
栃木県に根差し、四代にわたり麺づくり一筋に歩み続ける株式会社オニックスジャパン。創業以来、「労を惜しまない」という姿勢を貫き、手間暇をかけた美味しい麺製品を世に送り出してきた。特に主力商品のひとつである「鍋焼うどん」は、2024年に日本一の売上を達成するなど、確かな実績を築いている。同社の事業拡大の道のりは、ご先祖が、川底の水車による乾麺の製造から始まり、多額の借金をしての工場建設、そして粘り強い飛び込み営業による販路拡大という、挑戦の連続であった。この不屈の精神を体現するのが、代表取締役の大西盛明氏だ。ゼロからの開拓精神、そして次世代への事業承継と組織変革にかける思いを聞いた。
四代続く製麺業の原点と第二創業の決意
ーー貴社の製麺業の始まりについてお聞かせください。
大西盛明:
弊社のルーツは、曽祖父が堂川(※1)沿いで、水車の動力を利用した製麺屋を始めたことです。当時は小麦との物々交換が主でした。当時の農家の「口減らし」(※2)を背景に、商売で食えなくなったら「うどんを食えるだろう」という冗談のような話から始まったと聞いています。その後、私の父の代になってから、生のラーメンや焼きそば、茹でうどんといった商品を少しずつ作るようになり、徐々に事業が拡大していきました。
(※1)堂川(どうがわ):栃木県北部を流れる那珂川水系の支流
(※2)口減らし:家計の負担を軽くするために、子供を奉公に出したり養子にやったりして、養うべき家族の人数を減らすこと。
ーー事業成長における最初の転機はなんだったのでしょうか。
大西盛明:
本格的に家業を手伝い始めてからは、とにかく営業に出てお客様を増やすことに注力しました。その結果、受注が増え製造の限界が訪れたことが最初の転機です。手狭な場所での製造では間に合わなくなったため、多額の借金をして1980年に国道沿いに新しい工場を建て、生産効率を上げました。
そして、私が宇都宮方面へ出向き、飛び込み営業でさらに販路を広げていくことになりました。当初、工場のある「黒羽」を誰も知らず、栃木県ではなく他県だと勘違いされることもありましたが、若さと根気で通い詰め、信用を勝ち取っていきました。
ーー貴社の株式会社化には、どのような経緯があったのでしょうか。
大西盛明:
お客様が増えたため、宇都宮に営業所を開設し、引き続き開拓を続けました。そうした中、宇都宮に出店するロビンソン百貨店(当時:イトーヨーカ堂グループ)との取引条件が「宇都宮に本社がある会社」だったのです。これを機に、新しい市場で信用を得るため、資金難と時間的制約の中で、株式会社オニックスジャパンを設立しました。社名の「オニックス(Onix)」にある「X」には、無限の可能性という意味を込めています。「日本を代表する」会社になるという高い志を表しました。これが実質的な「第二創業」となり、新しい会社名と本社所在地が信用度を大きく変えました。
日本一へと導いた「労を惜しまぬ」ものづくりの神髄

ーー商品開発の際、大切にされていることは何ですか。
大西盛明:
開発方針の基本的な軸は「地域共創」です。地元の野菜の乾燥加工や、地元の味噌蔵である「株式会社青源味噌」様との共同開発商品などに取り組んでいます。また、栃木県はそばの生産量が全国で上位に入る名産地のため、山間部に残る在来種のそばなど、県内の産地にこだわった商品づくりも進めています。
開発の根底には、私たちですら知らなかった地域の隠された価値を発掘し、多くの人に知ってもらいたいという思いがあります。この取り組みは、経営理念にある「私達は、社会に貢献する地域業界No.1の企業になろう」を達成する上でも重要だと捉えています。
ーーロングセラー商品の「鍋焼うどん」の成功についても、お聞かせください。
大西盛明:
弊社の「鍋焼うどん」のジャンルにおいては、おかげさまで2024年に日本一売れた商品になりました。この成功は、創業以来の「労を惜しまない」という、手間をかけても美味しいものを作る姿勢を貫いてきた結果だと考えています。特にこの商品で最も大切にしているのは、地元出身の社員さんが一つひとつ手揚げしてくれている天ぷらの存在です。この手仕事が生み出す本質的な価値は、時代の変化があっても変えてはいけないと確信しています。
名前も信用もない「ないない尽くし」からのスタートでした。多額の借金をしながらも、差別化を図り、安心で美味しいものを届け、お客様に喜んでもらうことを追求してきた。その積み重ねが、この実績に繋がったと強く感じています。
属人化からの脱却を目指す次世代の組織改革
ーー現在、組織づくりに対してどのような取り組みをされていますか。
大西盛明:
息子である常務取締役の大西伸幸は外部の会社で働いた経験があり、その経験を活かしてマネジメント強化に取り組んでくれています。彼が家業に戻った当時、役員には彼以外に外部経験者がいませんでした。彼だけが外の世界で事業承継の現場を見ていたのです。その中で、家業が大きくなるほど特定の個人に情報が集中する「属人化」が起きやすく、会社が不安定になるためと考え、組織化を進めてくれました。外部の専門家も交えながら、開発、品質、製造、営業、経営管理の部門を創設し、職務と責任範囲を細分化しています。この体制により、各部門がチェックし合える、健全な会社組織を築けていると考えています。
ーー品質管理についてはどのようにお考えですか。
大西盛明:
品質管理についても、大西常務主導で体制を強化しております。弊社は、県内の麺製造業の中で最も早く約15年前にHACCP(ハサップ/食品衛生管理手法)認証を取得しました。しかし、HACCPが法制化された今、さらなる高みが求められます。そこで、現在はより高度な食品安全基準であるJFSの取得に向けて動いています。これは、品質本部を新設し、工程管理やシステムを導入することで会社を成長させていきたいという大西常務の強い思いの表れだと考えています。「商品を強くする」「磨きをかける」時代へと、会社を導いてくれているのです。
売上100億円を目指す未来への展望と覚悟

ーー今後の事業の方向性や、将来の展望についてお聞かせください。
大西盛明:
「売上100億円、社員500人」の達成を目標としています。現在、工場は生産能力が上限に近づいており、新工場の建設を計画している状況です。「鍋焼うどん」をさらに広いエリアに展開していくためには、工場の増設が不可欠です。人手不足が進む社会に対応できるよう、量産可能な安定供給体制の確立を計画しています。弊社の美味しい製品を世の中の多くの人に喜んで食べていただける、そんな会社にしていきたいです。
ーー仕事を通じて大切にされている価値観はなんでしょうか。
大西盛明:
私が最も大切にしているのは、創業以来変わらぬ「労を惜しまない」という姿勢です。名前も信用も社員も資金もない、「ないない尽くし」からのスタートでしたから、大手のメーカーと競争する中で、どうやって選んでもらうか、差別化が基本でした。手間をかけても美味しいものを作り、お客様に喜んでいただく。それが、弊社の事業の基盤にあります。1個100円、200円の商品であっても、多くの方に喜んでもらうために、いかに美味しく、安心なものを届けられるか。これが私の根底にあり、これからも変わることはないでしょう。
編集後記
大西氏の語る事業拡大の歴史は、借金を重ねながらも「労を惜しまない」姿勢と粘り強い営業で道を切り拓いてきた、まさに不屈の物語だ。一方、常務の大西伸幸氏も外部で勤務の経験を活かし、家業特有の属人化という課題に向き合っている。伝統的な美味しさの本質は守りつつ、組織と生産体制は現代の課題に合わせて変革する。この両輪の取り組みは、製造業における事業承継と成長戦略の理想形を示している。同社のこれからの飛躍が楽しみでならない。

大西盛明/1953年12月25日栃木県生まれ。明治大学商学部卒業後、家業である大西製麺所に入社。有限会社大西製麺の取締役専務を経て、代表取締役に就任。1990年に株式会社オニックスジャパンを設立し、代表取締役に就任。