
静岡県を拠点に、製造業の「人手不足」と「生産性向上」という根深い課題にワンストップで応えるのが株式会社BRICSである。同社は顧客のスマートファクトリー化(工場の自動化)を一貫して支援する独自の体制を築く。この革新的な事業を牽引するのが、代表取締役の清水英治氏である。オリンピックの夢を絶たれた柔道での挫折、48カ国を旅したバックパッカー、そして国家公務員という多彩な経歴を持つ同氏。その波乱万丈な人生から生まれた強靭な精神と信条は、いかにして現在の事業に結実したのか。日本の製造業の未来を創る、その情熱とビジョンに迫る。
挫折を原動力に変えた波乱万丈の道のり
ーー社長のご経歴についてお聞かせください。
清水英治:
高校時代まで柔道に打ち込み、オリンピックだけを目指していました。しかし、首を負傷して夢を絶たれました。これは人生最大の挫折でしたが、「もう失うものはない」と感じたことが、逆に何事にも臆せず挑戦する今の私の原動力になっています。
テレビ番組に影響を受け、高校卒業後に8万円だけを握りしめて約2年間、世界48カ国をバックパッカーとして旅しました。所持金がほとんどなかったため、飲み水を買うお金すらありませんでした。そこで、生きるために「民家のチャイムを鳴らし、『お水を一杯ください』とお願いして回る」といった行動を、何度も何度も繰り返しました。
一件一件お願いして回るという膨大な行動量をこなす中で、人の温かさに触れるとともに、どんな状況でも一人で生き抜く力が身につきました。物事を他責にせず自分事として捉える「自責思考」もこのときに養われたものです。また、この経験から、「十分な量をこなしたことがない者が、質の高め方や効率を語るべきではない」と考えるようになり、これが現在の経営や人材育成における行動原理の礎となっています。
ーー世界を旅された後、どのような経緯で起業に至ったのでしょうか。
清水英治:
バックパッカーの旅を終えて帰国後、すぐには起業しませんでした。まず製造業の会社に就職し、約5年間にわたり現場作業から海外事業、子会社である人材派遣会社の立ち上げまで、幅広く経験を積みました。
大きな転機は、リーマンショックです。会社が希望退職者を募集した際、自身は対象年齢ではなかったものの、他の業界や道にもチャレンジしたいという思いから、自ら手を挙げて退職しました。漠然と独立したいという思いを持っていましたが、すぐに起業しませんでした。「起業には法律の知識が不可欠だ」と考え、専門学校に通い国家公務員になりました。厚生労働省(静岡労働局)の職員として、補助金の申請要件を現場で円滑に運用する業務や職業紹介といった業務に約6年間携わりました。
この公務員経験を通じて、法律や行政手続きを実務レベルで学ぶことができました。同時に、ルールに縛られる働き方が自身の性格に合わないことも再確認し、独立への思いを一層強くしました。こうして製造業での現場経験と、公務員として得た法律知識という両輪を得て、満を持して公務員を退職。株式会社BRICSを設立し、起業に至りました。
顧客の要望に応え続けた三事業の成り立ち

ーー創業から現在に至るまで、どのように事業を拡大されてきたのでしょうか。
清水英治:
当初は、私一人で製造業のお客様向けに人材派遣事業を立ち上げました。3年間で100人の派遣スタッフを増やすなど、事業拡大に尽力しました。お客様が急な欠員で困っている時は、自らが現場に入って対応することも日常茶飯事でした。昼は派遣スタッフの管理、夜は現場での作業をこなす、そんな日々を過ごしていました。
しかし、協力工場の廃業なども増えたため、供給責任を果たすべく自社工場を設立。さらに人手不足が深刻化する中で「人が派遣できないならロボットを派遣すればいい」と考え、M&Aも活用してロボットシステムを構築する「エンジニアリング事業部」を立ち上げました。顧客のニーズに応え続けた結果、現在の三事業体制が自然とできあがったのです。
ーー貴社ならではの強みと、お客様から特に評価されている点を教えてください。
清水英治:
最大の強みは、お客様のスマートファクトリー化をワンストップで支援できる点です。人材の提供からロボット導入、操作人材の教育まで、すべて弊社が窓口となって対応します。特にロボット導入では、部品製造から設置工事までほぼ全ての工程を内製化しています。そのため、お客様の機密情報を外部に出さず、責任の所在を明確に進められる点を高く評価いただいています。
また、公務員で補助金の業務に携わった経験を活かし、お客様が設備投資をされる際の補助金活用のコンサルティングを無償で行っています。国の制度の趣旨や審査のポイントを熟知しているため、的確な支援が可能です。これも、お客様の挑戦を後押しする重要な付加価値だと考えています。
少数精鋭で売上100億円を目指す未来像
ーー今後の事業目標と、その達成に向けた組織づくりについてお聞かせください。
清水英治:
売上100億円を50人の少数精鋭で達成し、社員の平均年収を2,000万円にする。この目標を、7年以内、最短で達成することを目指しています。これまでは私自身が牽引してきましたが、目標達成には仕組みで動く組織が不可欠です。そのため、現在は評価制度の構築など、組織体制の強化に最も注力しています。
ーーその目標を共に目指す仲間として、どのような人材を求めていますか。
清水英治:
「何かを成し遂げたい」という強い思いがありながら、これまでの環境で力を発揮できずにくすぶっているような、ハングリー精神のある人材を求めています。過去に挫折を経験した方も大歓迎です。とんがった個性を持つ仲間と、結束力の高い「チームブリックス」を作り上げたいと考えています。
製造業の未来を切り拓く救世主としての役割
ーー事業を通じて、社会に対してどのようなインパクトを与えたいとお考えですか。
清水英治:
「素晴らしい技術を持ちながらも、経営に苦しむ製造業の救世主でありたい」という強い思いがあります。そうした企業のV字回復を支援し、日本の製造業全体の成長に貢献したいです。スマートファクトリー化を進めれば、人口が減少しても製造業のGDPは伸ばせると信じています。弊社が関わったお客様には、必ず右肩上がりの決算を迎えてもらう。私たちは、その結果をもって日本の産業に貢献していく考えです。
ーー最後に、これから貴社の仲間になる方へメッセージをお願いします。
清水英治:
弊社では、専門スキルはもちろん、会社に依存せず一人でも生きていける「人間力」を身につけることができます。私たちは、単なる従業員ではなく、同じ目標に向かう「チームメイト」としてあなたを迎えます。古い価値観を壊し、新しい価値観を共に築ける仲間を待っています。自立した個人として成功できるよう、私たちが全力で導くことを約束します。
編集後記
清水氏のキャリアは、柔道での挫折、世界放浪、公務員と多彩である。それらの経験によって培われた「失うものはない」という覚悟と、揺るぎない自信が言葉の端々から感じられる。顧客の課題解決のために事業を拡大し続けた結果生まれた三位一体モデルは、同氏の信条である行動原理の結晶といえる。技術力がありながら経営に苦しむ企業を「救世主として支えたい」と語るその目は、単なる経営者ではなく、共に未来を創る挑戦者のものだった。「チームブリックス」が日本の製造業に新たな活気をもたらす日は、そう遠くないだろう。

清水英治/1982年生まれ。静岡県富士市出身。高校卒業後、バックパッカーとして48カ国を旅した後、大手自動車プレス金型メーカーに入社。語学力を生かして海外ユーザー及び外国人労働者管理の対応業務に携わる。リーマンショック時に希望退職し、専門学校へ入学。卒業後、国家公務員となり、厚生労働省に入庁。静岡労働局で約6年間、補助金・助成金・職業紹介・外国人就労支援などの国家事務に携わる。公務員を退職後、株式会社BRICSを設立し、代表取締役に就任。ロボットSIerによる工場自動化支援メディア「スマート工場自動化ラボ」、静岡県特化転職エージェントによる「転職支援メディア」を運営。