※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

福岡県久留米市に本社を構え、150年以上の歴史を持つ老舗靴メーカー、株式会社ムーンスター。同社は、取引先の破綻やライセンスブランドの終了、リーマン・ショック、そしてコロナショックと、幾度もの深刻な経営危機に直面してきた。その荒波を乗り越え、現在代表取締役社長として改革の舵を取り続けているのが、井田祥一氏である。度重なる危機回避の結果、効率的な経営体質を築き上げた今、同社は「次の100年」を見据えた新たな成長戦略のスタートラインに立っている。井田氏に、危機を乗り越えた道のりと、直販戦略やものづくりの精神を次世代へ伝える新たな挑戦について話を聞いた。

経営企画部門への配属が試練の道の始まり

ーーキャリアのスタートについてお聞かせください。

井田祥一:
当時の経済環境は現在ほど厳しくなく、「田舎に戻ってのんびりできればいいかな」という程度の考えでした。地元に近い会社を何社か受け、最終的に月星化成株式会社(現・株式会社ムーンスター)とご縁があり、入社しました。

入社してすぐ東京に配属され、マーケティングや営業の仕事を14年ほど担当しました。当時は景気に恵まれていた時代で、市場調査で各地を回ったり、会社も芸能人をキャラクターに使ったりと広告宣伝費も潤沢でしたので、のびのびと仕事することができました。

ーーその後のキャリアで、特に転機となった時期はいつ頃でしょうか。

井田祥一:
東京から久留米に戻り、経理の仕事を2〜3年経験した後、2000年に経営企画部門に配属された頃からです。ちょうどその頃から試練にさらされるような経験が始まりました。久留米に戻ってすぐ、当時、業界をリードする主要な1社が破綻し、弊社も連鎖倒産するのではないかというほどの経営危機に陥ったのです。私が経営の仕事に関わり始めたタイミングが、まさに茨の道の始まりでした。

相次ぐ経営危機と効率的な経営体制の確立

ーー経営企画部門に移られてから、会社はどのような状況に直面したのでしょうか。

井田祥一:
その経営危機を乗り越えるのに精一杯な状態が、10数年続きました。まず、取引先の破綻があり、その後2005年頃には、弊社の収益の柱だった「コンバース」ブランドのライセンスが終了となり、2度目の大きな経営危機が襲ってきたのです。

そこでやむなく人員整理を実施し、多少回復しかけたかと思ったところに、リーマン・ショックが訪れました。私は経営の仕事に社員として関わり始めてから、ずっとそうしたリストラの歴史を経験してきました。なんとか経営危機を乗り越えるので精一杯でした。

その後、多少の水平飛行を経て、2020年のコロナが始まった時点で、今度は私が社長に就任しました。過去最大といっていいほどの経営危機が訪れ、それが明けそうになると今度は急激な円安と原料高騰が課題となりました。

ーーその厳しい状況下で、どのような改革を進めてこられたのでしょうか。

井田祥一:
月並みですが、不採算事業を整理し、人員整理も実施しながら、効率的な経営体制を構築するというプロセスです。私はそれを、管理職としてではなく、手を動かす実践部隊として経験してきました。儲かるビジネスとそうでないものを選別し、規模は縮小しても、しっかりと生き残っていく会社を目指して取り組んできたのです。

ーー危機的な状況下から現在に至るまで、経営者として大切にされてきたことは何ですか。

井田祥一:
弊社は老舗企業ですから、やはり「人」が財産だという思いがあります。特に久留米には自社工場を抱えています。どんなことがあっても、ものづくりの一番の強みである自社工場だけは失わないようにしつつ、極力、人の部分には手をつけずに人材を大切にしたいと考えていました。ただ、結果として人員整理が伴ったため、守らなければいけないところを守りつつも、やむを得ず縮小してしまったことは、後悔として残っています。

経営者として舵を取る現在は、物事をバランスよく見ることを特に意識しています。マクロ環境、会社の強みと弱み、取引先や国内外のマーケットの状況。それらをバランスよく捉え、的確に軌道修正しながら進めていくことです。会社を拡大させることばかりが目的ではありません。最終的には、従業員が将来にわたり安定し、豊かで充実した生活を送れるようにすること。それが果たすべき目的だと考えています。

「次の100年」に向けた直販戦略とものづくりへの思い

ーー今後の成長戦略について、お考えをお聞かせください。

井田祥一:
事業構造改革はようやく一段落し、現在は次の100年に向けた新たな成長戦略のスタートラインに立ったと考えています。これまでは守りが中心でしたが、これからは日本のものづくりの価値を発信するブランドとして、攻めに転じる段階です。その戦略として、ブランド価値を最大化するためには、お客様と直接つながる直販が不可欠です。その核として、久留米の本社内としては初の直営店「PLATO MOONSTAR」を2026年1月にオープンします。直営店は単なる店舗ではなく、ものづくりやブランドの世界観を直接お伝えする、地域コミュニティースペースとしての役割も持たせる計画です。

また、EC事業も二桁成長を続けていますが、これをさらに加速させます。特に手数料負担の少ない自社公式サイトへの集客を強化し、直営店と連携させることで、ブランド価値の最大化を図ります。

ーー久留米本社の直営店での具体的な取り組みと、今後の展望をお聞かせください。

井田祥一:
直営店では、工場見学や靴づくり体験といったプログラムも導入したいと思っています。これは、幅広い層の方々に、ものづくりの楽しさや奥深さを直接感じていただくための投資です。まずは、私たちが持つものづくりの価値を、国内外のお客様に正しく、深く伝えていくことが重要だと考えています。危機を乗り越える強い企業から、日本のものづくりの価値を世界に発信するブランドへと進化を遂げていきます。

ーー最後に、ものづくりに興味を持つ若い世代へメッセージをお願いします。

井田祥一:
やはり、若い人たちにも、ものづくりの会社で働く意義や面白さにもっと目を向けていただきたいです。弊社では、オートメーションと手作りが共存しています。自分たちが「こういうものを作りたい」と思ったものが、きちんと形となってできあがり、それが店頭に並ぶ。そういった面白さや大きなやりがいを感じられる会社だと自負しています。ITや他の業界だけでなく、ものづくりの会社にもぜひ目を向けてください。

編集後記

幾度もの経営危機を、粘り強く乗り越えてきたムーンスター。井田氏の言葉からは、「自社工場は失わない」「人が財産」という、ものづくりの根幹を守り抜く強い決意が伝わってくる。「最終的には、従業員が将来にわたり安定し、豊かで充実した生活を送れるようにすること」。この経営目的が、地道な「効率的な経営体制の構築」という土台の上に、事業の安定をもたらしたことは明らかだ。そして今、同社は「守り」から「攻め」へと舵を切り、日本のものづくりを世界へ発信しようとしている。この新たな挑戦は、激しい時代を生き抜くすべての中小企業にとって、大きなヒントとなるだろう。

井田祥一/1960年生まれ、福岡県出身。中央大学法学部卒業。1983年月星化成株式会社(現・株式会社ムーンスター)入社。取締役経営企画担当、同管理本部長、同マーケティング本部長などを経て、2020年同社代表取締役社長に就任。