
千葉県に拠点を置く株式会社エムズファクトリーは、手芸用の紙バンド(クラフトバンド)の製造・販売で独自の地位を築いている。同社を率いるのは、度重なる大病や貧困、人間関係の軋轢といった数々の苦難を乗り越えながら、わずか7万円を元手に事業を興した松田裕美氏だ。苦難を原動力に変えて、主婦から実業家へと転身し、今では全国8000人の講師を育成する独自のビジネスモデルを構築し、コロナ禍の逆境さえも新たな商機に変えてきた。その不屈の精神と、事業を通じて社会に貢献しようとする熱い思いの源泉に迫る。
悔しさをバネに 事業家への道を切り拓いた原点
ーー社長のこれまでのご経歴についてお聞かせください。
松田裕美:
家庭の事情で高校を1年で中退し、16歳から一人暮らしを始めました。学歴が十分ではないため就職先探しには苦労し、アルバイトを転々とする日々でした。その後、先天性の病気で5回もの手術を経験し、長く入院していた時期もあります。「なぜ自分ばかり」と親を恨んだこともありましたが、「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言われるように、一つでも欠けていたら今の自分はいなかったでしょう。今となっては全てが必要な経験だったと思っています。
ーーなぜ手芸、特に紙バンドを使ったものづくりを始められたのでしょうか。
松田裕美:
長男が小学生の時、ママ友の集まりで紙バンドを使ったバッグ作りを体験したのがきっかけです。手芸は大の苦手でしたが、木工用接着剤とはさみ、洗濯バサミでできる手軽さが工作のようで夢中になりました。そして完成したバッグに果物を詰めて知人にプレゼントしたところ、手作りならではの温かみがとても喜ばれたのです。お金がなくても心のこもった贈り物をしたい、という思いから作り始めました。
ーー趣味から事業化に至ったきっかけは何だったのでしょうか。
松田裕美:
きっかけは、千葉県一宮町への転居後に自作のかごを披露し、その魅力をママ友たちへ広めていったことにあります。自宅に20名もの人々が集まるほど地域に活動を浸透させたのですが、資格もない素人が教えることを快く思わない人もいたようです。親しくしていたママ友から反発を招いてしまい、私への攻撃が娘へのいじめにまで発展してしまいました。この子を守るには自分が変わらなければならない。ならば誰もが認めるプロになるしかないと考え、起業を決意したのです。
8000人の「講師」を育てる独自のビジネスモデル

ーー起業後、どのようにして事業を軌道に乗せたのでしょうか。
松田裕美:
まずはクラフトバンドを求めている全国の方々に商品を届けるため、パソコン教室の先生に頼んでネットショップを作ってもらいました。当時はパソコンも持っていなかったので、ガラケーに転送された注文情報を見ながら、手作業で梱包と発送をこなす毎日でした。最初は20色ほどしかなかったクラフトバンドも、静岡の製紙工場に直接交渉し、今では300色以上にまで増えました。私を信用して協力してくれた会社は、当時倒産寸前でしたが、工場の経営再建にも貢献することができました。
ーーどのような経緯で今のビジネスモデルにたどり着いたのでしょうか。
松田裕美:
それまではママ友の集まりの延長として教えていたため、材料費以外のお金は一切いただいていませんでした。ところが、あるとき参加費として500円をいただこうとした際、「資格もないのにお金を取るのか」という言葉に言い返せず、資格取得を決意します。夫に内緒で静岡へ1年間通い、修了証を取得した後、全国から講座の問い合わせが急増しました。そこで、独自の通信講座を開始し、受講生を一人も挫折させないように電話や動画で徹底的にサポートし、必ず資格取得まで導く仕組みを構築しました。
現在、卒業生の先生は全国に8000人いますが、入会金1万円と材料・テキスト代以外一切いただきません。その代わり、先生方が各地で教室を開くことで生徒が増え、弊社の材料が売れるという仕組みです。先生方は、いわば私たちの「営業パーソン」。ファンを育て、そのファンが新たなファンを呼ぶサイクルこそが、ビジネスの根幹を支えています。
ーー先生方とのつながりが活かされたエピソードはありますか。
松田裕美:
東日本大震災のとき、被災地の先生や生徒さんから、家や仕事を失ったという連絡が相次ぎました。半年後に仮設住宅を訪ねると、そこには希望を失い、孤独に苦しむ人々の姿があったのです。そこで材料を持ち込み、かごを編む会を開いたところ、「無心になれたし、死ぬことを忘れられた」「ボランティアの方へお返しができてうれしい」といった声が寄せられたのです。
私は紙の紐が人の命を救うこともあるのだと知り、自分が今、生かされている意味を深く考えるようになりました。世の中から必要とされる会社、社会貢献できる会社は決してなくなりません。利益より従業員を守り、社会に役立つことの方が重要です。今も災害のたびに現地情報を集め、全国の講師に呼びかけて編んだかごを送る支援を続けています。
逆境こそ最大の好機 コロナ禍で見出した新たな活路
ーーコロナ禍では、事業にどのような影響がありましたか。
松田裕美:
全国の教室が閉鎖され、材料の注文が激減しました。30名以上の従業員と先生方の収入を守らなければなりませんが、飲食業のような補助金もありません。自分たちで何とかするしかないと、必死で打開策を考えました。
突破口となったのは、梱包用のPPバンド(※1)です。クラフトバンドと同じ1.5cm幅で、編み方も同じで、さらに洗える点に「これだ」と直感しました。すぐに全国から材料を仕入れてレシピを開発し、講師の先生方に呼びかけました。コロナ禍が明ける頃には関連書籍を3冊出版し、今ではクラフトバンドの売上を超えるまでに成長しています。
(※1)PPバンド:荷物の結束などに使われるプラスチック製のバンド。軽量で強度があり、耐水性・耐薬品性に優れ、リサイクル性も高いのが特徴。
ーーなぜ、PPバンド事業の成功を確信できたのでしょうか。
松田裕美:
当時の市場には、すでにベトナム製のPPバンドで作られたプラカゴがありましたが、原色を多用した派手な色使いが多く、日常使いには不向きでした。しかし日本人が作ると、黒を基調に白のラインを入れるなど、シックで洗練されたデザインになります。フォーマルな場にもなじむデザインと高い品質は日本人ならではのもの。この繊細な感性を活かせば、海外製とは一線を画せると確信しました。
流行には乗らない 好きを貫くことが成功への唯一の道
ーー今後の事業展望について、どのようにお考えですか。
松田裕美:
規模の拡大を追うよりも、まずは従業員へ報酬を払い続けられる体制を維持することが何より大切だと考えています。というのも、超高齢社会においてクラフトバンドの需要は、今後20年は伸び続けると確信しているためです。こうした安定した市場環境を背景に、事業面では常にニーズを察知し、真に求められる提案を続けたいという強い思いがあります。特にお孫さんに喜ばれる作品づくりを楽しむシニア世代へ向け、シニアのコミュニティの場をつくり、今後も手厚いサポートを継続していく考えです。
ーーこれから起業を目指す方々へメッセージをお願いします。
松田裕美:
一過性の流行に安易に乗るべきではありません。ブーム便乗型の事業は、ブームが去れば借金しか残りません。大切なのは、自分が「誰にも負けないくらい好き」なことを見つけることです。私は日本一この紐を愛している自負があったから、誰に何を言われても突き進めました。好きでたまらないことなら、どんな困難も乗り越えられます。
編集後記
「お金がなくても心のこもった贈り物をしたい」という思い。松田氏の起業の原点は、決して華やかなものではなかった。しかし、その逆境から生まれたエネルギーは、ニッチな市場に確かな需要を創り出し、多くの人々の生きがいを支え、災害時には心の拠り所さえも提供する事業へと昇華した。流行を追うのではなく「好き」という純粋な情熱を貫くことの強さを、松田氏の生き様は雄弁に物語っている。変化の激しい時代を生き抜くヒントは、自身の心の内にこそ眠っているのかもしれない。

松田裕美/1967年長崎県生まれ。2003年創業。2006年に株式化し、エムズファクトリーを設立。同年、一般社団法人クラフトバンドエコロジー協会設立。2013年、被災地応援プロジェクトを開始。震災時等のボランティア活動や寄付、被災者の就業支援も災害時に随時行う。2015年、千葉県茂原市卸団地に受注センター出荷部書籍制作部を含めたMGSロジスティックを開設。2018年、クラフトバンド実技講座が、文科省通信教育として認定を受ける。