辞表を突きつけられました。そのときでさえ、私は「別に彼らがいなくても自分がやればいい」くらいに考えていました。しかし、いざ彼らが去ると、現場は全く回らなくなりました。この痛恨の失敗を通じて、当たり前の事実に気づかされたのです。「会社は自分一人の力でどうにかなるものではなく、多様な考えを持つみんなの力で成り立っている」と。
この経験から私は、自分の価値観を押し付けるのではなく、相手の文化や考え方をまず尊重することを学びました。そして、納期など譲れない部分は、なぜ重要なのかを丁寧に説明しました。そうして納得してもらうコミュニケーションが、重要だと知ったのです。この経験がなければ、今の私はいなかったでしょう。
周囲の懐疑を覆す「売上日本一」への固い決意
ーータイから帰国後は、どのような役割を担われたのですか。
田口雄一:
帰国後は商品部の次長としてキャリアを再スタートしました。しかし、部署の垣根を越えて、採用から営業戦略まで、会社全体のあらゆることに関与していました。社長就任への準備期間として、会社を俯瞰的に見る視点を養うことができたと感じています。
ーー社長へ就任された際の、率直な心境をお聞かせください。
田口雄一:
本当に「待っていました。いよいよだ、やってやろう」という感覚でした。社長になることへの戸惑いや不安は一切ありません。それまでも実質的に副社長のような立場で仕事をしていたこともあり、父との経営に関する引き継ぎも、事務的な手続きに数時間かかった程度です。
ーー就任後、どのような目標を掲げられたのでしょうか。
田口雄一:
2023年4月の社長就任の所信表明で、私は「日本一の工具メーカーを目指す」を目標に掲げました。「売上日本一」とは具体的な金額にすると、売上400億円です。昨年、弊社は初めて売上100億円を突破しました。そこからさらに4倍にするという壮大な目標です。
社内には「絶対に無理だ」と言う人も大勢います。しかし、私は決して不可能な数字ではないと考えています。これだけ財務内容も組織も良い状態の会社を引き継いだ以上、それくらいの大きな目標を掲げたい。そして、社員にもワクワクしながら仕事をしてほしいのです。そんな思いを込めて、この目標を設定しました。
ーーその目標を達成するために、新たに取り組まれたことはありますか。

田口雄一:
国内外の全社員が同じ方向を向くため、理念体系を再構築しました。そして新たに「ベッセルフィロソフィー」を策定したのです。パーパスとして「世界中のお困りごとにこたえ、かなえることで笑顔あふれる社会の実現に貢献する」、ミッションとして「独創的な商品とサービスで驚きと感動を届ける」などを定めました。
成長を支える「独創性」と「挑戦する社風」
ーー貴社の事業内容と強みについて教えてください。
田口雄一:
弊社は手回しのドライバーで創業し、電動工具の先端に取り付けるビットなどに製品を広げてきました。エアニッパーといった専門的な工具も扱っています。お客様からは「ベッセルといえば新商品」と言われるほど、開発力には自信があります。

そして弊社の強みは、単に新製品が多いことではありません。私たちがつくるのは、常に「世の中にない独創的なもの」です。他社の売れ筋商品を模倣して色を変えただけ、といった安易な製品開発は、会社のポリシーに反します。何よりメーカーとしてのプライドが許しません。

ーー貴社の社風はどのように醸成されたのでしょうか。
田口雄一:
弊社の歴史は、ドライバーという一つの製品に安住せず、工具とは全く関係のない静電気除去装置(イオナイザー)のような異分野に挑戦するなど、まさにチャレンジの連続です。近年のM&Aもその一環といえます。その結果、ベッセルの社員は「チャレンジ慣れ」しています。これが他社にはない、非常に大きな強みだと感じています。
会社が新たな事業への挑戦を宣言しても、社員から「なぜそんなことを」といった抵抗の声は一切上がらず、皆が「では、どうすれば成功するか」と即座に頭を切り替えることができるのです。
ーー貴社の成長を支える、一番の要因は何だとお考えですか。
田口雄一:
間違いなく「新商品開発力」です。高付加価値な新商品を次々と市場に投入することで、高い利益率を維持しています。その開発力を支えているのが、手厚い人員体制です。グループ全体の社員数が約780名であるのに対し、開発に従事する人間が約50名もいます。設計担当だけではありません。試作品をお客様の元へ届けて評価を聞く専門チームや、試作品をつくる専門部隊と専用の機械まで、すべて開発部門の中に揃えています。この高速で開発サイクルを回せる体制こそが、弊社の圧倒的な強みの源泉です。
経営の根幹を成す「会社の一番の資産は人」という価値観

ーー社長が最も大切にされている価値観はどのようなものですか。
田口雄一:
「会社にとって一番の資産は人である」という考えが、私の経営の根幹にあります。タイでの失敗経験から、社員一人ひとりの力なくして会社の成長はないと痛感しました。フィロソフィーの土台に「夢が実現でき、笑顔で働ける会社に」というポリシーを置いたのは、この考えがあるからです。この土台がしっかりして初めて、その上にある「売上日本一」という目標が実現できると信じています。
ーー社員の働きやすさ向上のために、具体的に何を行っていますか。
田口雄一:
まず、年1回の社員満足度調査(サーベイ)を導入し、そこで明らかになった課題を埋めるようにしています。たとえば、上司との人間関係に課題が見えれば面談研修を実施します。評価への不満が多ければ制度そのものを見直します。実際には昨年は販売会社において給与制度を改定し、よりオープンで公平な制度を構築しました。また、20年ぶりに社員旅行も復活させ、昨年は皆で有馬温泉に行きました。
日々の業務においても、徹底的な業務効率化を進めて、残業時間を大幅に削減しました。今では販売会社の事務職の残業は月5時間にも満たない社員がほとんどです。定時の17時半には会社の約半数の社員が帰宅します。また、リスクヘッジの観点からジョブローテーションを始めました。これは誰かが突然休んでも業務が滞らないようにするためです。結果的に社員が有給休暇などを非常に取得しやすい環境づくりにもつながっています。
新時代の挑戦者を求める「超オフェンシブ」な組織風土
ーー最後に、この記事の読者へメッセージをお願いします。
田口雄一:
弊社は、私が社長になる前からチャレンジを続ける会社でした。しかし、私が社長になったことで、より「超オフェンシブ」な会社になったと自負しています。たとえるなら、ゴールキーパーを一人だけ残して、あとは全員フォワードで攻め込んでいるような、そんな前のめりな会社です。
だからこそ、向上心や成長意欲のある方にとっては、これ以上なくワクワクしながら仕事ができる環境だと断言できます。自分自身を成長させたい、いろいろなことにチャレンジしたいという熱い思いを持った方と、ぜひ一緒に働きたいと考えています。弊社でなら、きっと仕事を楽しめるはずです。
編集後記
幼少期から定められた「社長」という宿命。しかし田口氏の歩みは、決して運命に身を任せたものではなかった。自らの意志で武者修行に飛び込み、海外で手痛い失敗を経験する。そして、そのすべてを血肉に変えて経営者としての器を磨き上げてきた。その言葉の端々からにじみ出るのは、「売上日本一」という壮大な目標への絶対的な自信がうかがえる。そして、挫折を経て得た「会社は人で成り立っている」という揺るぎない信念も感じられる。超オフェンシブな戦略と、人を何より大切にする温かさ。この二つを両立させる新時代のリーダーの下、同社の挑戦は新たなステージへと向かう。

田口雄一/1987年、大阪府出身。2010年関西学院大学商学部を卒業後、トラスコ中山株式会社入社。2013年4月株式会社ベッセル工業に入社。2013年9月VESSEL THAILAND CO.,LTD.へ出向。2016年10月株式会社ベッセルに入社し、取締役商品部長、第二営業部長(兼任)を経て、2022年10月取締役副社長、2023年3月代表取締役社長に就任。