※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

湯本電機株式会社は、リーマン・ショックで廃業寸前の危機に瀕していた町工場を立て直し、劇的なV字回復を遂げた実績を持つ企業である。樹脂や金属の切削加工による精密機械部品のオーダーメイド製造業で、1個からの小ロットに短納期で対応することを強みとし、国内外の幅広い産業に不可欠な「ものづくり」を支え続けている。同社を率いるのは、俳優という全く異なるキャリアを志し、紆余曲折を経て家業を継いだ代表取締役の湯本秀逸氏である。一度は離れた故郷に戻り、赤字経営の立て直しという困難なミッションに立ち向かった湯本氏。今回は、その劇的なV字回復の舞台裏にあった挑戦と、常に進化を求めるその情熱、そして未来の「ものづくり」を見据えた壮大な展望について、詳しく話をうかがった。

俳優の夢を捨て、家業を継ぐまでの道のり

ーー高校卒業後は、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。

湯本秀逸:
「サラリーマンは違う」という思いが強く、好きな映画に関わる仕事がしたいと考えていました。脚本家や監督は難しそうですが、演技ならできるのではないかという根拠のない自信があり、まずは俳優を目指すことにしたのです。

俳優にはさまざまな経験が必要だと考え、オーストラリアに1年間語学留学した後、帰国、東京でオーディションを受けては落とされる日々を数年間続けた後にアメリカに渡りました。アメリカでは自主制作の映画に出演する機会もありましたが、そこで客観的に自分を見て「俳優には向いていない」と悟り、ようやく夢を諦めることができました。肩から重い荷物を下ろしたように、心がとても軽くなったのを今でも覚えています。

ーー俳優の道を諦めてからは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

湯本秀逸:
アメリカで事業を営む方と出会い、その姿に「事業家ってかっこいいな」と憧れを抱き、その方に弟子入りを志願して東京で働き始めました。しかし、自身は一社員であることに違和感を覚えるようになっていったのです。

ちょうどその頃、疎遠になっていた父親から、リーマン・ショックで会社が大変な状況だと連絡が入りました。30歳という人生の転機を迎え、「何か自分で事業を始めたい」と考えていたものの、具体的なアイデアはなかったため、「もしかしたら、私という人材を世界で一番必要としているのは、父親の会社かもしれない」と思い至ったのです。ゼロから事業を立ち上げるにしても、まずは既存の基盤で力を試したいという思いもあり、父の会社に入社することを決意しました。

赤字経営からのV字回復を支えた独自の成長戦略

ーー当時の社内の雰囲気や印象はどのようなものでしたか。

湯本秀逸:
私が入社したのは、リーマン・ショックの真っただ中でした。社員は私を含めて15人ほどで、現場に仕事はなく、皆が椅子に座り円になって野球の話をするほど手持ち無沙汰な状況でした。

さらに、給料明細は手書き、シュレッダーはハサミという前時代的な環境を目の当たりにした私は、会社がこのままでは立ち行かなくなると強い危機感を覚えました。そこで、まずは現場から飛び込み営業や電話営業を始めました。しかし、名簿を頼りにする昔ながらの手法は効率が悪く、もっと根本から変えなければいけないと痛感したのです。

ーー具体的にはどのような施策で事業を立て直されたのですか。

湯本秀逸:
まず、インターネットを活用した集客に注力しました。当時は私たちのような製造業でウェブ集客に取り組む会社はまだ少なく、この分野を強化すれば仕事が増えると確信したのです。ホームページを充実させていくと、次第に引き合いが増え、受注がどんどん増加していきました。

仕事が増えたことで、若い人材の採用にも力を入れることができました。さらに、大阪に本社を置いているだけでは発展に限界があると感じ、東京への進出も決断したのです。出張ベースでお客様を開拓し、売上が軌道に乗ったところで、東京営業所を立ち上げました。東京での成功を足がかりに、今度は海外、特にベトナムへの展開を進め、工場を設立しました。

このように、集客、人材採用、そして国内外への拠点拡大を並行して進めたことが、会社のV字回復へとつながっていったのです。

「ものづくり」の未来を担う人材戦略と海外展開

ーー貴社の採用において、特に重視していることは何でしょうか。

湯本秀逸:
私たちは、特に若い人材の採用に注力しています。若い人たちは、活気のある環境や同年代の仲間がいることを職場環境に求める傾向があります。そこで、まずは若くて意欲のある方々に来てもらうことから始めました。若い社員が増え、彼らが楽しそうに働く姿を見たさらに若い世代が興味を持ってくれる。そうした良い循環が生まれているのです。

私たちは、社員の意見を積極的に取り入れ、会社をより魅力的な環境に変えようと努力しています。給与や福利厚生、働き方など、あらゆる面で改善を続ける姿勢が、若者が集まる理由の1つになっていると考えています。

ーー採用において、具体的にどのような人物像を求めていらっしゃいますか。

湯本秀逸:
素直な人ですね。前向きで素直、そして責任感の強い方を求めています。そうした方は、仕事をどんどん高めていこうとする「向上心」があると思うのです。いくら能力が高くても、素直さがないと途中で成長が止まってしまいますし、責任感がなければ仕事を途中で投げ出してしまうことにもなりかねません。基本的なことかもしれませんが、この三つは非常に大切だと考えています。

ーー今後、特に注力していきたいテーマはありますか。

湯本秀逸:
新規顧客の開拓、人材採用の強化、そして海外展開の3つに注力しています。会社をさらに成長させるためには、新規事業と海外展開は不可欠です。日本の人口が減少する中で、日本のマーケットは縮小していくため、地球全体を一つのマーケットとして捉えなければ、これ以上の発展は望めないと考えています。現在、アメリカ現地法人の設立を進めており、アメリカ市場への販売を計画しています。

未来の「ものづくり」へ挑む宇宙産業とロボット

ーー海外展開において、今後どのような分野に注力していくのでしょうか。

湯本秀逸:
先進国ではどこも少子化が進んでおり、人がやりたがらない作業は自動化していかなければなりません。AIが頭脳の拡張を担う一方で、物理的に何かを動かすためには必ずロボットが必要です。ロボットが普及すれば、その骨格をなす部品の需要は飛躍的に増加すると考えています。当社の技術はそうしたロボットの骨格づくりにも活用されており、今後は宇宙産業にも深く入り込んでいきたいと考えています。ゆくゆくは、あらゆる場所に当社の部品が使われているような未来を創りたいですね。

ーー最後に、貴社に興味を持つ応募者の方へメッセージをお願いします。

湯本秀逸:
私たちは今、宇宙産業やロボット産業という、未来に不可欠な分野に深く関わろうとしています。特に宇宙産業は、インターネットが普及し始めた黎明期のように、これから爆発的に大きくなる可能性を秘めた市場です。

また、ロボットも、危険な作業や人手が不足する分野を支えるために、ますます社会に普及していくでしょう。私たちが作っているのは、そうしたロボットの骨格をなす部品です。もしかしたら、未来にはあらゆる場所で私たちの部品が使われているかもしれません。

それは非常に社会貢献度の高い仕事ですし、「あの製品の部品は、うちの会社が作っているんだ」と思えることは、大きなやりがいにつながるはずです。未来の「ものづくり」に挑戦したいという情熱のある方と、ぜひ一緒に働きたいですね。

編集後記

俳優という夢を諦め、家業の再建に尽力した湯本氏の経歴は、多様な経験を経て今の成功を築き上げた軌跡と言える。その道のりの中で得た「客観的に自分を見る力」「市場を捉える洞察力」「事業家としての視点」が、会社のV字回復を支える原動力となったのだと強く感じた。常に「成長しよう」「進化しよう」という向上心を持ち、社員の声にも真摯に耳を傾け、より良い環境を追求し続けている。その飽くなき挑戦は、未来の「ものづくり」を担う若者たちに、大きな希望を与えるだろう。

湯本秀逸/1978年大阪府生まれ、高等学校卒業後 オーストラリアに1年間語学留学。その後、俳優を目指し活動、俳優は断念し進路変更、遊技機メーカーに2年間、アメリカに1年間遊学、住宅設備メーカーで2年間勤務した後、2009年に湯本電機株式会社に入社、2011年経営戦略室室長、2013年専務取締役、2018年より代表取締役に就任。現在に至る。