※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

メモリモジュールの開発・製造を基盤としながら、IoTソリューションで顧客の課題解決を支援する株式会社アドテック。同社は産業用コンピュータ領域で培った技術力を強みに、社会の多様なニーズに応え続けている。その舵取りを担うのが、代表取締役社長の下津弘享氏である。ゴルフ会員権の営業から国会議員秘書という異色のキャリアを経て、27歳で起業。幾多の困難を乗り越え、常に挑戦の道を歩んできた。事業や立場が変わっても変わることのない「誠実さ」を胸に、同氏は事業を改革し、未来を切り拓く。その半生と経営哲学に迫った。

苦難の先に見出した事業創造の好機

ーーこれまでのご経歴と、起業に至った経緯についてお聞かせください。

下津弘享:
社会人としてのキャリアは、リゾート会員権やゴルフ会員権を扱う会社の営業職から始まりました。そこは成果次第で20代でも高いインセンティブを得られる環境で、その後知人の紹介を機に国会議員の秘書へと転身。3年ほど永田町で働くことになりました。

もともと「35歳までには独立したい」という目標があったものの、秘書時代に大きな転機が訪れます。厳しい景気の中でも夢やビジョンを熱く語る20代、30代の若手経営者たちと出会い、強い刺激を受けたのです。この出会いをきっかけに「自分も挑戦したい」という思いが強まり、予定を早めて27歳で起業を決意し、株式会社ギガプライズを立ち上げました。

しかし、創業当初の1〜2年は事業が全く振るわず、資金繰りに苦労する日々が続きます。さまざまな企業の代理店業務やリサイクル品の販売でなんとか生計を立てていた状況でした。このままではいけないと事業の形を模索する中、あるIT企業の社長との出会いが転機となります。SI事業の立ち上げに関わったことが、後のギガプライズの事業へとつながっていったのです。

(※)SI(システムインテグレーション):企業の課題解決のために、システム開発・構築・運用・保守までを一貫して行うサービス全般を指す。

ーーその後はどのような業界でご活躍されたのでしょうか。

下津弘享:
その後、縁があって飲食チェーン「高田屋」の再建やPCメーカー「マウスコンピューター」の法人セールス等に携わりました。さまざまな業界で経営の経験を積み、どんな業種であっても商売の基本は同じだと知りました。そして人と誠実に向き合うことの重要性を学んだのです。

事業改革の原動力となった「人の役に立つ」という経営哲学

ーー貴社代表に就任された当時の心境をお聞かせください。

下津弘享:
就任当時、弊社はメモリ事業が中心でしたが、それだけでは中長期的な成長は難しいと感じていました。部品単体だけでなく、完成品や解決策を提供すれば、お客様の課題をより多く解決できると考えたのです。会社の成長のため、事業領域を拡大するという改革を強い意志を持って進めてきました。

ーー事業の強みはどこにあるとお考えですか。

下津弘享:
弊社の強みは、単に製品を売るだけではありません。製品や技術を組み合わせ、お客様の具体的な課題を解決できる点です。たとえば、監視カメラとAI技術を組み合わせることも可能です。膨大な映像データから特定の人物を瞬時に見つけ出せます。これは、警察の捜査効率を劇的に上げることに貢献しています。

ーー事業を展開する上で、最も大切にしていることは何ですか。

下津弘享:
全ての事業の根幹にあるのは、「人の役に立っているかどうか」という視点です。ビジネスは人と人との関係で成り立っています。お客様に誠実に向き合うことが何よりも大切だと認識しています。「儲かるなら何でもいい」という考え方は決してしません。人々の時間短縮や効率化に貢献し、社会の課題を解決すること。それが私たちの存在価値であり、ビジネスの原点です。

成長戦略の核となる海外展開の本格化

ーー今後の成長戦略において、特に注力しているテーマは何でしょうか。

下津弘享:
新規取引先の開拓と並行して、海外展開の強化に最も力を入れています。これは会社の成長戦略の核となる部分です。日本のIT・電機産業はかつて世界の最先端を走っていました。しかし2000年代以降、グローバル化への対応が遅れたと感じています。その結果、韓国や中国などの海外企業にシェアを奪われていきました。また、海外の企業などはグローバル展開が非常に巧みで、短期間で目覚ましい成長を遂げました。日本の市場だけにとどまっていては、いずれ限界が来ます。少子高齢化が進む中、会社の未来を考える上でグローバルな視点は最も不可欠です。

まずは台湾の拠点を足がかりに、東南アジアなどへの展開も視野に入れています。国によって市場のニーズは異なります。日本では販売が難しい製品でも、海外では大きな市場を獲得できる可能性があります。また、海外の優れた製品を日本市場に紹介する「橋渡し」の役割も担っていきます。

将来的には、社内の外国人比率を高めるなど組織そのもののグローバル化も進めます。そして、世界中のどこでも戦える企業体質をつくり上げていきます。

ーー海外展開を進める上での課題は何ですか。

下津弘享:
言語や文化、商習慣の違いなど、乗り越えるべきハードルは非常に高いのが現実です。私自身も言語の壁を感じながら、積極的に交流を図っています。しかし、人脈は一朝一夕で築けるものではありません。しかし、この壁を乗り越えなければ世界をリードすることはできないと考えています。

組織の未来を担う人材に求める挑戦意欲

ーー今後、どのような人材を求めていますか。

下津弘享:
現状に満足せず、常に向上心を持って新しいことに挑戦したいという意欲のある方や顧客開拓力の高い人材、ハードウェアやソフトウェアなどのエンジニアを求めています。未経験の仕事に「やったことがない」と尻込みしないでください。「勉強しながらやります」と前向きに取り組む積極性が重要です。将来、自分で起業したいという野心を持つ方も大歓迎。弊社での経験をステップに、大きく羽ばたいてほしいですね。

ーー最後に、将来の展望をお聞かせください。

下津弘享:
短期的な方針として、まず安定したメモリ事業が基盤です。その上でサーバ製品や産業用コンピュータ、ストレージ製品などの販売を強化しております。またIoT分野におけるハードウェア、ソフトウェアの受託開発や自社開発製品を増やしながら柱をより太く、強くしていきます。そして、その製品やサービスを武器に、本格的なグローバル展開を加速させていきます。国内と海外、両方の市場で価値を提供できるユニークな存在になること。それが、私たちが描くアドテックの未来像です。

編集後記

営業、秘書、そして経営者。下津氏のキャリアは一見すると脈絡がないようにも見える。しかし、その根底には「人と誠実に向き合う」という一貫した哲学が流れているのだ。起業当初の苦難を乗り越え、いくつもの企業の再建を成功させた経験は、その哲学の正しさを証明している。今、アドテックという船を率いて、グローバルという未知の海へ漕ぎ出す同氏の羅針盤が指し示すのは、単なる利益ではなく「人の役に立つ」という確固たる目的地である。挑戦を恐れないリーダーの下、同社が世界でどのような航跡を描くのか、今後の展開が注目される。

下津弘享/1970年、東京都生まれ。株式会社桜庵や衆議院議員小沢鋭仁事務所での勤務を経て、1997年株式会社ギガプライズを設立。同社代表取締役社長に就任。その後、株式会社高田屋の代表取締役、株式会社マウスコンピューターや株式会社ジャストプランニングの顧問などを歴任。2015年に株式会社AKIBAホールディングスの代表取締役社長に就任。同年、AKIBAホールディングスから分割して株式会社アドテックを新設設立、同社代表取締役社長に就任。現在は、株式会社アドテックの代表取締役社長を務めるほか、株式会社ダイヤモンドペッツ&リゾートの代表取締役社長、公益財団法人 髙島科学技術振興財団 理事も務める。