※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

岡山の地で、トラックや建設機械の輸出入からフィットネス事業まで、多角的な事業展開によって成長を続ける株式会社山田車輌。社会のインフラを支え、人々の暮らしを豊かにすることを追求するその姿勢は、創業者の「誠実でありたい」という思いに深く根ざしている。本記事では、先代の急逝により若くして事業を継承し、会社をV字回復させた山田克浩社長が、過去の危機を乗り越え、いかにして地方の中小企業が海外へ挑むまでに成長したのか。その軌跡をたどりながら、未来を切り拓くための哲学と、社員への深い思いに迫る。

逆境を成長の糧に 変革を繰り返す軌跡

ーー事業を継承された経緯と、当時の会社の状況についてお聞かせください。

山田克浩:
私がこの会社に入社したのは、ちょうどアジア通貨危機が終わった頃でした。創業者の父が立ち上げた、自動車やトラックの部品を海外に輸出する事業は、最盛期には年商10億円ほどありましたが、この危機によって3分の1にまで落ち込んでいたのです。将来的に海外とつながる仕事をしたいと考えていた私は、父との話し合いを経て、大学卒業後すぐに入社することを決意しました。

ーー入社されてからは、どのような取り組みをされたのでしょうか。

山田克浩:
入社当時は、昔ながらのやり方で事業を行っており、将来性に課題を感じていました。特に、時代の変化に合わせた商品ラインナップの刷新が急務でした。そこで、私と同世代の若手社員とともに、将来性のあるビジネスに特化するため、積極的にトラックの輸出事業を強化していきました。

トラックは新興国を中心に需要が高く、弊社の強みである中古車の整備技術と組み合わせることで、高付加価値のビジネスモデルを構築できると考えたからです。この取り組みが実を結び、入社から5年で年商は以前のピークであった10億円まで回復しました。

誠実さを大切にする経営哲学と人づくりへの思い

ーー事業承継にあたり、どのようなことを大切にされましたか。

山田克浩:
父は口数が少なく、周りからは厳格なボスのように見られていましたが、実は誰よりも誠実で、社員を家族のように大切にする人間でした。そんな父の急逝により、私が急遽会社を率いることになったとき、何よりも大切にしたいと考えたのが、創業者の「誠実さ」という思いでした。会社として、社員にもお客様にも誠実でありたいということが、今も私たちの根底にあります。

ーー働きやすい職場環境にするために、どのようなことを心がけていますか?

山田克浩:
社員とのコミュニケーションを非常に重視しています。一人ひとりと向き合い、困っていることがないかなどを把握し、私自身がまず動いて、そうした課題に対応するよう心がけています。新型コロナウイルス感染拡大以前は、社員旅行やリレーマラソン大会への出場など、昔ながらの交流を大切にしていましたが、コロナ禍以降は働き方が変わり、コミュニケーションの形も変化しました。現在では、部署ごとの朝のミーティングをしっかり行うことで、社内のミスコミュニケーションを減らすように努めています。

広がるグローバル事業と挑戦の舞台

ーー今後の事業展開について、どのような展望をお持ちですか?

山田克浩:
今後の事業展開を考える上で、まず我々が目指したのは、トラックを扱う会社として、輸出だけでよいのかという課題を解決することでした。社員を大切にするという弊社の理念から、事業が変わるたびに全員がすぐに適応できるわけではありません。そのため、ある程度の規模を拡大し、社員ができることを増やしていく必要があると考えました。

そうした背景から、トラックの新車・中古車販売から整備、車検、修理、製造、輸出まで一貫して手掛ける体制を構築することにしました。この岡山近隣エリアでトラック事業において確固たる存在感を示すこと。これを目標に、その第一歩として2023年にホールディングス体制へ移行したのです。

ーー具体的なビジョンとして、どのような姿を目指していらっしゃいますか。

山田克浩:
数値的にはグループで売上高100億円の達成を目指しています。ビジョンとしては、先ほどもお伝えしたように、この岡山近隣のエリアで、トラック事業において絶対的な存在感を放つ企業グループになりたいです。さらに、人づくりにも力を入れています。若い世代のメンバーにマネジメント経験を積んでもらい、彼らの内に秘めた才能を引き出すことで、企業全体の成長につなげていきたいと考えています。それぞれの会社が少数精鋭ながらも、キラリと光るような企業グループにしていきたいですね。

ーートラック事業の枠を超えた挑戦を続ける貴社の姿勢についてお聞かせください。

山田克浩:
弊社は地方の中小企業ですが、10年以上前から海外に販売店を設立するなど、積極的に海外展開をしてきました。フィリピンでは「ヤンマー建機株式会社」の総代理店を、またミャンマーやタンザニアにも販売店を設立しています。今後はタイでも販売店をスタートさせます。また、コロナ禍にはフィットネス事業を立ち上げ、現在2店舗を展開しています。業態は違えど、社会のインフラ、人々の暮らしに欠かせないものという共通の軸があります。チャンスがあれば臆することなく新しい事業に挑戦していく、非常に“チャレンジング”な会社だと思っています。

誠実さと挑戦心が生む新たな価値

ーー貴社が求める人物像や、働く上でのアピールポイントについてお聞かせください。

山田克浩:
誠実であること、そしてワクワクしてチャレンジ精神を持ってきてくれる方に、ぜひ参画していただきたいです。海外に事業を展開しているため、本社社長の都度の承認を待つわけにもいきません。ある程度の裁量権を持って、自らの責任において海外の事業を動かしたり、将来的に子会社の社長として事業を率いていきたいと考えている方にとっては、大きなアピールポイントになるはずです。海外での勤務や事業を伸ばすことに意欲がある方は、ぜひ私たちと一緒に挑戦してほしいと思います。

ーー最後に、今後の意気込みについてメッセージをお願いします。

山田克浩:
私が父の後を継いだのは33歳のときで、後継者育成を40歳までに実現したいと考えていました。しかし、現状はなかなか進んでいないのが課題です。だからこそ、もっと発信していくことが必要だと感じています。今後は、グループで売上高100億円を目指し、このエリアや業界における認知度をさらに高めていきたいです。お世話になった方々、期待をかけてくださった方々に、「挑戦して良かった」と思っていただくために。そして家族や社員、すべてのステークホルダーに、「良かったね」と言っていただけるように、これからも事業を大きくしていきたいです。地方発の企業で売上高100億円は高いハードルですが、挑戦し続けます。

編集後記

若くして事業を継承し、会社の危機を乗り越えてきた山田氏。その言葉からは、創業者の思いを大切にし、社員を家族のように思う深い愛情が伝わってきた。岡山に拠点を置きながらも、グローバルな視点を持ち、果敢に新しい挑戦を続けるその姿は、多くの経営者や働く人々に勇気と希望を与えている。誠実さを土台に、常にワクワクする未来を追求する同社の今後に注目したい。

山田克浩/1975年岡山県生まれ、関西大学卒。1998年株式会社山田車輌入社。2009年に同社代表取締役に就任。趣味はゴルフと筋力トレーニング。