1772年(安永元年)、現在の愛知県碧南市で創業。三河みりん発祥の醸造元である九重味淋株式会社を率いるのは、8代目当主の石川総彦氏だ。歴史を守りつつ、オンラインショップや、築200年を超える歴代当主の邸宅をリノベーションしたレストラン&カフェなど新形態を次々に打ち出している。1980年代に一世を風靡したバンドの一員でもあり、プロベーシストとして活躍した意外な経歴をもつ同社代表取締役社長の石川総彦氏に、経営や事業について話をうかがった。
大胆な商品で市場も社員も刺激。意識が変化。
ーー8代目当主として社長職を継承するまでの歩みを教えてください。
石川総彦:
高校時代からエレキベースの演奏を始め、バンドのベーシストとして、大学卒業前にメジャーデビューしました。テレビやライブ出演、数々のアーティストのサポートなどミュージシャンとして、とても充実していましたね。しかし、家業を継ぐために引退して、マーケティングを専門とする経営コンサルタントに弟子入りし、知識を学びとっていきました。その後、生家に戻り、7代目である父のもと当主としての修業を積むこととなります。
弊社は本みりんを学ぶため、原則全社員が醸造工程に携わる研修を行います。もちろん、私も蔵に入りました。そこで、定年間近の職人から「丹精込めてつくった本みりんが実際に喜ばれているのか、わからなかった」と言われ、愕然としたのです。経営理念に掲げる「お客さまに」とは一体誰なのか。社員に問うと「問屋さん、酒屋さん」との回答に、エンドユーザーのための商品でなければ生き残れないと確信しました。このままでは、職人の言葉が示すように社員の士気に影響すると危機感を抱き、意識改革と新戦略を断行したのです。
ーー社長就任後はどのようなことに取り組みましたか。
石川総彦:
大きくは本みりんを使った新商品開発、ECと実店舗の運営、レストラン・カフェの直営展開です。新商品はそれまでにも、タレやつゆなどを開発・販売していましたが、マーケティングの知識を活かして市場を調査すると、10〜20代を中心に激辛味が支持されていることがわかりました。そこで、超激辛味の鍋スープを、「半殺しチゲ」というインパクトあるネーミングとパッケージでの販売に挑戦しました。
社内の反対意見は大きかったのですが、振り切った味と名前が面白いということで、有名YouTuber、経済誌にもとり上げられ、話題となりました。驚きとともに、社員の意識がエンドユーザーに向くきっかけとなりましたね。
柔軟な発想が老舗を活性化、ユーザーのダイレクトな声もキャッチ
ーー直営店の取り組みについて、教えてください。
石川総彦:
弊社は本みりんを知ってもらわなければならないのですが、一方通行では伝わらないと考え、本社の敷地内にアンテナショップとレストラン&カフェをオープンしました。本みりんを活かした多彩な料理、本みりんを使っているとは思えないスイーツを提供することで「美味しい→使ってみたい→買って帰ろう」という流れを生み出し、弊社の本みりんをご愛用いただくことが目的です。
「本みりん」とは、もち米・米麹・焼酎を仕込み、糖化熟成させたアルコール度数が約14度の酒類で、コク深く上品な甘味が特徴です。主に糖類で造られているみりん風調味料とはまったく異なります。しかし、昨今は本みりんの味や使い方がわからない方が少なくありません。そのような中で、直営店は本みりんの魅力を伝え、お客さまの反応が直にわかる貴重な場なのです。社員のモチベーションアップに加え、本みりんの認知度向上、商品開発のリサーチやフィードバックなど、さまざまな方面で役立っていますね。
ーーユニークな教育制度も8代目が始めたとうかがいました。
石川総彦:
入社2年目の社員が商品開発を行う「2年目研修」です。採用面接で「商品を開発したい」という志望者の思いを耳にしたことから、この制度をつくりました。
商品開発は経験が求められる仕事です。しかし、経験を積む間に新鮮な気持ちや発想がなくなるため、早い段階で商品開発にチャレンジしてもらうことにしたのです。すると、醸造不可能とされてきた玄米や泡盛を使った本みりんなど、「九重の本みりんはこうでなければならない」と固定観念に縛られていた私たちをはっとさせるアイデアが続々でてきました。この研修から生まれたみりんの中にコーヒーや紅茶、ほうじ茶を漬け込み風味を溶け出させたリキュール「Rincha」は、レストラン・カフェでも提供されています。この研修が社員の働きがいや定着率向上にもつながり、今や弊社の重要プロジェクトになっています。
時代や世代を超えて愛される、本みりんづくりへの挑戦
ーー今後の展望をお聞かせください。
石川総彦:
九重の本みりんをご愛用いただけるお客さまを増やすことが、私たちの最大の目標です。そのためには、社員一人ひとりが自社と商品に愛着をもち、前向きな姿勢で仕事に取り組むことが不可欠です。将来的に、直営店を本みりんの「テーマパーク」のような存在に発展させる構想もあります。お客さまも、弊社の本みりんに愛着をもっていただけたら嬉しいですね。
あるとき、弊社の看板商品「九重櫻」をご愛用いただいている鰻店のご主人から、「良いみりんは他にもたくさんあるが、ちゃんと仕事をしてくれるのは九重櫻だけだ」というお言葉をいただいたことがあります。生産者としてとても嬉しく、同時に身が引き締まる思いでした。そのような期待に応えていくために、時代が変わっても、私たちは「九重の本みりん」をつくり、守り続けていきます。
編集後記
伝統的な本みりんメーカーがこれほど斬新な取り組みをしているとは驚きだった。しかし、その根底には本みりんへの深い愛情と誇りがある。石川社長の「お客さまを誰と捉えるか」という問いかけは、どの業界においても通じる本質的な問いだと感じた。エンドユーザーの声に耳を傾け、時代に合わせて変化を恐れない。石川社長のその姿勢こそが、250年以上の歴史を紡ぐ原動力なのだろう。
石川総彦/愛知県生まれ。幼少期から楽器演奏に才能を発揮し、トロンボーン奏者として中学時代からフルオーケストラに参加。大学卒業前にメジャーデビュー。プロベーシストとして華々しく活躍後、経営コンサルタントに従事。その後、家業である九重味淋株式会社に入社し、代表取締役社長に就任。