※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

香川県に拠点を置き、高齢者や障がいのある方に向けたケアシューズで国内トップシェアを誇る徳武産業株式会社。同社は、業界の常識を覆した「左右サイズ違い・片方販売」を30年も前から貫く。利用者の「声なき声」を形にする製品開発で、多くの人々の歩みを支え続けてきた。創業者一族として、6人の子育てをしながら事業を承継した代表取締役社長の德武聖子氏。先代のトップダウン経営から「人づくり」を軸とした組織へと変革を導いた。その揺るぎない哲学と未来への展望をうかがった。

子育てと両立しながら歩んだ承継への道

ーー貴社で働くことを決意された背景についてお聞かせいただけますか。

德武聖子:
弊社は母方の祖父母が創業し、父が婿養子として2代目を継ぎました。私は3人姉妹の次女で、誰が継いでもよいという自由な環境で育ちました。事業を営む両親の大変さを間近で見ていましたから、自ら手を挙げることはありませんでした。ただ、心のどこかで「誰かがこの大切な場所を守らなければ」という思いは常にありました。そして、結婚を機に後を継ぐことを決意して入社したのです。自分の中で覚悟を決めて入社したため、不思議と不安はありませんでした。

ーー入社後、どのような経緯で経営に参画されるようになったのでしょうか。

德武聖子:
まずは営業事務として、お客様からのご注文やお問い合わせ対応を3年ほど担当しました。その後、母から経理の仕事を引き継いで約10年間携わりました。当時は6人の子育て真っ最中でした。そのためフルタイムではなくパートとして、家業の仕事を少しずつ手伝うという形をとっていました。一番下の子が生まれた後に正社員となり、父から「数年後に引退する」と話があったのを機に、後継者として本格的に経営に携わり始めました。

ーーこれまでに特にやりがいを感じた経験についてお聞かせください。

德武聖子:
ものづくりの根幹を学びたいと自ら志願して入った、企画開発部門での経験が大きいです。弊社には「声なき声を形にする」という、創業から受け継がれる大切な信念があります。お客様自身もまだ気づいていない本当のニーズを汲み取るため、現場である高齢者施設へ足しげく通いました。

最初は迷惑がられましたが、「絶対に良いものをつくって恩返しするんだ」という一心で対話を重ねました。そして、何度も試作品を持ち込むうちに、少しずつ信頼関係が生まれていきました。最終的に完成した商品を、協力くださった方が「これは素晴らしい。自分でお金を出して買うよ」と言ってくださった時の感動は、今でも忘れられません。世にないものを生み出すことの面白さとやりがいを実感したこの成功体験が、私のものづくりの原点になっています。

会社が潰れると言われても顧客本位を貫いた創業の精神

ーー貴社の代表商品は、どのようにして生まれたのでしょうか。

德武聖子:
弊社は「あゆみシューズ」という介護・リハビリシューズを開発し、「ケアシューズ」という新しい市場を創造した会社です。

もともと1957年に綿手袋縫製工場として創業し、1966年からはスリッパ、1984年からはルームシューズなどを製造していました。そんな中、約30年前に近隣の高齢者施設から「転倒を防ぐ安全な履物を」とご依頼いただきました。これがきっかけで、新商品の開発に乗り出したのです。開発を進める中で、高齢者の足はむくみや変形で左右の大きさが違うケースがあると知りました。また、靴の製造経験がなかったため、開発は困難を極めました。そのため、靴づくりの専門家を招いて指導を受けました。しかし「左右でサイズの違う靴を販売するようなことをしたら在庫管理が煩雑になり、会社が潰れるからやめなさい」と、本気で心配され強く反対されてしまったのです。

それでも、目の前で困っている方を助けたいという強い思いがありました。そこで、業界で前例のなかった「左右サイズ違い販売」と「片方のみの販売」に踏み切りました。今では年間約160万足を販売するまでに至り、実に4人に1人のお客様がこのサービスを利用されています。

この数字を見るたびに、多くのお客様のお悩みに応えられているのだと実感します。あのとき反対を押し切って始めて本当によかったと心から思います。このサービスこそが私たちの存在価値そのものです。競合他社も増えましたが、全てのラインナップでこのサービスに対応しているのは、おそらく弊社だけでしょう。お客様の選択肢を狭めないためにも、これは何があっても守り続けなければならない事業の核です。

ーー社長就任後、組織づくりで注力されたことは何ですか。

德武聖子:
先代である父は、その類まれなカリスマ性で会社を大きく成長させました。その功績は計り知れません。しかし、私は父とは違うアプローチが必要だと考え、「人づくり」に最も力を注いできました。社員一人ひとりが自らの能力を最大限に発揮し、組織として強くなることを目指しています。答えを求めてくる社員には、「あなたならどうしたい?」と問い続けます。そうして、自ら考え行動する文化を育むことに注力しています。また、社員の7割が女性のため、子育てと両立しやすいよう就業時間を見直すなど、誰もが働きやすい環境づくりにも取り組んできました。

時代のニーズに応え続ける新たな挑戦

ーー貴社の今後の展望についてお聞かせください。

德武聖子:
時代の変化に合わせて、販路の開拓と新たな商品開発に挑戦しています。現代のシニア世代は良いものを知っており、ご自身の好みも明確です。だからこそ、機能性はもちろん、心が躍るような「履きたくなる」デザイン性の追求が不可欠です。

また、在宅介護の増加に伴い、お客様が直接商品を手に取れるよう、量販店やECサイトといった直販チャネルの強化が急務となっています。これと並行してアジアへの販路開拓も進め、積極的に情報を発信していきたいです。

ーー最後に、これからの事業を共に創る仲間へのメッセージをお願いします

德武聖子:
私たちが求めるのは、意欲的で「誰かの役に立ちたい」という熱い思いを持つ方です。お客様のお困りごとに対し「ノーとは言わない」を信条にしています。他社がやらないようなことにも、前向きに挑戦できる方を心から歓迎します。

弊社は産休・育休からの復帰率が100%です。性別に関係なく誰もが個々の強みを発揮できる環境を整えています。ものづくりや新たな挑戦に興味がある方と、ぜひ一緒に未来を拓いていきたいと願っています。

編集後記

業界の常識や在庫リスクよりも、目の前で困っている一人の利用者を優先する。30年前に始まった「左右サイズ違い販売」には、徳武産業の顧客本位の哲学が凝縮されている。德武氏が語る、利用者の「声なき声」を形にするという思い。それは先代から受け継がれ、今は「人づくり」という新たな価値を育んでいる。地域に根ざしながらアジアへも目を向ける同社の挑戦から、今後も目が離せない。

德武聖子/1972年生まれ。徳島文理大学短期大学部卒業。1992年香川銀行入社。1997年徳武産業に入社。2019年に同社の代表取締役社長に就任。地域活性活動にも注力している。