
自動車の足回りなど、重要保安部品に使われる「緩み止めナット」を主力製品とする株式会社イズラシ。冷間圧造技術を強みに、鉄だけでなく銅やチタンなど多様な素材の製品を大量生産する技術を持つ。現在、同社を率いる堤親朗氏は、23歳で家業に入り、1995年に発生した深刻な品質問題を乗り越え、2000年に代表取締役へ就任した。現在、社員の「幸せ」を第一に、働きやすい職場づくりと健康経営を推進している同氏に、これまでの歩みと「100億円企業」という大きな目標への戦略を聞いた。
異次元の品質管理を学んだ出向時代
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのですか。
堤 親朗:
日本大学を中退後、経理学校を経て23歳のときに家業である弊社に入社しました。実は当初、代議士の秘書になりたくて地元を離れていたのですが、母から電話があり、「頼むから戻ってきて」と懇願され、家業に戻ることを決意しました。
入社して約1年間、当時資本関係はありませんでしたが親会社のような関係だった株式会社フセラシ様へ出向しました。フセラシ様には7年間在籍し、品質管理、生産管理、そして営業本部と、さまざまな部署を経験しました。
特に印象的だったのは、品質に対する考え方、その突き詰め方です。コンピューターを利用した管理体制や、品質に関する徹底的な作り込みは、当時の弊社とは二段も三段も上の管理レベルでした。この経験が、弊社に戻ってからの品質向上の取り組みの原点となっています。
会社を揺るがした品質問題と営業組織の確立

ーー貴社に戻られて、まずどのようなことから着手されたのでしょうか。
堤 親朗:
29歳で弊社に戻ってからは、まず「フセラシ様の品質レベルに」という気持ちで、品質向上に取り組みました。また、お客様が来られたときに「綺麗ですね」と言われる会社にしようと、3S(整理・整頓・清掃)から徹底して推進しました。
さらに、当時弊社には営業部門がなかったので、新しい組織をつくることにしました。その際、メンバーには「お客様に絶対に嘘をつかないこと」と、「お客様に利益があるオリジナリティのある提案をすること」を徹底的に指導しました。具体的には、見積もりを作成する際も、お客様の要望通りの見積書と、私たちが考える「提案型」の検討資料、2つを必ず提出するようにしていたのです。
ーー事業を進める中で、特に印象に残っている出来事はありますか。
堤 親朗:
1995年に発生した、大きな品質問題です。会社が倒産するのではないかと思うほどの深刻なもので、超重要保安部品のナットのNG現品を見たときは、大きな恐怖を感じました。
自社の力だけでは到底解決できないレベルの問題だったため、フセラシ様が全面的に支援してくださいました。品質担当の常務が弊社に常駐してくださり、完成品の取り替え作業といった膨大な労力がかかる作業も、フセラシ様の社員の方々が「こっちは私たちに任せろ」と引き受けてくださったほどです。この出来事によって、役員だけでなく末端のメンバーまで「品質を良くしなければダメだ」という意識が全社に浸透しました。
この問題の発生は、結果として会社の品質に対する考え方を根底から変える「膿出し」の機会となり、最大の転換点になりました。
社員の「幸せ」を追求する職場改革
ーー代表取締役に就任された後、まずどのようなことに取り組まれましたか。
堤 親朗:
社長になってまず取り組んだのは、福利厚生の充実です。給与もそうですが、「社員が幸せになれる会社」を目指そうと考えました。その一環として、社員が無料で使えるトレーニング施設を整え、健康面をサポートしています。私自身、30歳のときに工場の屋根の修理中に7.5メートル落下し、「半分以上は死ぬ」と言われるほどの大怪我をした経験があります。怪我や病気で痛い思いをするのは自分自身です。弊社でもリスクマネジメントを徹底させると同時に「自分の体は自分で守る」ことの重要性を、社員へ伝えています。

さらに、弊社は「女性にとっても働きやすい会社経営」を強く推進しています。社内ではフェムテックに関する活動も始まりました。産休・育休なども含め、女性が働きやすい環境を整えていくことは、当然、男性にとっても働きやすい会社になっていくと私は確信しています。これからも社員の幸せを第一に考えた経営を続けていきます。
ーー社員のために取り組まれたことで、印象的なエピソードはございますか。
堤 親朗:
入社当初、女性社員から「お母さん、油くさい」と子どもに言われる、という話を聞いてショックを受けたことがあります。工場で製品が熱くなると油が燃えて油煙(ゆえん)が発生し、それが作業着や髪についてしまうのです。そこで、少し高価でも燃えにくい油に変更しました。すると油煙が劇的に減っただけでなく、金型が焼けにくくなり、工具の寿命が飛躍的に伸びるという、大きな副産物もありました。
100周年の100億円企業へ TNS活動で未来をつくる
ーー改めて、貴社の事業内容と強みをお聞かせください。
堤 親朗:
自動車の足回りやサスペンションを止める「緩み止めナット」が主力で、高いシェアを持っています。強みは、冷間圧造という技術で、切削ではなく圧力をかけて材料を成形することです。これにより1分間に数百個という単位での大量生産が可能です。鉄だけでなく、電気分野で使われる銅や真鍮、あるいはチタンといった多様な素材の加工技術も高めています。
ーー今後の目標を教えていただけますか。
堤 親朗:
14年後に創業100周年を迎えるのですが、それまでに「100億円企業」になることを目指しています。現在は40億円ほどの規模ですから、大きな挑戦です。そのためには、従来の自動車部品一辺倒ではなく、電気自動車の関連パーツや太陽光発電の部品など、新しい分野へ積極的に販路を拡大していく必要があります。
そのためにも「To the Next Stage(次のステージへ)」の頭文字をとった「TNS活動」をはじめました。これまでは外部コンサルの指導を仰いでいましたが、今期からは社内の力で独立して活動を推進しています。特に注力しているのは、ヒューマンエラーなどの「管理不良」を徹底的に減らすこと。たとえば、製品の梱包時に前のロットの残留品が混入するなどの人為的なミスを撲滅するため、工程ごとの点検を徹底しています。品質をさらに高めると同時に、生産性を向上させ、現在の設備で1.5倍の生産量を目指し、品質と生産性の両輪を回していくことが重要です。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
堤 親朗:
弊社が目指すのは、「アットホームな中で規律のある会社」です。かつて田舎ならではの団結力を持っていた良さを残しつつ、部署間で協力し合える風土を大切にしています。現在は、若手メンバーが中心となって地域のお祭りを主催するなど、社内だけでなく地域との繋がりを深める活動も積極的に行っています。
中でもバスケットボール部は、部員たちが小中学生を対象にクリニックを行うなど地域の方々と交流を深める一方で、第101回天皇杯では静岡大会(1次ラウンド)で優勝、東海大会(2次ラウンド)で第3位という成績を収めました。全国社会人選手権大会にも3年連続で出場し、令和6年度には全国第3位に輝いており、今後もさらなる高みを目指して挑戦を続けます。
弊社は、単なるナット製造企業ではなく、働く人々の幸せと健康、そして地域社会の活性化を大切にする企業です。この挑戦に共感し、一緒に会社を築いてくれる仲間を心から歓迎します。
編集後記
1995年、会社を倒産の危機に追い込んだ品質問題。堤氏が「震えるぐらいの恐怖を感じた」と語ったその経験は、同社のDNAに「品質」という言葉を深く、そして永遠に刻み込んだ。しかし、同社の真の強みは、その教訓を「人」への投資に変えた点にある。社員の「幸せ」の追求が、巡り巡って企業の競争力と技術力を生み出しているのだ。100億円企業への挑戦は、単なる数字の目標ではない。それは、過去の痛烈な教訓と、働く仲間への深い思いに裏打ちされた、同社にとって避けて通れない必然の挑戦である。今後の飛躍が楽しみでならない。

堤親朗/1961年静岡県生まれ。日本大学を中退後、有限会社伊豆螺子製作所(現株式会社イズラシ)に入社し、7年間株式会社フセラシ様に出向。1994年取締役就任後、2000年に代表取締役に就任。