※本ページ内の情報は2026年1月時点のものです。

大阪府に本社を置き、100円ショップや300円ショップ向けの雑貨・化粧品等の企画販売を手掛ける株式会社ナカタ。大手均一ショップチェーン各社と強固な信頼関係を築き、ネイルシールをはじめとする数々のヒット商品を世に送り出している。同社の強みは、海外の生産背景を活かした商品調達力と、市場のニーズを捉えた企画提案力にある。幾多の困難を乗り越え、「従業員が一番大事」という信念のもと、会社を牽引し続ける代表取締役の中田光。今回、異業種からの転身、創業時の苦労、そして独自の商品開発や未来への展望について聞いた。

仲間の絆に救われた運送業時代の原体験と業界転身の転機

ーーキャリアの原点についてお聞かせください。

中田光:
もともと私はものづくりが好きで、工業高校に進学しました。卒業後は細かい作業を行う旋盤工になりたいと考えていたのですが、父から「人手不足で困っている親戚を助けてやってくれ」と頼まれたのです。旋盤工への未練はありましたが、父の顔を立てる形で、断り切れずに親戚の会社へ入社することになりました。

その後、車が好きだったこともあり、運送会社へ転職しました。しかし、入社初日は想像を絶する過酷さでした。朝6時から夜までひたすら配送を行い、帰社する頃には「こんな仕事、今日限りで辞めよう」と決意していたほどです。

ところが、会社に戻ると先に帰っていた先輩や同僚たち5人が、わざわざ私の帰りを待っていてくれました。私が事務所に入った瞬間、「お疲れ、無事に帰ってきたな!」と温かく迎えてくれたのです。その瞬間の光景に、私は猛烈に感動しました。これほど素晴らしい仲間と一緒なら、どんなに仕事がつらくても頑張れるかもしれないと思い直したのです。結果として、一日で辞めるつもりだったその会社には、その後数年間にわたり勤め続けることになりました。

ーーその後、現在のような雑貨や化粧品の業界へ進まれたのはなぜですか。

中田光:
怪我の為に、運送会社を退職し、次の仕事をどうしようかと考えていた時期に、よく通っていた喫茶店で偶然、この業界で会社をやられている社長さんの弟、常務の奥さんと、久しぶりに会ったことがきっかけです。顔なじみだったその奥さんに近況を尋ねられ、辞めて無職だと伝えたところ、その場で「うちに来ないか」と誘われました。

私は極度の人見知りで、人に頭を下げる営業職だけは絶対にやりたくないと考えていました。しかし、紹介された会社を訪ねてみると、穏やかな年配の方が多く、非常に落ち着いた雰囲気だったのです。その安心感に背中を押され、「ここなら自分でもやっていけるかもしれない」と思い、入社を決意しました。それが29歳のときのことです。

努力が正当に評価される組織作りを目指し独立した信念

ーー初めての営業活動では、どのような経験をされましたか。

中田光:
その後、「中田君営業に行ってくれないか」の言葉に、断わり切れずに分かりましたと。初めての営業先は、東広島市にある株式会社大創産業様でした。当時はまだ高速道路も完全にはつながっておらず、片道5時間ほどかけて車で向かいました。会社が近づくに従って「大丈夫かな」と繰り返していたのを思い出します。名前を呼ばれて部屋に入ると、心臓が飛び出るほど緊張していましたが、いざ商談に入って商品を見せると、不思議と緊張が収まり、夢中で商品の魅力を説明していました。ありがたいことに商品を気に入っていただき、その場で多くの注文をいただきました。商談が終わり車に乗った瞬間、ひざがガクガク、心臓もバクバクだったのを覚えています。

創業者の矢野博丈社長(当時)にも非常にかわいがっていただきました。新しい倉庫を見学させてくださったり、仕事終わりに食事や喫茶店に連れて行ってくださったりと、公私にわたり好意的にしていただいたのです。周囲が恐縮するなか、私だけは友達のように冗談を言い合えるほどの間柄でした。あのときの経験が、私の営業としての原点になっています。

ーー長年勤めた会社から独立を決意された背景を教えてください。

中田光:
前職では営業として実績を上げ、会社の成長に貢献することにやりがいを感じていました。しかし、ある時、今後の評価制度に関する会社の方針を知り、愕然としたのです。それは「一定の年齢に達すると昇給を止め、給料を下げていく」という内容でした。その年齢の低さにここで働き続ける未来が描けなくなってしまったのです。

当時、私のチームメンバーたちは会社のために夜遅くまで懸命に働いてくれていました。私は彼らの努力を正当に評価してほしいと会社側に強く訴えましたが、折り合いはつきませんでした。「中田だけ給料を上げればいいだろう」という提案もありましたが、自分だけが報われても意味はありません。共に戦う仲間全員が報われる組織を作りたい。その思いを貫くには、自ら理想の組織を立ち上げるしかないと決断し、退職を選びました。

その頃、私の思いやこれまでの仕事ぶりを見てくださっていた仕入先の社長などから「協力するから独立しなさい」と温かい言葉をいただき、背中を押される形で2000年に独立することになりました。

周囲の反対を押し切り粘り強い交渉で実現したヒット商品

ーー経営において、最も大切にされていることは何でしょうか。

中田光:
従業員を何よりも大切にする。これが私の経営における一番の信念です。会社を経営していれば、当然苦しい時期もあります。周囲の経営者からは、「売上が悪いときは従業員の給料を減らすのが普通だ」と言われたこともありました。しかし、私はそうは思いません。業績が悪化した責任をメンバーに押し付けるのは、経営者として間違っていると思うからです。資金繰りが厳しく、私の役員報酬をカットせざるを得ないときもありましたが、従業員の給料だけは守り抜きました。今でも苦しい時にお金を貸して頂いた数社の社長様には、感謝の気持ちを一日も忘れたことがありません。

苦しいときこそメンバーの生活を守り抜く。それが社長の責任です。たとえ会社が厳しい状況でも、私が率先して職場の雰囲気を明るくし、全員が前向きに働けるよう努めてきました。メンバーが将来への不安なく、安心して働ける環境があってこそ、会社は存続し、成長できるのだと確信しています。

その次に大切にしているのは、私の宝であります、業界の人達です。今は2代目の社長さんが多く、社員さん達も私の宝です。弊社は他メーカーの商品も売って生計も立てています。

その協力も無かったら、弊社は早くに潰れていたでしょう。だからこそ、関わってくださるすべての方々を大切にしたいですし、心から感謝しています。

私の古希の誕生日には、取引先やメーカーの方々25名が、お店を貸し切ってお祝いの席を設けてくれたのです。集まってくれたのは、全員私より年下の皆さんでしたが、わざわざ各社に出向いてビデオレターまで撮影してくださり、まさに人生で最高の一日をプレゼントしていただきました。あまりの感動に何度も涙が溢れましたが、自分を後回しにしてでも、相手のために親身になって付き合ってきたことは、決して間違いじゃなかったと痛感した一日でした。

ーー商品開発における実績や、強みについてお聞かせください。

中田光:
弊社は、倉庫が小さくて、大きな荷物を大量に積む事が出来ません。その為、小さなキーホルダーや、ヘアー小物をメインで物作りをしてきましたが、それだけでは事業が立ち行かなくなっていたのです。そこで考えたのが、企画した商品を仲良くしているメーカーさんに売り込みにいって大手100円ショップ様へ売って頂こうと努力し、その機転が功を奏し、現在に至っています。私の強みは、人との付き合いです。

今後は、商品の顔であるパッケージデザインの強化に注力します。類似商品の中で選ばれるには、中身の良さを一目で伝える工夫が不可欠だからです。専門人材を採用し、店頭で直感的に魅力を感じていただける商品づくりを推進していきます。

実力ある会社を目指し生涯現役を貫く決意

ーー最後に、今後のビジョンと読者へのメッセージをお願いします。

中田光:
無理に規模を拡大するのではなく、まずはどんな苦境でもメンバーの生活を確実に守れる、実力ある「一人前の会社」に育て上げることが今の目標です。その道筋を確かなものにするためにも、私は生涯現役を貫くつもりです。もともと賑やかな現場が好きで、仕事をしている時間が何よりの楽しみですから、これからも先頭に立って挑戦を続けていきたいと思っています。

また、読者の皆様にお伝えしたいのは、「決して諦めないこと」です。たとえ失敗したとしても、過ぎ去った過去を振り返る必要はありません。大切なのは、失敗を恐れず、次はどうすべきかを考えて前を向くことです。「前進、前進、また前進」の精神で一歩ずつ進んでください。

そして何より、健康を大切にしてください。私は過去に大きな病を2度も経験し、健康な体こそが全ての基盤であることを痛感しました。しっかり食べ、体調を整えてこそ、良い仕事に向き合えます。まずはご自身を労わり、健やかな体で挑戦を続けていただきたいです。

編集後記

「従業員を何よりも大切にする」と言い切る中田氏の言葉には、実体験に裏打ちされた重みと温かさがある。運送会社時代の原体験から、経営者となった現在に至るまで、常に「人」を大切にする姿勢は一貫している。苦境にあってもユーモアを忘れず、自らが先頭に立って道を切り拓くその姿は、多くの従業員や取引先を惹きつけてやまないのだろう。生涯現役を誓う同氏の指揮のもと、今後どんなヒット商品を生み出し、飛躍していくのか。今後の動向に注目したい。

中田光/1955年大阪生まれ。生野工業高校を卒業後、大阪市福島区にある親戚の会社や運送会社にてキャリアを積む。その後、現在の業界へ転身し、45歳のときに独立を決意。2007年に株式会社ナカタを設立。「前進あるのみ!!!」という不屈の精神で経営に邁進している。