※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

1971年の創業以来、新宿の地で多くの人々を迎え入れてきた株式会社京王プラザホテル。バス、タクシーといった事業で多様な現場を経験し、常に社員との対話を経営の根幹に置いてきた若林克昌氏が代表取締役社長に就任したのは、コロナ禍の渦中であった。未曾有の危機に対し、同氏が打った一手は250名もの従業員を社外へ出向させることである。この決断の裏には、人を信じ、その成長にかける一貫した信念があった。逆境をいかにして乗り越え、組織を成長へと導いたのか。その根幹にある「人」と「対話」を重視する経営の真髄に迫った。

現場経験が築いた「対話」という経営の礎

ーーこれまでのキャリアの中で、特に印象に残っているご経験は何でしょうか。

若林克昌:
1987年に京王電鉄株式会社へ入社後、約20年間バス事業に携わりました。特に人事労務の担当として、当時赤字だったバス部門の分社化に尽力した経験は非常に大きなものでした。従業員とは膝を突き合わせて対話を重ね、会社の厳しい現状を包み隠さず伝えました。賃金や労働条件が下がる厳しい決断でしたが、「社会に必要なバス事業を残そう」という思いを共有し、共に乗り越えたのです。

ーーそのご経験は、現在のホテル経営にどう活かされていますか。

若林克昌:
バスやタクシー事業もホテルも、設備ではなく「人」がサービスと安全を担う労働集約型産業です。その意味で、私にとっては異業種という感覚はありません。どんな現場でも、従業員が何を思っているのかを互いに本音で語り合い、対話を重ねることが最も重要だと考えています。理屈だけでは人は動きません。厳しい状況であっても、互いに意見をぶつけ、支え合いながら未来を共に創っていく。この姿勢こそが、私の経営の礎となっています。

コロナ禍の逆境を乗り越えた出向による人材戦略

ーー社長に就任された当時の状況について、お聞かせください。

若林克昌:
私が社長に就任した2020年6月は、まさにコロナ禍の真っただ中でした。まず目の当たりにしたのは、稼働率が3%を切り、静まり返ったロビーの光景です。従業員のほとんどが自宅待機となり、ホテルから人の気配が消えたような状況からのスタートでした。

しかし私は、常々「ピンチは一歩踏み込めばチャンスになる」と従業員に伝えています。何もしなければただの危機で終わりますが、そこで諦めずに試行錯誤を重ねることで必ず好機に変えられると、固く信じていました。

ーーその厳しい状況下で、どのような一手をお考えになったのでしょうか。

若林克昌:
最も心を砕いたのは、仕事がない状況で従業員の雇用と未来をどう守るか、ということでした。ただ自宅待機を続けてもらうだけでは、スキルやモチベーションの維持が難しく、何より彼らの貴重な時間を無駄にしてしまいます。そこで、苦渋の決断ではありましたが、この期間を「成長の機会」に変えられないかと考え、社外に活躍の場を求める出向という前例のない施策に踏み切りました。

具体的には、全従業員約1000人のうち250人を、ホテル・サービス業だけでなく、酒造メーカーや建設設備など、多様な業種へ送り出したのです。出向をお願いする全ての企業のトップに直接お会いする、あるいはお電話を差し上げるなどして、「うちの従業員をよろしくお願いします」と頭を下げて回りました。そして送り出す従業員一人ひとりとも面談し、「必ずこの会社を守る。だから安心して、多くのことを学んできてほしい」と、私の思いを伝えました。

ーー出向を経験された従業員の皆様には、どのような変化や成長が見られましたか。

若林克昌:
個人的な事情で退職した若干名を除き、全員がホテルに戻ってきてくれました。そのおかげで、コロナ禍収束後に業界全体が人手不足に悩む中でも、当ホテルはすぐに万全の体制を整えられたのです。何より、従業員たちが皆、見違えるほど成長してくれたことが最大の収穫です。外の世界で自分たちの仕事の価値を再認識し、自信と誇りを深めてくれました。出向先でのセールス部門月間MVP獲得や、資格取得といった、目覚ましい活躍を見せてくれた従業員もいます。

社員が誇りを持って働ける組織文化の構築

ーー従業員の皆さんが誇りを持って働ける組織づくりの秘訣は何でしょうか。

若林克昌:
私が何よりも大切にしているのは、「徹底した情報公開」と「直接対話」の2つです。まず、私がいま何を考え、会社がどこへ向かおうとしているのかを、経営方針書「道しるべ」や社内報を通じて全てオープンに伝えています。トップの考えが見えなければ従業員は不安になるものですし、時には「間違っていた」と正直に認めることもあります。

それに加え、内定者との懇談会から若手従業員の研修報告会まで、あらゆる機会で直接顔を合わせて対話することを徹底しています。目線を合わせ、机を挟まず車座になって話すことで、本音のコミュニケーションが生まれるのです。

こうした姿勢で共に考え、風通しの良い関係性を築くことが一体感となり、ホテル全体に温かい空気が生まれます。その空気感こそが、お客様の居心地の良さにつながると信じています。

ーー現在、どのような制度や文化づくりを推進されていますか。

若林克昌:
2026年春より、新たな人事制度を導入します。これは労働組合と1年以上かけて議論し、従業員の意見も取り入れながら作り上げました。また、女性従業員が多い当ホテルでは、DE&I(※)の推進も重要です。特に育児休暇からの復帰セミナーでは、復帰する従業員と職場の上司が一緒に参加します。上司が従業員の赤ちゃんを実際に抱っこすることで、「この子のために休むんだ」という実感が湧き、子育てへの理解が深まると考えています。

(※)Diversity Equity & Inclusion(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン):性別、年齢、国籍、価値観などの多様性を受け入れ、互いに尊重し、一人ひとりが能力を最大限に発揮できる状態を目指す考え方。

創業理念「広場」の普遍的価値と未来への挑戦

ーー創業時から続く理念についておうかがいできますか。

若林克昌:
弊社は創業時から「生き生きとしたヒューマンスペース〈広場〉の創造」を理念として掲げています。京王プラザホテルの社名にある「プラザ」とは、スペイン語の「広場」という意味で、誰もが気軽に集える開かれた場所であるということです。私たちは、限られた人だけのための空間ではなく、小さなお子様連れの方からビジネスパーソン、ご高齢のお客様まで、多様な人々が行き交う「広場」でありたい。たとえば、47階の「SKY PLAZA IBASHO」は、昼間は小さなお子様連れの方々で賑わい、夜は雰囲気を変えて大人の時間が流れる、まさにそうした理念を体現する空間となっています。新宿という街の活性化に貢献することも私たちの役割です。例えば、新宿の地場産業のひとつである染め物体験ワークショップを新宿区や新宿区染色協議会様に協力いただき実施するなど、文化発信の拠点としての役割も担っていきます。

ーーコロナ禍を経て、ホテル業界の課題は何だとお考えですか。

若林克昌:
最大の課題は、コロナ禍を経て多様化したお客様の価値観やニーズにどう応え、「いかにして勝ち残っていくか」だと考えています。今まさに業界全体が正念場を迎えています。この課題に対し、私たちはサービスという「ソフト」と、商品という「ハード」の両面から変革を進めています。

まずソフト面である「人」の育成に力を注ぎ、働きやすい環境を整える。その上で、従業員が誇りを持って提供できる商品力、つまりハード面を強化するため、3カ年計画で客室の大規模改装を進めている最中です。

ーー最後に、今後の展望と、貴社が求める人物像についてお聞かせください。

若林克昌:
私たちが考えるこれからのホテルのあるべき姿は、私たちが考えを押し付けるのではなく、お客様の使い方に合わせて柔軟に変化していくことだと考えています。その実現のために最も大切な資産は、やはり「人」に尽きます。人の喜びや笑顔が好きなこと。お客様だけでなく、共に働く仲間を大切にできること。そうした思いやりの心を持つ仲間たちと共に成長していく、温かいコミュニティのようなホテルであり続けたいと考えています。

編集後記

バス事業の労使交渉からホテル経営の最前線まで、若林氏のキャリアは常に「人」との真摯な対話とともにある。コロナ禍という未曾有の危機に際し、250名もの従業員を社外へ送り出すという大胆な決断も、その根底には従業員一人ひとりへの深い信頼と、成長への期待があるからこそだろう。創業理念である「広場」は、単なる物理的な空間を指すのではなく、従業員同士が互いを尊重し、笑顔を交わすことで生まれる温かい空気感そのものだ。人と人との繋がりを何よりも大切にする同社の挑戦は、これからも続くだろう。

若林克昌/1987年京王帝都電鉄株式会社(現・京王電鉄株式会社)に入社。2008年までの21年間、バス事業に従事。2010年〜2017年、株式会社京王プラザホテルにて営業戦略室長、経営企画部長、八王子総支配人、多摩総支配人を歴任。2017年6月、京王自動車株式会社代表取締役社長に就任。2020年6月、株式会社京王プラザホテル代表取締役社長に就任。