
東京・日本橋に本社を構え、創立75年の歴史を誇る呉服問屋、株式会社丸上。全国の産地から逸品を仕入れ、小売店へと届ける問屋業を軸に、日本の伝統文化を未来へつなぐ役割を担っている。同社を率いるのは、日本IBM出身という経歴を持つ代表取締役社長、上達功氏である。大手IT企業で培った「ピンチはチャンス」という精神を胸に、3年間の葛藤の末に呉服業界へ飛び込んだ。そこには「成功か、学ぶ経験か」という独自の考え方があった。異業種での経験を武器に、いかにして伝統産業で若手が輝く組織を築き、新たな価値を創造しているのか。その挑戦の軌跡と未来へのビジョンについて、上達氏に話を聞いた。
IBMで培った「ピンチはチャンス」という仕事の信念
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
上達功:
世の中を便利にするITの世界に興味があり、ご縁をいただいた日本IBM株式会社に入社しました。配属されたのは金融機関を担当する営業職です。入社当時は社会や仕事への理解が浅い状態でしたが、充実した研修制度のおかげで、社会人としての基礎を身につけることができました。営業として目の前の売上高目標を達成するプレッシャーの中で、それ以上にお客様に長期的に喜んでいただくことの重要性を学びました。お客様の利益になることを地道に続けなければ、結局は売上につながらないことを実感する日々でした。
ーーこれまでの経験の中で、今に活きている学びは何ですか。
上達功:
「ピンチはチャンス」という考え方です。金融機関のシステム障害という危機的な状況において、営業の私にシステムの修理はできません。しかし、対応するエンジニアのサポートやお客様への報告の仕方を工夫するなど、「今の自分に何ができるか」を常に考えて行動していました。トラブルは大変な事態ですが、そこでいかに誠実に対応するかをお客様は見てくださっています。必死に取り組むことでかえって信頼関係が深まり、次の取引につながることもありました。20代で責任ある仕事から逃げずに立ち向かえた経験は大きな財産となっています。今でも社員が失敗した際には「この経験をどうプラスに転換できるか考えよう」と伝えています。
退路を断ち挑んだ感情に訴えかける「呉服」の世界

ーーその後、新たな道へ進まれることになった背景についてお聞かせください。
上達功:
日本IBM時代に出会った妻の実家が弊社を経営していたことがきっかけです。ただ、結婚から入社までは3年ほどの期間がありました。その間、自分の人生にとってどちらが進むべき道なのか、本を読んだり人に会いに行ったりしながら真剣に悩み抜きました。最終的に入社を決意したのは、退路を断たない限り中途半端な状態が続いてしまうと考えたからです。5年後、10年後の未来は誰にも分かりません。だからこそ環境のせいにするのではなく、自らの決断に責任を持ち、置かれた場所で何ができるかを追求する覚悟が必要でした。
この3年間は非常に意義深い時間でした。私が悩んでいた頃から現在まで、呉服のマーケットは半分ほどに縮小しています。もし結婚してすぐに言われるがまま入社していたら、厳しい現実を環境のせいにしていたかもしれません。自分で悩み抜き、覚悟して選んだ道だからこそ、人のせいにせず納得して進むことができています。
ーーIT業界とは異なる環境に身を置かれて感じたことを教えてください。
上達功:
効率重視のIT業界とは異なり、呉服は作り手の歴史や親の思いが込められた、感情に訴えかける世界です。この日本の美意識こそが誇りだと気づきました。だからこそ、その価値を伝える「人」が何より重要だと考え、人材育成と環境づくりに注力してきました。コロナ禍を機に研修やマーケティング部門の立ち上げを行ったほか、社員食堂などを通じて一体感を醸成しています。結果、今では20代の社員が全体の4分の1を占めるまでになりました。若手が夢を持てる組織であり続けたいです。

ーー貴社ならではの強みや特徴はどのような点にあるとお考えですか。
上達功:
社員が自ら産地に足を運び、「これがいい」と心から思ったものだけを責任を持って仕入れ、お客様に届けるという基本姿勢です。自分たちで仕入れ、自分たちで売る。これは遠回りに見えるかもしれませんが、このプロセスを通じて商品への理解や愛情が深まります。誰かに依存するのではなく、自分の足で立つという創業以来の文化こそが、私たちの最大の強みです。真面目にお客様を思う商売を続けてきたからこそ、マーケットが縮小する中でも信頼を得られているのだと自負しています。
文化普及とビジネス支援で挑む次世代の問屋モデル

ーー現在、どのような取り組みに注力されていますか。
上達功:
私たちは作り手と消費者をつなぐ「要」となれるよう、業界のために何ができるかを常に模索しています。具体的には、文化の普及活動とビジネス支援の二軸で動いています。
まず普及活動としては、地域の小学校での着付け体験などを通じ、子どもたちに文化的な原体験を提供しています。一方でビジネス面では、問屋としての新しい価値の創造に取り組んでいます。タレントを起用した振袖ブランドの展開や、撮影、SNSでのプロモーションまでを一貫して手がける体制を整えました。そして、自社で蓄積したノウハウを小売店様に提供し、販売活動を強力にバックアップする。これこそが、問屋だからこそ果たせる役割だと考えています。
ーー今後の事業展開について、教えてください。
上達功:
築60年になる社屋を数年以内に建て替える計画があります。単に箱を新しくするだけでは意味がありません。この建て替えを、会社が大きく変化するきっかけにしたいのです。オンライン商談や受発注システムの導入など、新しい技術は積極的に取り入れ、業務の無駄をなくしていきます。その一方で、画面だけでは伝わらない色や風合いといった、着物ならではの価値をどう伝えていくか。若い社員たちとともに、自分たちの未来のために何ができるかを考え、令和の時代に適した新しいビジネスモデルをつくりあげていきたいです。
売上規模ではなく「付加価値で日本一」という目標
ーー貴社で働くことの面白さや醍醐味はどこにあるとお考えですか。
上達功:
「日本にしかない仕事」に携われることです。着物はほとんどの日本人が知っている文化であり、東京のマーケットを担う存在になれることは、大きなやりがいだと思います。
私たちは売上規模ではなく、お客様の役に立つことで生まれる「付加価値」で日本一を目指しています。AI化が進むこれからの時代、人とのつながりや、人にしかつくれないもの、その時にしかできない体験の価値はますます高まっていくはずです。私たちの仕事は、そうした価値をより多くの人に届けることだと確信しています。
ーー組織の未来を担う人材として、どのような人材を求めていますか。
上達功:
スキルよりもマインド、特に真面目で誠実であることや協調性を大切にしています。突出した個人の成果よりも、会社や業界全体を考えられるバランス感覚も欠かせません。呉服の営業は一人前になるまで時間がかかりますが、その分、会社として長い目で成長をサポートしていく方針です。
創業75周年を迎え、次の100周年に向けた挑戦が始まる今、変化を恐れず、私たちと共に新しい価値を創造できる方とぜひお会いしたいです。
編集後記
IT企業から伝統ある呉服問屋の経営者へ。上達氏のキャリアは、一見すると大きな方向転換に見える。しかし、その根底には「ピンチはチャンス」「成功か学ぶ経験か」という、前職で培われた普遍的な仕事の信念が一貫している。コロナ禍を社内改革のチャンスと捉え、若手の感性を積極的に取り込む柔軟な姿勢は、伝統産業が未来を生き抜くための確かな道筋を示している。創業100周年に向け、デジタル技術を導入しつつも、着物ならではの価値を伝えるという挑戦。伝統と革新を両輪に未来を切り拓く同社の挑戦にこれからも注目したい。

上達功/1975年東京生まれ。1998年早稲田大学卒業後、日本IBM株式会社入社。2005年株式会社丸上に入社。2012年同社代表取締役社長に就任。東京織物卸商業組合副理事長、和装部会長。和装業界全体の発展を目指し伝統を守りながら、人材育成、マーケティング、DXに取り組んでいる。