
石川県小松市に拠点を置き、地域のインフラ整備を担う一松建設株式会社。同社は2024年1月に発生した能登半島地震において、発災直後から復旧・復興事業に尽力し、地域社会に大きく貢献している。同社を率いるのは、プロの作曲家を目指し、宝石の営業マンを経て建設業界へ転身した経歴を持つ代表取締役の一松幸司氏だ。経営の岐路に立っていた会社をいかにして立て直し、短期間で急成長へと導いたのか。その原動力である恩師との出会いや、社員が「ワクワク」できる会社づくりという独自の経営論に迫る。
音楽の道から経営の礎へ 人生を変えた恩師との出会い
ーーまずは、これまでのご経歴についてお聞かせください。
一松幸司:
もともと音楽が好きで、18歳のときに作曲家を目指して大阪の音楽専門学校へ進学しました。在学中には、アニメ「名探偵コナン」の音楽を制作していたレコード会社のディレクターから「曲ができたら持ってきて」と声をかけていただく機会もありました。
しかし、当時は一歩踏み出す勇気がなく、そのチャンスを活かせませんでした。卒業後はプロの道を諦めて、30歳頃まで宝石の営業マンとして働いていました。その後、将来を案じた親から「地元に戻り、新しい道を探してはどうか」と促され、故郷の石川に戻りました。
ーーこれまでにターニングポイントとなったご経験はありましたか。
一松幸司:
石川に戻ってから5年間は住宅販売の営業として働いたのですが、その会社の社長との出会いが私の人生を大きく変えました。年間5棟売れれば一人前といわれる業界で、その方は紹介だけで25棟も売る「スーパー営業マン」でした。
当時の私は経営者を目指していたわけではありませんでしたが、仕事との向き合い方から経済の仕組みまで、本当に多くのことを熱心に教えていただきました。特に印象に残っているのが、マザー・テレサの「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから」という一説です。思考が言葉、行動、習慣、性格、そして運命へと繋がることを示唆するこの教えは、今でも深く心に刻まれています。
ーーどのような経緯で貴社に入社され、会社をどう変革されたのですか。
一松幸司:
弊社は妻の実家なのですが、当時は経営が厳しく、岐路に立たされているような状況でした。後継者として「会社を手伝ってほしい」と頼まれたのが入社のきっかけです。
土木の知識はゼロでしたが、まずは営業経験を活かしました。それまでは自社の職人だけで対応できる工事しか請け負っていませんでしたが、私は積極的に仕事を受注し、外部の協力会社と連携して、請け負える仕事の量を増やしていきました。社内に向けては、地元の金融系コンサルタントにも協力してもらい、年間の目標などを「見える化」しました。すると社員が自発的に目標に向かって動くようになり、会社全体が活性化していったのです。
社員のワクワクが原動力 「愛される会社」が担う復興への使命

ーー経営において最も大切にされている理念は何でしょうか。
一松幸司:
会長がつくった「愛される会社」という標語を大切にしています。お客様や地域からはもちろん、社員からも愛される会社でありたい。そのために、社員には常に「ワクワク」しながら仕事をしてほしいと願っています。
社員が良い仕事をすれば、それがお客様の信頼につながり、また新しい仕事を呼び込みます。そのワクワクの土台をつくるため、現場で使うサービスカーを全て新車にしたり、測量作業が1人でできる最新機器を導入したりと、働きやすい環境への投資は惜しまないようにしています。
ーー能登の復興事業には、どのように関わっていらっしゃるのですか。
一松幸司:
発災した1月1日から現地に入り、寸断された道路に迂回路をつくるなど、緊急車両が通る道を確保する作業に携わりました。そのとき、「自分たちのような存在がいなければ、地域の方の生活は前に進まないのだ」と、この仕事の社会的な使命の大きさを改めて実感しました。現在は、珠洲市などで被災した建物の解体から、本格的な復興に向けた土木工事まで一貫して携わっています。
会社の未来を創る DXと若手採用への挑戦
ーー貴社の今後の注力分野について是非お聞かせください。
一松幸司:
おかげさまで仕事は順調に増えており、経営は非常に良い状況です。だからこそ、今は守りに入るのではなく、積極的に攻めていくときだと考えています。建設業向けの管理システムを導入して、案件管理から原価管理、ISOの監査資料までクラウドで一元化するなど、DXを推進して強固な社内体制を構築することに注力しています。
ーー今後どのような方々と一緒に働いていきたいとお考えでしょうか。
一松幸司:
弊社には、豊富な経験と高い技術を持つベテラン社員が多数在籍しており、専門的な知識を深く学べる環境が整っています。一方で、これからの会社を共に創っていく上では、先輩から後輩へと技術を継承する縦の繋がりだけでなく、同世代で支え合い、切磋琢磨できる横の繋がりも不可欠だと考えています。そこで今年、会社として初めて新卒採用をスタートし、未来を担う仲間を同時期に複数名お迎えすることにしました。会社の未来を担う若手には積極的にチャンスを与え、資格取得の支援なども全力で行います。専門家による健康サポートの制度も整えていますので、意欲のある方とぜひ一緒に、これからの会社を成長させていきたいです。
ーー最後に、読者へメッセージをお願いします。
一松幸司:
私自身、作曲家を目指して挫折したり、遠回りしたりと、決して順風満帆なキャリアではありませんでした。しかし、その時々の出会いや経験が、間違いなく今の自分を形づくっています。皆さんも、目の前のことに真剣に取り組む中で、自分をワクワクさせてくれる何かを見つけてほしいです。そして、もし私たちの仕事に少しでも興味を持ってくれたなら、ぜひ一度話を聞きに来てください。皆さんのような若い力と出会えることを楽しみにしています。
編集後記
音楽の道を志し、宝石営業を経て建設業界へ。一見、回り道に見える一松氏の経歴は、「思考が運命を創る」という恩師から受け継いだ一つの教えによって、太い線で結ばれている。「社員にワクワクしてほしい」。その理想を語るだけでなく、最新機器の導入やDX化といった具体的な投資によって、理想を「現実」にするための土台を徹底的に固める。その現実的な視点と行動力こそが、会社を急成長させ、能登復興の最前線で戦える強固な組織を築き上げた原動力だ。理想を理想で終わらせない。その地に足の着いた経営手腕に、同社の確かな未来を見た。

一松幸司/1978年石川県生まれ。18歳でプロの作曲家を目指し大阪へ。2017年、妻の実家である一松建設株式会社に入社。2020年に同社代表取締役社長に就任。能登の復興にも注力している。