
日本を代表するアーティスト、サザンオールスターズ桑田佳祐さんの故郷・神奈川県茅ヶ崎市。この海辺の街に2023年、新たなコミュニティの核となるラジオ局「茅ヶ崎FM(通称:エボラジ、889.2MHz)」が誕生した。地域情報のインフラとして、あるいは防災の砦として、さらにはカフェやイベントを通じた憩いの場として、開局以来、市民の心をつかんで離さない。
このラジオ局を率いるのは、大手芸能プロダクション・株式会社アミューズで代表取締役社長を務めた中西正樹氏だ。エンターテインメントの最前線で数々のプロジェクトに取り組んできた彼が、なぜ今、地域密着のメディアに情熱を注ぐのか。その原点にある「忘れられない光景」と、地方創生にかける未来図に迫った。
エンターテインメント業界への挑戦とその原点
ーーまずは、これまでのご経歴についてお聞かせください。
中西正樹:
私のキャリアの原点は、高校生の時に初めて足を運んだサザンオールスターズのライブにあります。あの時、全身で感じた衝撃と感動は今でも鮮明に覚えています。両親が銀行員だったので、自分もそんな方向に進むのかなという感覚があったのですが、そのライブ以来、「人の心を震わせ、誰かの心にずっと残るような大切な思い出を作りたい」という衝動がずっとありましたね。「誰かの人生に影響を及ぼす音楽の仕事を通じて、社会の中で自分という存在価値を見つけたい、そしてそれを生き甲斐にできれば」という思いは、当時から強くあったと思います。
ただ、1998年にアミューズに入社したのは、本当に偶然の産物でした。就職活動中に東京で出会った仲間に誘われて、たまたまアミューズの会社説明会に参加したのがきっかけです。その説明会で初めて、アミューズがサザンオールスターズの所属事務所だと知ったくらいですから(笑)。ところが、エントリーシートを提出してみると、不思議と選考がトントン拍子に進んでいきまして……。導かれるように内定が決まった時は、勝手ながらとても強い『ご縁』を感じました。
ーー入社後はどのような現場で経験を積まれたのですか。
中西正樹:
入社後、早々に配属されたのは、運よく憧れのサザンオールスターズの現場でした。当時はちょうどデビュー20周年のタイミングで、猫の手も借りたいほどの忙しさ。業界全体も今よりずっと体育会系で、職人気質のスタッフの皆さんに囲まれる毎日でした。ただ、私は京都出身で、関西特有のノリも持ち合わせておりましたので、色々な経験を面白がれるタイプだったんだと思います。厳しい現場も無我夢中でドンドン飛び込んでいった記憶があります。そうやってガムシャラにやっていくうちに、少しずつ周囲に、存在を認識していただけるようになっていった、そんな感じでしたね。
音楽の力が繋いだ時空を超える感動

ーーアーティストマネージャーとして、ご自身が大切にされていることは何ですか。
中西正樹:
「人に喜んでいただけること」を常にイメージすること、これに尽きます。アーティストマネージャーの仕事の本質は、単純明快ですがそこにあると思うんです。どんなプロジェクトであっても、「どうすればそこにいる人たちが笑顔になるか、感動するか」を考え抜く。そして、そんな思いを共にできる人と出会ったら、そのご縁は必ず手繰り寄せて、力を合わせてさらに大きなチャンスに変えていく。そんなことを本能的にやってきたように思います。また、私たちはアーティストの「才能」と寄り添う立場として、彼らに注ぐリスペクトを力に、その魅力を最大化して世の中に届けることが使命だという矜持を持って取り組んでいます。
ーーこれまでのキャリアで、最も印象的だったエピソードは何ですか。
中西正樹:
2011年、東日本大震災の後に宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで開催したライブです。当時、その会場は遺体安置所として使われていた場所でした。しかし、だからこそそこを「音楽の聖地」として再生させたいという強い願いがあり、桑田さんの病からの復帰公演も兼ねて、たくさんの方々のご協力のもとで実現することができました。
その際、桑田さんの感動的なライブの大団円として2万個の風船を降らせたのですが、翌週の地元紙にその光景が掲載されました。記事には「震災で亡くなった2万人の魂のようだった」と記されていました。当然、最初からそれを意図した演出ではありませんでした。でもその時、「音楽は時空を超え、亡くなった方と今を生きる人々をも繋ぐ力があるのだ」と魂が震えた、今でも忘れられない経験です。今尚、私の人生におけるとっても大きな財産になっています。
茅ヶ崎から全国へ広がる「安心」の輪
ーーその後、なぜ茅ヶ崎でコミュニティFMを立ち上げることになったのでしょうか。
中西正樹:
実は以前から「音楽の街・茅ヶ崎にコミュニティFMがあるといいよね!」というお声が地元の方々を中心に多くあるのは知っておりました。茅ヶ崎は桑田さんの故郷で、私自身もサザンの担当になって以降、仕事を超えて何度も通わせていただいているうちに、茅ヶ崎が第二の故郷のような存在になっていたことも大きいです。
決定打となったのは、サザンオールスターズとして三度目の茅ヶ崎球場でのライブとなった2023年の茅ヶ崎ライブの準備を進める中で、地元の方々の機運を最高潮に感じたこと、そして東日本大震災の時に学んだ教訓です。被災地ではラジオが命を守る情報源であり、心の拠り所でした。海に面した茅ヶ崎の安全を守るためにも、今こそやるべきだと確信し、アミューズの社長職と兼務する形で設立(開局)を決意しました。その後、2025年6月にはアミューズの社長職を退任し、現在はより深く茅ヶ崎FMを通じて地域の活性化にコミットしています。

ーー茅ヶ崎エフエムが担う役割や事業内容について教えてください。
中西正樹:
大きく4つの柱を掲げています。「地域情報の発信基地」、「市民参加型のステーション」、「災害時の防災拠点」、そして「次世代への教育貢献」です。単に放送するだけでなく、スタジオ併設の「茅ヶ崎カフェ」での交流や、ランニングやウクレレのクラブ活動、地元アーティストが描いたビジュアルをキーとしたグッズ制作など、体験価値を大切にしたリアルな「場」づくりに注力しています。ラジオという枠を超え、人と人が直接つながるコミュニティのハブとなることを目指しています。
ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。
中西正樹:
放送局の枠を超えた、地方創生における「茅ヶ崎モデル」の確立です。おかげさまで全国のたくさんのファンの方に聴いていただいていますが、その注目度に感謝しながらも、今後は地域の皆様とさらに手を取り合いながら、地域の魅力を活力に変えていくモデルケース、いうならば「茅ヶ崎モデル」を深め全国に広げていきたいです。そのための、人間味あふれる仲間作り、人材採用には力を入れていきます。
将来的には、全国のコミュニティFMと連携した「音楽で繋がる防災ネットワーク」を構築したいです。近年多発する自然災害に対し、地域のラジオ局同士が協力し合い、助け合える仕組みを作りたい。エンターテインメントで培った「人を繋ぐ力」を、今度は日本中の安心・安全のために役立てていく。それが、私の次なる夢ですね。
編集後記
サザンオールスターズへの憧れからエンタメ業界に飛び込み、数々のビッグプロジェクトを手がけてきた中西氏。そのキャリアのハイライトは、多くの観客を熱狂させたライブだけでなく、音楽の力が人の魂に寄り添った瞬間だった。「人を喜ばせたい」という一貫した思いは今、茅ヶ崎という地域コミュニティに向けられている。同氏が語るラジオの未来像は、単なる放送局の経営戦略にとどまらない。それは、地域に根差したメディアだからこそ可能な、人と人との繋がりを育み、安心を届ける地方創生の新たなモデルケースと言えるのかもしれない。

中西正樹/1973年京都府生まれ、龍谷大学文学部卒業後、1998年に株式会社アミューズへ入社。当時20周年の節目となるサザンオールスターズを担当し、以降、長年にわたりサザンオールスターズを中心に音楽マネージメントチームをけん引。2019年6月株式会社アミューズ代表取締役社長執行役員に就任。現在はタイシタレーベルミュージック株式会社、株式会社アミューズミュージックエンタテインメントの代表取締役社長とともに、2023年に設立した株式会社茅ヶ崎エフエムの代表取締役社長を務める。