※本ページ内の情報は2026年1月時点のものです。

超微細加工技術を核に、電子部品から医療、食品包装まで幅広い分野で独自の製品開発を手がける協栄プリント技研株式会社。創業者である父から赤字部門の再建を託され、会社を業界トップクラスの収益性を誇る企業へと成長させたのが、代表取締役社長の小林明宏氏である。20代で直面した、家業の再建か決別かという究極の選択。そこから始まった組織変革では、納期遵守の徹底により顧客との信頼をゼロから築き上げた。誰もが予見できる未来を、誰よりも早く形にする独自の経営。技術力で社会に貢献し続ける、同社の歩みを聞いた。

20代で覚悟を決めた赤字部門再建の軌跡

ーーまず、貴社に入社された経緯をお聞かせください。

小林明宏:
もともと大企業に勤めてから家業を継ごうと考えていました。しかし、高専卒業を控えた私に、父から2つの選択肢を突きつけられました。一つは「今すぐ戻り、赤字の事業部を立て直すこと」。もう一つは「大企業へ行くなら、二度と弊社に戻ることなく一生外で生きていくこと」。つまり、家業を継ぐなら「今すぐ赤字再建に挑む」しか道はなかったのです。

大企業での安定か、20代という若さでリスクを背負って再建に挑むか。究極の選択でしたが、若いうちにこれほど大きな経験ができる機会は他にないと考え、入社を決意しました。

ーー入社当時、会社はどのような課題を抱えていたのでしょうか。

小林明宏:
社員一人ひとりは真面目に働いていましたが、お客様との約束である納期を守れないことが最大の問題でした。当時は、できない理由ばかりを探す甘い空気が流れていたのです。しかし、どんなに良いものをつくっても、納期を守れなければ信頼は得られません。なぜ当たり前のことができないのか。20歳の私でも理解できるほど根本的な課題であり、まずはこの意識から変える必要がありました。

組織変革を行うために、とにかく、仕事のやり方を一から見直しました。最初の3年間は、夜中1時半を過ぎたら会社のソファーで寝るような毎日を送り、仕事に没頭しました。納期を絶対に守る姿勢を徹底する中で、残念ながら旧来のやり方を変えられなかった社員は去っていくことになります。結果として、私が入社した当時のメンバーはほとんど入れ替わり、同じ志を持つ新しい仲間と共に組織を再構築することとなりました。

特許取得と全量受注が導いた黒字化の転機

ーー赤字脱却の決定打となった出来事について教えてください。

小林明宏:
大手電機メーカーとの共同開発が大きな転機になりました。当時、あるゲーム機の基板にひびが入るという問題があり、その解決を依頼されたのです。1週間泊まり込みで原因を突き止め、世の中にない新しい構造を1カ月で開発しました。その技術で特許を取得し、将来的な全量受注につながったことで、3カ月で目標の2倍以上の仕事を獲得できました。これが、会社が一気に黒字化するきっかけとなりました。

ーー開発において、市場の動向をどのように捉え、製品化につなげているのでしょうか。

小林明宏:
誰もが予見できる未来を、誰よりも早く実現することを心がけています。たとえば、医薬品のPTP包装(※)に関わる金型は、金型専業メーカの中では恐らくトップシェアだと思います。これは、厚生労働省が将来的に医薬品へのバーコード表示を義務づけると発表したニュースを見て、すぐに開発に着手した成果です。「将来これが必要になる」という情報を得たら、世の中がその必要性に気づく前につくることを終え、直接トップメーカーへ提案に行きます。自ら市場を創り出すことで、競合のないビジネスを展開できています。

現在取り組んでいる「マイクロ部品」も同様です。将来的に人の血管内に入って治療を行うなど、人類にとって絶対に必要になる技術だと確信しています。社会で必要になったときに、「弊社はすでに開発を終えていますよ」と提案できるよう、常に先の時代を見据えて投資し続けています。

(※)PTP包装:錠剤やカプセルをプラスチックとアルミで挟んだシート状の包装のこと。

仕事を楽しむ心が生む困難への挑戦意欲

ーー困難な課題に対しても、妥協せず挑戦し続けられるのはなぜでしょうか。

小林明宏:
「仕事を楽しむ」という姿勢が根底にあるからです。お客様や競合他社が「できない」という難しい課題にこそ、あえて挑戦します。世界で誰もやったことがないことを成し遂げるには、時間を忘れて没頭するほどの情熱が欠かせません。仕事がつまらなければ、そこまでの力は湧いてこないはずです。仕事に興味を持ち、心から楽しむからこそ、困難を乗り越える力が生まれるのだと考えています。

ーー工場内では自社製の設備も多く稼働していますが、内製化にこだわるのはなぜでしょうか。

小林明宏:
世の中に売られている産業用ロボットは、物を移動させるような単純作業は得意ですが、職人と一緒に行うような繊細な作業はまだできません。自社開発のロボットも、当初は外注を検討しましたが、私たちの繊細な仕事を理解していない会社にはつくれないと痛感し、自社開発を決めました。現場を最もよく知る自分たちの手で開発することで、本当に必要な機能を持ったロボットをつくることが可能です。今では、そのロボットを導入したいというお客様の声もいただくようになりました。

次世代へ技術をつなぐための仕組みづくり

ーー今後の事業拡大や成長のあり方についてどのようにお考えでしょうか。

小林明宏:
会社の規模や売上高をむやみに拡大することに、強いこだわりはありません。一方で、日本政府が100億円企業を増やす方針を掲げているように、私たちが技術を次世代へつなぎ、社会に貢献し続けるためには一定の成長も必要だと考えています。ただし、一つの大きな工場に何千人も集めるような大企業を目指すつもりはありません。それよりも、20人から30人規模の技術力の高い拠点を、国内外に20カ所ほどつくる。そんな「小規模なプロ集団の集合体」であれば、変化に強く、一人ひとりのやりがいを大切にできる組織であり続けられるはずです。

ーー事業承継に向けてどのような組織づくりを進めていますか。

小林明宏:
これまでは私自身が全体を率いてきましたが、さらなる多国籍化や組織力の向上には、チームやグループで経営する仕組みづくりが不可欠です。現在は、工場長クラスには役員レベルの視点を、課長クラスには工場長クラスの視点を持ってもらうよう、直接の対話を通じてそれぞれの役割を引き上げています。

また、本社機能の管理職に海外の人材を3割ほど登用する構想もあります。国籍や学歴に関係なく、教え合い、学び合える多様な視点を取り入れながら、次の時代も発展し続けられる強固な組織を目指します。

編集後記

窮地での決断が企業の運命を左右する。小林氏は若くして再建の重責を担い、甘えの許されない環境で組織を再生させた。自らも現場で汗を流し、誰よりも早く未来を形にする姿勢は、社員の心に深く浸透している。その原動力は仕事を楽しむという純粋な情熱だ。規模の拡大を追わず、個々のやりがいを重視する組織の在り方は、これからの日本企業の道標となる。技術を磨き、未知の領域へ挑み続けるその歩みは止まることなくこれからも続く。

小林明宏/1968年12月10日、東京都杉並区生まれ。1989年桐蔭学園工業高等専門学校を卒業後、父が経営する協栄プリント技研株式会社に入社。同社にて金型事業部長や海外子会社社長を歴任し、実務と経営の経験を積む。2010年、同社代表取締役社長に就任。「社是・社訓・経営理念」を経営の根幹に据え、組織を牽引している。経営の傍ら学術研究にも励み、2012年3月には桐蔭横浜大学大学院博士後期課程を修了し、博士(工学)を取得。現在は、関連する工業会や工学会、研究会での活動に加え、産学連携の推進にも深く注力している。