
株式会社大創産業(DAISO)のリブランディングをはじめ、数々の企業のプロモーションを手がける株式会社EPOCH。デジタル、映像、グラフィックの垣根を越えたクリエイティブで、プロモーション業界に確かな実績を刻んでいる。同社を率いる代表取締役の石澤秀次郎氏は、一度はクリエイターの道を志すも挫折し、インターネット業界へ転身。「挑戦する人の障壁を取り払い、失敗しても再起できる社会のインフラを創りたい」。と語る石澤氏の、その事業観に迫る。
挫折の先に見出した、クリエイターではない自らの「資質」
ーーまず、石澤社長のキャリアの原点についてお聞かせください。
石澤秀次郎:
母がスタイリスト、父が広告関係の仕事という家庭環境でしたので、自然に広告業界を志しました。しかし、新卒での就職活動がうまくいかず、一度は別の会社へ就職しました。それでも、映像制作などクリエイティブ分野への思いを断ち切れず、会社を辞めて専門学校へ通い直す決断をしたのです。
ーークリエイターとしての道を歩み始めた中で、どのような気づきがあったのでしょうか。
石澤秀次郎:
皮肉なことに、専門学校で学べば学ぶほど、自分にはクリエイターとしての「資質」が根本的に欠けていると痛感させられました。それは努力で補える性格の問題ではなく、もっと天性的なものだと。例えば、私は一つの物事にこだわり始めると細部にとらわれ過ぎてしまい、全体をまとめ上げることができない。一方で、真のクリエイターは、強いこだわりと同時に、ロジックを超えた感覚的な跳躍力で作品を完成へと導くことができる。それは後天的な努力では決して到達できない、才能そのものだと悟ったのです。
大きな失敗をバネに実現させた独立への3年計画
ーークリエイターの道を断念された後、キャリアの転機となった出来事があれば教えてください。
石澤秀次郎:
クリエイターの道を諦め、イベント企画などに携わる中で、集客におけるSNSやウェブサイトの圧倒的な影響力を目の当たりにし、インターネット業界への転身を決めました。しかし、入社したウェブ制作会社では、社内から多くの慎重な意見があったにも関わらず企画を推進した結果、他社の模倣であるとの厳しいご指摘を受けました。この一件を機に「二度と信頼を損なうものか。必ず圧倒的な成果で会社に貢献する」と心に誓い、仕事に邁進しました。
ーーそこから独立に至るまでには、どのような戦略を描かれていたのですか。
石澤秀次郎:
入社して3年目に、当時の社長へ「3年計画」を直談判しました。1年目に新部署を立ち上げて軌道に乗せ、2年目に社内ベンチャーとして法人化、そして3年目に独立を果たすという計画です。幸いにも社長にご理解をいただき、最終的には親からの資金援助も得て、31歳でEPOCHを設立しました。設立当初、人脈も実績もなかった時代から、月に3000件もの問い合わせフォームへ営業メッセージを送る地道な活動を続けています。こうした一見すると泥臭い取り組みこそが事業の原点であり、現在も変わることのない私たちのスタイルです。
挑戦者を支える社会「インフラ」という発想

ーーこれまでのご経験は、現在のサービス開発にどう活かされていますか。
石澤秀次郎:
私自身が、資質の違いによる挫折や数えきれないほどの失敗を経験してきた人間だからこそ、今の事業があるのだと思います。苦しい時期に私を救ってくれたのは、インターネット上にあった情報や、思いがけない人との出会いでした。だからこそ、今度は私が、新たに何かを始めよう、あるいは再挑戦しようとする人が直面する心理的・物理的なハードルを、可能な限り低くしたい。たとえば、私たちが開発した日程調整サービス「スケコン(Schecon)※」も、人と人とが出会う際のコミュニケーションコストを劇的に下げることが目的です。誰もが失敗を恐れずに次の一歩を踏み出せる、そんな社会のインフラとなるサービスを創り上げたいのです。
スケコンサービス紹介動画
ーー社会やテクノロジーが変化し続ける中で、貴社が担うべき「役割」や「使命」については、どのようにお考えでしょうか。
石澤秀次郎:
極論を言えば、私たちが営む制作会社という業態は、将来的には“不要”になるべきだとさえ思っています。クリエイターとクライアントが何の障壁もなく直接結びつき、価値を交換できれば、より低コストで、より純度の高いものが生まれるはずです。その間に介在する私たちのような中間業者が大きな利益を得る構造は、果たして日本社会全体の発展に寄与しているのか。AIやデジタル技術の力でこの旧来の構造を変革し、より多くの才能が正当に評価され、輝ける環境を整備したいと本気で考えています。
社長とは“警察官”である、生活に溶け込む事業家への道
ーー社長として、最も大切にされている信念や価値観をお聞かせください。
石澤秀次郎:
社長とは「代表取締役」、すなわち、会社が社会のルールに則って正しく運営されているかを取り締まる存在。いわば「警察官」のような役割だと捉えています。ですから、決して名誉な立場だとは考えていません。むしろ、会社から給与をいただく対価として、自分は果たしてそれに見合う価値を提供できているのかと、常に自問自答しています。そのある種の危機感が、既存事業に安住せず、次なるサービスを生み出そうとする尽きることのない原動力になっています。
ーー事業家として、最終的にどのような理想像を描いていらっしゃいますか。
石澤秀次郎:
ソフトバンクの孫正義さんのように、良くも悪くも、多くの人の感情を揺さぶるほどのインパクトを持つ事業家になりたいです。現代社会においてスマートフォンが不可欠であるように、私たちのサービスが人々の生活の中に当たり前に存在し、もし止まれば誰もが困るような、まさに社会のインフラを創り上げたい。直接会ったことのない人々の生活にも、私たちの事業が薄く、しかし広くかかわっている。そんな状態を実現することが、経営者としての究極の目標です。
編集後記
自らをクリエイターの「資質」ではないと冷静に見極め、数々の失敗を糧に成長を遂げてきた石澤氏。既存の成功法則を疑い、自らが身を置く業界の構造さえも「創造的破壊」の対象とするその哲学は、私たちに“経営者”という存在のあり方を改めて問い直す。失敗を恐れず誰もが挑戦できる社会の「インフラ」を創るという高い視座は、多くの起業家やビジネスパーソンに新たな気づきを与えるに違いない。

石澤秀次郎/1982年3月15日生まれ。2005年明治大経営学部卒。2005年に株式会社オンワード樫山に営業職として入社。2008年に同社を退職し、デジタルハリウッドにてCG制作を学びながら、書籍「映像作家100人」の編集担当。2010年3月には株式会社ソニックジャムに入社し、WEBディレクターとして勤務し数々のWEBや映像の制作に携わる。2013年9月にクリエイティブエージェンシー株式会社EPOCHを設立。2019年11月には新会社「TIME MACHINE」を立ち上げ、代表取締役に就任後、AIスケジュールコンシュルジュサービス「スケコン」を同年12月に立ち上げ、開発、運営を担当。IP・キャラクター開発に特化したクリエイティブスタジオ「OSERU IMG.」を運営。お金と仕事について発信するWEBメディア "おかねチップス"も発行。