
栃木県足利市に拠点を構え、民間航空機のジェットエンジン部品製造を手がけるAeroEdge株式会社。同社は、世界の航空機メーカーが使用する部品において、日本で唯一の量産技術を確立している企業である。その技術は世界で2社しか持ち得ないものだ。新型コロナウイルスのパンデミックさえも成長の好機と捉え、大胆な改革を実行する同社代表の森西淳氏。その経営手腕の根底には、幼少期から抱き続けるヒーローへの憧れと、従業員への深い感謝があった。前職での挫折を原動力に会社を設立し、世界へ挑み続ける同氏に、その軌跡と未来への展望をうかがった。
指導者なき環境が育んだ独創性 挫折から始まる世界への挑戦
ーー社長が製造業に携わることとなったきっかけは何だったのでしょうか。
森西淳:
地元を出て関東の会社で働き始め、その中で製造業という分野に自身の成長と大きな可能性を見出しました。中でも菊地歯車は特に技術力で名高い企業でした。「ここでなら最高の技術を学べる」と確信し、入社を決意しました。そこでは、金属を回転させて削る旋盤技術の研鑽に加え、より専門的な技術の習得を目指しました。その一つが、後に弊社の基盤となる回転する刃(工具)の力で精密加工を行う「切削加工」です。
当時の職場には、その事業特性から私が学びたい技術を体系的に指導してくれる人はいませんでした。しかし、私にとってはむしろその環境が良かったと感じています。指導者がいると、知らず知らずのうちに型にはまってしまうことがあります。誰も教えてくれないからこそ、自分で探し、自分で実行するしかありません。その状況が、結果として私を次の成長ステップへと導いてくれました。自ら道を切り拓くしかなかった経験が、間違いなく今の私の土台となっています。
ーーAeroEdge社を設立したきっかけは何だったのでしょうか。
森西淳:
菊地歯車に入社して数年後、航空宇宙部門の立ち上げに携わったことがきっかけです。当時、日本の中小企業が航空産業に参入する場合、その多くは二次下請け(※1)でした。しかし私たちは、発注元であるメーカーと直接取引する一次下請け(※2)の立場で、仕事の獲得を目指したのです。結果として、その挑戦は当時の会社の体制では実現できませんでした。この挫折が、今日のAeroEdgeを設立する最大の原動力となりました。
(※1)二次下請け:一次下請けの事業者から、さらに仕事の一部を請け負うこと。
(※2)一次下請け:発注元の事業者から、直接仕事を請け負うこと。
世界で二社のみが持つ量産技術 航空業界を支える圧倒的な強み

ーー貴社の主力事業と、その強みについてお聞かせください。
森西淳:
弊社は「ゼロからイチを創る」という経営理念を掲げ、事業を展開しています。主力は航空機エンジン部品の製造・販売です。特に強みを持っているのが、最新鋭の航空機エンジン「LEAP」に搭載されるLPT(低圧タービン)ブレードの製造であり、フランスの大手航空エンジンメーカーである「サフランエアクラフトエンジンズ」と長期供給契約を締結しております。私たちは、この軽量かつ高強度な「チタンアルミ製低圧タービンブレード」の量産加工をしておりますが、この最先端部品の量産技術は、世界でもわずか2社しか保有しておらず、弊社はその一翼を担う日本で唯一の企業なのです。
ーー厳しい市場で勝ち続けるための経営戦略について教えてください。
森西淳:
経営は計画性が全てだと考えています。目標を必ず達成するため、いかに緻密な計画を立てられるかが重要です。それも一つのパターンだけではありません。順調に進むシナリオや難航するシナリオなど、複数の可能性を常に想定します。そして、どのような状況に陥っても最終的にゴールへ到達できるよう、手を打ち続けるのです。
私にとって会社のターニングポイントは毎日訪れますが、中でも新型コロナウイルスのパンデミックは大きな転機の一つでした。当時、航空機の需要が激減する中、私たちはただ生き残るだけでなく、この期間を通じて「より強くなる」ことを目標に掲げました。
具体的には、従来の日本的な改善の枠を超えるような、抜本的な改革を実行。工程の全面的な見直しによる大幅な原価低減や、DXの導入などを2年がかりで推進。これにより組織が進化しました。人によっては「失われた2年」と捉えるかもしれませんが、私たちはこの危機を有益に活用し、会社にとっての「成長の期間」とすることができたのです。
かっこよく生きるという信念 従業員と共にあるべき経営の原点
ーー経営者としての信念や、仕事への原動力の源について教えてください。
森西淳:
人生で一度だけ、本気で「ヒーローになりたい」と思ったことがあります。それは幼い頃の夢ですが、不思議と今でも私の中に生き続けています。私にとってヒーローとは、どんな困難にも負けず、人を助け、そして「かっこよく生きる」存在です。この考えが、何事も諦めずにやり遂げるという姿勢につながっているのだと思います。
ーー社員との関係で最も大切にされていることは何でしょうか。
森西淳:
社員が会社に投下してくれている貴重な時間を、会社の成長を通じて彼らに還元していくこと。それが、私にできる「正しいお礼」だと考えています。なぜなら、私(社長)の時間は彼らから与えてもらっているものだと認識しているからです。もちろん、業務上の指示は役職や個々のレベルで異なります。しかし、人としてのお付き合いは、全ての社員と平等であるべきだという思いが根底にあります。
個人のひらめきを成長の種へ 思いつきを実現できる組織の未来
ーー貴社がこれから目指す未来についてお聞かせください。
森西淳:
私たちが目指す未来、それは「思いつきを実現できる会社」になることです。従業員一人ひとりが持つ「アイデア」や「ひらめき」を、決して単なる思いつきでは終わらせません。会社が実現のための環境と時間的な余裕を提供し、個人のひらめきを会社の成長の種へと育てていきます。そして、その成長が利益として再び個人を豊かにするのです。
この幸福なサイクルを回し続けることこそが、従業員全員が「幸せになる」という私たちの最終ゴールにつながる道だと信じています。現在の順調な成長は、あくまでその土台づくりに過ぎません。今後はこのサイクルを組織全体で加速させ、より大きな未来を拓いていきます。
編集後記
幼少期に抱いた「ヒーロー」への憧れ。その純粋な思いが、幾多の困難を乗り越え、世界でも類を見ない技術を持つ企業を牽引する原動力となっている。森西氏の言葉は、情熱的でありながらも、全てが緻密な戦略と合理的な思考に裏打ちされていた。そして、企業の最終目標を「従業員の幸福」に置くという思いは、働くことの本質的な価値を改めて教えてくれる。同社が描く未来は、日本の製造業の新たな地平を切り拓いていくに違いない。

森西淳/1994年、菊地歯車株式会社(AeroEdge株式会社の親会社)に入社し、航空宇宙部門の立ち上げに参画。多数の航空宇宙事業を開拓する。2013年、欧州の大手エンジンメーカーであるSafran Aircraft Engines(当時SNECMA、以下Safran)とLEAP事業における長期契約締結を実現。2015年9月、菊地歯車株式会社の航空宇宙事業部門から独立する形でAeroEdge株式会社設立。Safranからの厳しい品質要求に応えながら、難削材であるチタンアルミを加工した低圧タービンブレードの量産体制を早期に確立。グローバル市場で通用する体制の構築と組織マネジメントを主導し、経営者として企業の成長を牽引。2018年1月、菊地歯車株式会社取締役に就任。2019年9月より代表取締役社長兼執行役員CEOに就任。