
イベントプロモーションの企画・制作から、業界特化型のSaaS「プロカン」開発まで多角的に事業を展開し、グループ売上45億円・従業員数130名を誇る株式会社トータルブレーン。代表取締役の若村和明氏は、学生起業、他社での修業、再独立後の経済危機といった荒波を乗り越え、コロナ禍で売上を4.5倍に拡大させた。その原動力は“ピンチはチャンス”という言葉の本質を体現し続けたことにある。幾多の逆境の中で、いかにしてその哲学は育まれたのか。波乱万丈のキャリアを経て築き上げた、若村氏の独自の経営哲学と組織論に迫る。
学生起業から修業の道へ 組織の壁を越えるための決断
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
若村和明:
大学在学中にイベントプロモーションを手がける弊社(当時は有限会社)を設立したのがキャリアの始まりです。在学中に起業するに至ったのには理由があります。
それは父の存在です。父は大学卒業後、メーカーに就職し、真面目に働き続けて役員にまでなりました。これは、当時の一般的な価値観で言えば「成功者」のキャリアパスです。しかし、他人の連帯保証人になったことで、多額の借金を背負うことになってしまったのです。父は役員という地位にありながら、家庭は経済的に豊かではありませんでした。このことから「良い大学を出て、良い会社に入って真面目に働く」という一般的な成功ルートを辿っても、必ずしも安定した豊かな生活が約束されるわけではない、という現実を目の当たりにしました。そして、「世の中は決して甘くない」と考えるようになっていました。
これらの経験から、私は「決められたレールの上を歩むのではなく、学歴や組織に頼らずとも自らの力で稼げるようにならなければならない」と強く考えるようになって、大学在学中からの起業という道を選択するに至ったのです。
ちょうど携帯電話が普及し始めた頃で、携帯キャリア各社が大学生向けのプロモーションに力を入れていました。私は学生団体としてそのキャンペーンやイベントの企画の仕事を受注することから始めました。事業は順調に成長し、売上高8000万円、年収600万円になったのを機に、大学を中退して経営者として生きる道を決断しました。
ーーそこからどのように展開していったのでしょうか。
若村和明:
プレイヤーとして一人で稼ぐ力には自信がつきましたが、組織を率いて事業を拡大するノウハウがありませんでした。この経営者としての壁を越えるため、自らの会社は一旦整理し、急成長中のベンチャー企業へ身を投じました。“修業”として組織マネジメントや事業戦略を内部から学ぶのが目的です。社員が5年で10倍に増える成長の過程を当事者として経験できたことは、今の私の大きな礎となっています。
「ピンチはチャンス」の真髄 絶望の淵から掴んだ逆転劇
ーー急成長企業での学びを経て、ご自身の次なる挑戦はどのように始まったのでしょうか。
若村和明:
そこで得た学びを全て注ぎ込むつもりで、再び独立の道を選びました。その挑戦の始まりは、まさに絶好調そのものでした。修業時代に学んだことを実践した結果、売上はわずか3年で7億5000万円に達したのです。借金150万円からのスタートでしたが、面白いように結果がついてきましたね。人生で一番調子に乗っていた時期かもしれません。
ーー順風満帆な状況は、長く続いたのでしょうか。
若村和明:
ほどなくして、天国から地獄を味わうことになりました。新規事業に1億5000万円を投資した矢先にリーマンショックが直撃し、売上は一気に半減。それでも何とか立て直そうともがいていたところへ、今度は東日本大震災が起こり、約6億円もの仕事が全てキャンセルになってしまったのです。
ーーその絶望的な状況を、どのようにして乗り越えられたのでしょうか。
若村和明:
本当に資金繰りに窮していた時、ある先輩経営者が「平時に利益を貯めて、有事に事業を買うんだ。だからピンチはチャンスなんだよ」と、具体的な戦い方を教えてくれました。その言葉が雷に打たれたように腑に落ちて、そこから私の経営方針は180度変わりました。
ーー教えを実践したことで、その後の経営にどのような変化がありましたか。
若村和明:
まさに、その教えの通りになりました。来るべき時に備えて2013年から内部留保を厚くし続け、初めて財務的に余裕のある状態でコロナ禍を迎えました。すると、世の中が逆境にあるにもかかわらず、弊社には大きな仕事が次々と舞い込み、過去最高収益を更新し続けたのです。潤沢な資金を元手に事業を広げ、グループ全体の売上はコロナ前から約4.5倍までに成長しました。
独自の事業モデルと個性を活かす組織論

ーー現在の主力事業の内容と、それぞれの強みについてお聞かせください。
若村和明:
プロモーション事業は、企画から制作、運営までをほぼ全て自社で完結できるのが強みです。これにより品質と価格競争力を両立しています。もう一つの柱であるSaaS事業の「プロカン」は、私たちが15年以上使ってきた社内システムが原型です。受託制作業界の非効率な収支管理を解決するもので、使いやすさと圧倒的な低価格で多くの企業に導入いただいています。
ーー事業を成長させる上で、組織づくりでは何を大切にされていますか。
若村和明:
“スーパーマン”を育てるのではなく、一人ひとりの強みをどう活かすかを重視しています。たとえば、クリエイティブ能力は高いが事務作業が苦手な社員には、サポート役をつける。人が輝きやすいように仕組みを微調整するのが私の役目です。また、特定の個人に依存する組織ではなく、「成長できる環境か」「納得感のある報酬か」「やりがいのある仕事か」という3つの要素を会社として提供し続けることこそが、普遍的な強さにつながると考えています。
ーー今後の展望と、実現に必要な人材像を教えてください。
若村和明:
会社の理念を大切にした組織づくりを徹底し、5年後には売上100億円規模を目指します。世の中に良い影響を与え、永続できる会社をつくるのが目標です。そのビジョンを実現するため、事業の要であるクリエイティブプロデューサーを求めています。当社には活躍できる環境と、成果に上限なく報いる評価制度がありますので、ぜひ挑戦してほしいですね。
編集後記
学生起業、一度目の挫折、修業期間を経ての再独立、そして二度の経済危機。若村氏のキャリアは、まさに波乱万丈という言葉がふさわしい。しかし、その一つひとつの経験を単なる思い出話にせず、次なる成長の糧へと昇華させてきた経営手腕には驚かされる。特に「ピンチはチャンス」という言葉を、精神論ではなく具体的な経営手法として実践し、コロナ禍での飛躍につなげた実行力は圧巻である。その視線は、すでに100億円企業の先にある永続する組織の姿を捉えているに違いない。

若村和明/1977年千葉県生まれ。1997年、学生時代に有限会社トータルブレーンを設立し、プロモーション制作事業を展開。1999年にアルファグループ株式会社入社後、人材派遣事業を立ち上げ10億規模に成長させる。2004年に再独立し、株式会社トータルブレーンを設立、プロモーション制作事業と人材関連事業を展開。2019年株式会社PROCANを設立し、業界特化型クラウドERPを開発・販売。