※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

靴下を中心とした服飾雑貨の企画・卸売を手掛ける株式会社マリモ。創業69年を迎える同社は、アパレル不況の荒波の中で大きな変革期を迎えていた。その舵取りを担うのが、創業者の孫である代表取締役の日比野ほのか氏だ。

敬愛する祖父と共に働きたいという一心で入社後、会社の危機を前に自ら代表就任に名乗りを上げた。旧弊を打破する改革を断行し、祖父への思いから生まれたユニバーサルデザイン商品は、会社の新たな活路を拓く。伝統を守りながら挑戦を続ける、その情熱の源泉に迫る。

祖父への憧れから始まったキャリア 入社の決め手は「残された時間」

ーー入社された経緯についてお聞かせください。

日比野ほのか:
子どもの頃から祖父に強く憧れており、「一緒に仕事がしたい」という純粋な思いをずっと抱いていました。大学3年生で就職を考え始めたときにその気持ちを思い出し、まずはインターンとして会社に入りました。家族からは「最初は外で修行しなさい」と言われていましたが、祖父は当時80歳近く、一緒に働ける時間は限られていると強く感じたのです。インターンを経て会社に貢献したいという思いも芽生え、家族を説得して入社しました。

ーーインターン時代に最も印象的だったことは何ですか。

日比野ほのか:
祖父の偉大さを改めて知ったことです。商談に同行すると、他社の社長から「祖父の資金援助のおかげで今がある」と感謝されたり、中国の工場の方から「私たちにとって靴下のお父さんだ」と言われたりしました。国内生産が主流の時代にいち早く海外生産を導入した祖父は、業界で“靴下のパイオニア”と呼ばれていたのです。仕事とは、単に物を売るのではなく、人の生活を支えることだと学びました。

業界の逆風と危機感。若きリーダーが自ら起こした変革

ーーその後、どのような経緯で社長に就任されたのでしょうか。

日比野ほのか:
祖父が86歳で代表を退くことになり、会社の今後を話し合う家族会議で、私自身が社長になることを立候補しました。入社から約2年、営業として働く中で、会社が時代の変化から取り残されていることに強い危機感を抱いていたからです。周りの同業他社が次々と廃業していくのを見て、このままでは会社が潰れてしまう、本気で変わらなければいけないと。自分が先頭に立って改革を進めるしかないと覚悟を決めました。

ーー社長就任当時、特にどのような点で苦労されましたか。

日比野ほのか:
社内では最年少で社歴も一番浅かったため、ベテラン社員の方々との価値観の違いに直面し、人の心の問題で最初は苦労しました。また、当時はアパレル業界全体が斜陽産業といわれ、取引先の廃業も少なくありませんでした。会社の存在意義そのものが問われる中で、どうすれば生き残れるのか、常に模索する日々でした。

ーー社長就任後、具体的にどのような改革に着手されたのですか。

日比野ほのか:
まず着手したのは、商品の魅力向上です。営業時代にお客様からいただいたアドバイスを元に、デザインや企画のあり方を根本から見直しました。経験則に頼らず、徹底的な市場調査を行い、靴下のデザイン、機能性、パッケージに至るまで、全てを全く新しいものに作り変えたのです。また、業界特有の古い慣習が会社の損失につながることもあったため、お客様とのお取引を適正化しました。社内に残っていた「女性だからお茶くみをする」といった旧来の風潮もすべてなくし、性別を問わず能力で評価される職場環境の整備を進めました。

2Way靴下「ほのん」でグッドデザイン賞受賞。愛する祖父への想いから生まれた新ブランドの挑戦

ーー貴社のものづくりに、大きな影響を与えた出来事や出会いはありますか?

日比野ほのか:
私のものづくりに最も大きな影響を与えたのは、祖父の病気です。社長就任時から「人の役に立つ商品をつくりたい」という思いはありましたが、具体的なアイデアはありませんでした。そんな時、祖父が病気で片目が見えなくなり、歩行も困難になってしまったのです。祖父が色の判別に苦労したり、「靴下が履けない」と頼んできたりする姿を見て、一番身近な人を助けたい、その一心で開発をスタートしました。

そうして生まれた片手で履ける2Way靴下「ほのん」は、2023年にグッドデザイン賞を受賞しました。この商品がきっかけで、小売事業にも挑戦することになったのですが、お客様の声を直接聞けるようになったことが何よりの変化です。私たちが想定していなかった商品の使い方を教えていただいたり、「もっと可愛いデザインを」というご要望をいただいたり、まだ拾いきれていないニーズがたくさんあることに気づかされました。お客様からの「ありがとう」という言葉が、私たちのものづくりが間違っていなかったという自信になり、かけがえのない財産になっています。

挑戦を続ける組織へ。未来を見据えた事業展開と社会貢献

ーー今後、特に注力していきたいテーマは何でしょうか。

日比野ほのか:
祖父の代から続く卸売事業を大切にしながら、ネット通販を中心とした小売事業を新たな会社の軸として育てていきたいです。そして、祖父が海外からの「輸入」で事業を革新したように、私は日本のものづくりの魅力を世界に届ける「輸出」に挑戦したいと考えています。

社会貢献の一環で、中学校でキャリア教育の授業をさせていただく機会も増えました。そういった、ものづくりの背景にある作り手の思いを、これからの時代を担う子どもたちに伝えていくことも、私たちの大切な役割だと感じています。

創業100年企業へ。祖父の思いを継ぎ、発展への誓いを新たに

ーー貴社の事業や働く環境における一番の強みは何でしょうか。

日比野ほのか:
当社の強みは2つあります。まず、事業内容として、靴下を中心とした服飾雑貨のファブレスメーカーであり、専門商社であることです。自社で企画開発した商品を日本全国の小売店様や通販会社様へ卸す事業はもちろん、お客様のブランドの商品を製造するOEM・ODMも手掛けています。今後は、こうした事業基盤に加え、福祉用具に関する専門知識を生かしたユニバーサルデザインのものづくりを大きな強みとしたいです。福祉施設とのパートナーシップが10年ほど続いており、障がいのある方々と仕事に取り組んできた歴史も私たちの強みです。この経験を、より一層商品開発に生かしていく考えです。

そして、働く環境における強みは、「やらずに後悔するなら、やって後悔」という挑戦を大切にする社風です。やりたいという思いがあれば、企画から販売まで一貫して自分で手掛けられる。それが大きなやりがいと、今までにないものを生み出す力につながっています。また、女性社長として、社員がキャリアと家庭を両立できる体制づくりにも力を入れています。

ーー100年企業を見据え、今後の展望と意気込みをお聞かせください。

日比野ほのか:
来年、弊社は創業70年を迎えます。後継ぎとしての私の役割は、会社を守るだけでなく、発展させて未来へつなぐことだと考えています。そのために、中期的には小売事業を軌道に乗せ、産学連携で学生と協力したり、地域を巻き込んだイベントを開催したりすることで会社の認知度を高めていきたいです。長期的には、海外展開と自社ブランドの確立を目指します。100周年を現役で迎えるつもりで、多くの人の生活を支えてきた祖父の思いを継ぎ、責任を持って会社をさらに盛り上げ、今以上に社会の役に立てる企業へと成長させていきたいです。

編集後記

祖父への深い敬愛から始まったキャリアは、会社の危機を救うという使命感へと変わり、そして今、身近な人を思う優しさが社会全体の課題を解決する力へと昇華している。日比野氏の話からは、その一貫した情熱が伝わってきた。伝統という土台の上に、失敗を恐れない挑戦という名の種を蒔き続ける。そのしなやかで力強いリーダーシップこそが、同社を100年企業へと導く原動力になるに違いない。

日比野ほのか/1992年愛知県生まれ、南山大学卒。学生時代のインターンシップを経て、2015年に入社。2017年に同社代表取締役社長に就任。人にやさしい靴下づくり、福祉施設とのパートナーシップ、靴下を通じた社会貢献活動(SOCKS FOR ACTION)にも注力している。