
岐阜県に根ざし、県内最大の米卸として地域の食を支える株式会社ギフライス。同社は、大手量販店との取引を基盤に成長を遂げてきた。しかしその道のりは、国の政策に左右される薄利な業界構造や、コロナ禍による未曾有の危機など、決して平坦ではなかった。幾多の困難を乗り越え、現在は岐阜の米のブランド化に情熱を注ぐ同社代表取締役の恩田喜弘氏。同氏はいかにして会社の成長を牽引し、未来を切り拓こうとしているのか。その軌跡と、業界の未来にかける思いを追った。
車好きの青年から米の道へ 現場から始まった歩み
ーーどのような経緯で米業界に入られたのでしょうか。
恩田喜弘:
私は工業高校の出身で、元々は車が好きでした。しかし、米屋を営む母の実家から勧められたのがきっかけで、弊社前身である岐阜米穀協同組合連合会に入社しました。私が入社した当時は、食糧管理法(※)という法律に守られた非常に堅い業種でした。辞める人も少なく、年配の社員が多かった印象です。
入社後は工場での製造・精米、配送業務をそれぞれ2年経験した後、仕入れを担当。当時は国の管理下で価格も安定しており、「いかに良い米を仕入れるか」が重要でした。食糧管理法が廃止された後も、国の機関や農協、全国の生産者から米を仕入れる業務を長く担当していました。
(※)食糧管理法:1942年から1995年まで施行されていた、米や麦など主要食糧の生産・流通・消費を国が管理するための法律。
会社の運命を変えた特販プロジェクトの始動
ーー事業における大きな転機について教えてください。
恩田喜弘:
街の米屋が衰退する中、社内で立ち上がった「特販プロジェクト」が大きな転機になりました。私はそのメンバーに選ばれ、営業強化を担当。数ある選択肢の中から大手量販店との関係深化を選択。量販店の成長と共に弊社も事業を拡大できました。現在、売上の約7割を大手量販店が占めていますが、その基盤を築いたのがこのプロジェクトです。
ーープロジェクトを進める上で、印象に残っていることはありますか。
恩田喜弘:
当時は岐阜県産米の流通が少なく、「ハツシモ」以外の銘柄はほとんどスーパーにありませんでした。その中で、私たちは飛騨地方のコシヒカリに着目し、県内でいち早く商品化しました。今では地域ブランド米として岐阜を代表する特Aランクのお米となり、広く認知されるようになりました。その礎を築けたことは感慨深いです。
ーー貴社ならではの強みは何だとお考えですか。
恩田喜弘:
大手にはできない小回りの利く営業と柔軟な対応力です。お客様からの緊急の依頼にも可能な限り応えることを信条としています。そうした地道な積み重ねで信頼を築いてきました。この姿勢がお客様に認められ、取引の拡大につながったと考えています。
苦難を乗り越え生まれた「儲かる業界」への意志
ーー米業界が抱える課題について、どうお考えですか。
恩田喜弘:
国の管理が長かった背景から価格の透明性が高く、利益を出しにくい薄利多売の構造が長年の課題です。お米が余ると価格競争が激化し、さらに利益が圧迫される悪循環に陥りやすくなっています。私たち米問屋は、飲食店の年間消費量を見越して在庫を抱えています。リスクを負いながら、一年中安定した供給を支えているのです。この「見えない努力」があることも知っていただきたいですね。
ーーこれまでにご苦労されたことはどんなことですか。
恩田喜弘:
コロナ禍では甚大な影響がありました。外食需要が激減して全体の売上は落ち込み、約4年間赤字が続く苦境に立たされたのです。業界全体が厳しい状況でしたが、金融機関の支援もあって何とか乗り越えました。この経験から改めて「儲かる業界」への転換が必要だと痛感しています。
地域の未来を拓く岐阜オリジナル米への挑戦

ーー現在、注力されている取り組みについて教えてください。
恩田喜弘:
特に力を入れているのが、岐阜県オリジナルのブランド米「清流のめぐみ」の開発です。高温に強く倒れにくいという現代の気候に適した特性を持っています。また、パッケージデザインは地元の農業高校生が担当してくれました。
「清流のめぐみ」は、私たち民間企業と生産者が主体となって育て上げた点で画期的であり、来年には県の奨励品種になる予定です。私自身が10年越しで関わってきた銘柄が、県のお墨付きを得て、この先も岐阜の地で受け継がれていく。これは本当に夢のような話です。このお米を通じて、岐阜の米のブランド価値を高め、全国にその魅力を発信していきたいと考えています。
「未来ある産業」を目指す利益体質の確立
ーー採用についてはどうお考えですか。
恩田喜弘:
米業界は求人が難しい状況にあります。特に、多岐にわたる米の種類を覚え、粘り強く取り組める人材の確保が課題です。業界の魅力を高め、次世代を担う若い人たちが入ってきたいと思えるような環境をつくっていくことも、今後の大きなテーマといえます。
ーー今後の展望についてお聞かせください。
恩田喜弘:
今後力を入れていきたいことは3つあります。1つ目は「既存取引先との関係深化」です。主要なお客様との関係を強固にしつつ、地域の小規模店にも密着した販売を継続します。2つ目は「後継者の育成」です。5年後、10年後を見据え、会社を背負って立つ人材を育てます。そして3つ目は「新商品の開発」です。それを通じて業界の利益構造を改善し、未来ある産業にしていきます。
編集後記
薄利多売という業界構造、コロナ禍の苦境を乗り越えた恩田氏。10年の情熱を注いだブランド米「清流のめぐみ」は、単に美味しい米をつくる試みではない。生産者と共に利益体質を築き、次世代に「未来ある産業」としての農業を示す。それがこの米に込められた戦略である。現場を知るリーダーの情熱が、岐阜の農業の次代を力強く切り拓いていくだろう。

恩田喜弘/1965年、岐阜県山県市相戸生まれ。18歳で株式会社ギフライスの前身である岐阜米穀協同組合連合会に入社。精米工場、配送、仕入、営業業務を経て、2022年春に代表取締役に就任。岐阜県産米のブランド化に注力している。