1921年に米穀卸として創業し、今や九州屈指の即席めんメーカーとなったサンポー食品。カップめん「焼豚ラーメン」シリーズをはじめ、棒状ラーメンやうどんなどの乾めんが主力商品だ。初めてめん類以外の商品にチャレンジした「DelicaDeli 辛子高菜」は、マルチに使える総菜ふりかけとして話題を呼んでいる。
2023年8月には東京営業所が開設され、関東での展開にも期待がつのる。代表取締役社長の大石忠徳氏に話をうかがった。
地元で愛される「焼豚ラーメン」ーー味を守る難しさ
ーー老舗企業として守り続けているものはありますか?
大石忠徳:
変えるもの・変えないものとテーマを分けてはいませんが、昔から親しんでいただいている味を守る苦労は絶えません。「焼豚ラーメン」は発売から46年目となりますが、実は発売当初と全く同じ原材料というわけではありません。原料や製造機械が変わっても変わらぬ味を守り続ける、というのは至難の業ですね。
時代の流れで原料の調達が難しくなるほか、原料メーカー自体がなくなるケースもあります。狂牛病の流行時には、とんこつラーメンの隠し味であるビーフエキスを完全に抜く必要があり、味を守りながらの改良作業に2年を費やしました。
原料だけでなく、機械を入れ替えたときも作り方を変えます。たとえば、ミキサーが変われば風味が一変します。原料を入れる順番や温度を変えたり、途中で混ぜたり、あらゆる調整を無限に繰り返さないと同じものができません。数値を計るセンサーのみに頼らないため、一般の方よりも敏感な舌を持っているスタッフは企業の財産といえます。
創業100周年を迎えて理念体系の見直し
ーー今後の企業の方向性についてどのように考えていますか?
大石忠徳:
食品メーカーとして、昔から“ベロメーター”といわれる「自分の舌で味を確かめること」を大事にしています。今後も「九州の味を作らせたら絶対に負けないぞ」という気持ちです。今までも企業コンセプトはあったのですが、創業100周年のタイミングでブランドコンセプトや企業理念の見直しを行いました。
「次の100年を目指して同じ方向を向いていこう」と社内で話し合った中で、やはり全員のベースにあるのは「焼豚ラーメン」でした。これからも看板商品を大事にしながら、「焼豚ラーメン」のように長く愛される商品を生み出していきたいと思います。
さまざまなメーカーさんや小売店さんの協力があって、初めて「焼豚ラーメン」の味を守り続けられます。私たちの想いだけでなく、ひとつの商品にはいろいろな方の想いがこめられて、お客様のもとに届いているのです。
そこで、新しい企業理念を「想いをこめた美味しさで、笑顔をつなぐ」としました。一見シンプルなフレーズですが、たったひとつのカップめんを起点にみんなの想いをお客様の笑顔につなげていくというメッセージが込められています。
九州を飛び出してーーお客様からの感動のメッセージと今後の展望
ーー印象に残ったエピソードや今後の展望をお聞かせください。
大石忠徳:
約10年前に九州の外へ進出し、関東圏や海外で本格的な販売を始めました。関東都心部のスーパーさんに自社商品がずらっと並んだときは、本当に涙が出るほど感動しましたね。地元のお客様から「東京で見つけたよ」と電話やハガキをいただいたこともあります。
その後、2023年8月には東京営業所を開設しました。きっかけは、いつも出張を担当していた社員の「東京に事務所を出してほしい」という声です。出張で東京に行くだけでは、取引先に本気度を示せないという考えからでした。
1人から始まった東京での挑戦でしたが、今は4名体制となり、売上もじわじわと伸ばしています。SNSを始めてから購入できる場所に関するお問い合わせも増えたので、今後も販売先を増やしていきたいと思います。
また、会社の土台づくりについても、より堅固なものにしていきたいと思っています。そのために弊社で働いてくれている社員に、「ここで働いてよかった」と思ってもらえる場所にしていきたいと考えています。伝統の味を守りつつ、社員とお客様が安心できる会社づくりを続けていきたいと思います。
編集後記
時代のニーズを柔軟に見極めて、多彩な商品を展開しているサンポー食品。九州のこだわりがつまった商品は、存在感や味のインパクトが極めて強い。全国に商品が広まることで企業にも人が集まり、さらなる飛躍を見せることだろう。
大石忠徳/1956年生まれ、佐賀県出身。1978年に福岡大学商学部を卒業後、同年4月に旧明治屋に入社。1981年、サンポー食品株式会社に入社。2009年3月、同社代表取締役社長に就任。