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1920年の創業以来、100年以上にわたり人々の健やかな暮らしに寄り添ってきた株式会社近江兄弟社。スキンケアブランド「メンターム」で知られる同社の礎を築いたのは、アメリカ人建築家であり伝道者のウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏である。「信仰と商売の両立」という創業者の理念は、社会貢献を事業の核とする独自の企業文化として今なお脈々と受け継がれている。一度は倒産の危機に瀕しながらも、その精神を支えに再起を果たし、新たな成長を目指す同社の現在地とは。2022年に代表取締役社長に就任した辻 昌宏氏に、企業の歴史から独自の社風、そして未来への展望について話を聞いた。

創業者の精神が息づく105年の歴史と社会貢献

ーーまず、貴社の成り立ちについてお聞かせください。

辻 昌宏:
弊社を創設したのは、アメリカ人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズです。彼は熱心なクリスチャンとして伝道活動のために来日し、英語教師を経て建築事務所を設立。その傍らで聖書の教えである「隣人愛」を実践するため、世の中で困っている人々を助ける社会奉仕活動に生涯を捧げました。

彼の活動の主軸はあくまで社会奉仕です。当時日本で大きな問題となっていた結核患者を救うための療養所や、満喜子夫人の幼稚園の充実と共に、学ぶ機会のない女子工員のための女学校を設立するなど、利益を社会に還元する活動を精力的に行っていました。

ーー社会奉仕活動を続ける中で、医薬品販売はどのようにして始まったのでしょうか。

辻 昌宏:
「メンソレータム」の発明者であるハイド氏も同じクリスチャンであり、ヴォーリズの活動に感銘を受けた一人でした。ハイド氏から「この商品を販売し、その利益を活動資金にしてはどうか」と提案されたことをきっかけに、1920年に日本での販売権を取得し、事業がスタートしたのです。商品は、ひび・あかぎれに悩む女性の間で評判となり大ヒットを記録。その利益によって、どんな人々も医療や教育を受けられる環境をさらに充実させることができました。

倒産の危機を乗り越えて「メンターム」ブランドの再建

ーー会社の歴史の中で、大きな転機となった出来事はありましたか。

辻 昌宏:
1964年に創業者のヴォーリズが亡くなり、会社の求心力が少しずつ失われていったことです。利益のほとんどを社会奉仕活動に充てていたため会社の内部留保も十分でなく、そこにオイルショックが重なり、1974年に37億円の負債を抱えて会社整理の申し立てを行いました。さらに、この倒産の危機にアメリカ本社から「メンソレータム」の販売契約を打ち切られ、看板商品も失いました。しかし、ありがたいことに、弊社の社会奉仕の精神を知るお客様や地域社会の皆様をはじめとした数多くの方々から、励ましの言葉とともに再建を望む声が寄せられたのです。その声に後押しされて、私たちはもう一度立ち上がることを決意しました。

ーーどのようにして会社を再建されたのでしょうか。

辻 昌宏:
再建を図るにもこれまでの取締役は退任し、従業員も倒産時の4分の1である80名となります。看板ブランドは他社に販売権が移りましたが、製造する処方はあり、製造設備もあることから、新たに「メンターム」というブランドで再出発をしました。その後、リップクリームのヒットもあり、7年後の1981年には37億円の負債をすべて完済できました。倒産後は商品開発を強化し、現在は健康的な肌を目指すスキンケア領域に特化しています。

ーー長年、商品企画の第一線で活躍されてきましたが、ヒット商品を生み出す秘訣は何だとお考えですか。

辻 昌宏:
2022年に社長に就任するまで商品企画やマーケティング部門に長く在籍した経験から、ヒット商品は必ずしも大規模な調査から生まれるわけではないと学びました。私が大切にしているのは、「N=1」という考え方です。これは、妻や娘、同僚といったごく身近な一人の悩みに真摯に向き合うことで、結果的に多くのお客様に支持される商品が生まれるというものです。

日焼け止めの「ベルディオ」シリーズがその一例で、「肌への優しさ」と「高い効果」の両立を目指しました。特にポンプタイプは、コロナ禍において家族みんなで使う機会が増えたため、その手軽さが好評を呼び、広告宣伝はほとんどせずに、SNSの口コミで人気が広まりました。

ーーそうした開発哲学を軸に、現在の市場ではどのような戦略をとられていますか。

辻 昌宏:
現在、特に力を入れている戦略の一つが、小売店と協力して商品を開発するプライベートブランド(PB)事業です。これまでのPB商品によくある単なる安価な商品の供給ではなく、小売店が持つ顧客データと弊社の開発技術や製造品質を掛け合わせる「共創」によって、新しい価値を生み出していきたいと考えています。

独自の社風と働きがい 毎朝の礼拝と「ニコニコ活動」

ーー貴社の社風や、大切にされている文化についてお聞かせください。

辻 昌宏:
創業者の精神を学ぶ機会として、毎朝の始業時に礼拝を行っています。これは特定の宗教を強制するものではなく、聖書の言葉などを通して心を整え、穏やかな気持ちで一日をスタートさせるための大切な時間にもなっています。

また、会社の再建期から続く「ニコニコ活動」という社会貢献活動にも力を入れています。これは、会社を助けてくださった社会への恩返しとして、ヴォーリズが行っていた社会奉仕を全社で実践しようという取り組みです。チャリティーバザーなどを通じて集めた資金を、国内外の福祉施設や教育支援のために寄付するだけでなく、社員が活動を実体験する機会もあります。私自身も社長になる前に、ラオスの学校建設支援活動に3度参加しました。自分たちの活動がどう役立っているのかを肌で感じる貴重な機会ですし、創業者の思いを形にしながら成長できる場があることも、弊社の魅力の一つだと考えています。

3本柱で描く未来「相手の立場に立つ」経営哲学

ーー社長に就任されてから、特に意識されていることは何ですか。

辻 昌宏:
企業は利益を上げなければならない、という当然の事実です。一度倒産を経験しているからこそ、会社を存続させることの重要性を痛感しています。社員の生活を豊かにし、社会に貢献し続けるためにも、事業の基盤となる収益力は不可欠です。利益を上げるために、最も大切なことは「相手の立場に立って考える」ことです。お客様に評価されない独りよがりの商品をつくっても意味がありませんし、社員のことも考えなければなりません。相手の立場を深く理解しようと努めることが、結果として会社の利益につながると信じています。

ーー最後に、会社の未来に向けた展望をお聞かせください。

辻 昌宏:
弊社が拠点を置くこの近江という土地は、古くから「三方よし」の精神で知られる近江商人を育んできました。創業者の隣人愛の精神とも通じるこの考え方を未来へつなげるため、今後は三つの柱で成長を目指します。

一つ目は、自社ブランドの育成。二つ目は、小売店との共創。そして三つ目は、海外展開です。この三本柱を着実に伸ばしていくことこそ、この商人の街、近江の地から社会に貢献し続ける道だと考えています。

編集後記

一人の青年がアメリカから持ち込んだ「隣人愛」の精神。それが100年以上の時を経て、滋賀の地で「メンターム」という製品だけでなく、病院や学校、そして独自の企業文化としても深く根付いていることに感銘を受けた。毎朝の礼拝や、社員全員で取り組む「ニコニコ活動」は、創業者の理念が今なお経営の隅々にまで浸透している証拠である。倒産という最大の危機さえも乗り越える原動力となったその精神は、利益の追求と社会貢献の両立を目指す同社の揺るぎない背骨となっている。「働くことを通して社会にどう貢献できるのか」。その問いに対する一つの答えが、ここにはある。

辻 昌宏/1971年滋賀県生まれ。1995年同志社大学法学部政治学科卒業後、近江兄弟社へ入社。2007年6月に商品企画部部長、2009年6月に取締役商品本部長に就任、2021年6月から常務取締役商品本部長を務め、2022年4月に代表取締役社長に就任し現在に至る。