
工作機械の一種である「研削盤」の分野で、世界トップクラスのシェアを誇る株式会社岡本工作機械製作所。同社は、日本、シンガポール、タイ、中国に生産拠点を構えるグローバルな一貫生産体制を強みとし、多種多様な製品を世界市場に供給している。また、工作機械で培った超精密加工技術を応用し、成長著しい半導体製造装置の分野でも事業を拡大中だ。今回は、通算30年近くにわたる海外勤務でゼロからの事業立ち上げを経験し、リーマン・ショック後の厳しい経営環境下で同社の再建を牽引した代表取締役社長の石井常路氏に、その軌跡と未来への展望をうかがった。
30年の海外経験とタイでの創業 危機を救い黒字経営を継続
ーー社会人としてのキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。
石井常路:
海外勤務を希望して入社し、20代のうちに念願だったシンガポール赴任が実現したところから、私の本格的なキャリアが始まりました。もともと海外志向が強く、大学の就職課でも、海外経験が積める求人を探していました。そして、求人票の中にある『若手にも海外経験のチャンスがあり、自分の可能性を試せる会社だ』という先輩の言葉が目に留まり、直感的に『ここなら海外へ行きたいという私の熱意を真っ向から受け止めてくれる』と感じました。その直感を信じて選考に臨んだところ、言葉通りに私の想いを汲み取っていただき、入社に至ることができました。
当時、弊社の海外赴任には一定の要件がありましたが、1983年、26歳の時にその機会を得てシンガポールへ渡ることができました。現地では経理マネージャーという肩書きでしたが、海外拠点では専門分野以外の仕事も求められます。当時、現地工場には200名ほどの従業員がいましたが、日本人は社長と現場担当、そして私の3人だけでした。そのため、生産管理や製造、購買など、あらゆる業務を任せてもらいました。財務にとどまらない幅広い経験を積めたことは大きな財産です。
ーーシンガポールでの勤務を経て、その後はどのようなキャリアを歩まれましたか。
石井常路:
シンガポールの次に赴任したタイでは、何もない荒野から工場を立ち上げるという、実質的な「創業者」としての役割も担ってまいりました。1987年当時、タイには工作機械メーカーが存在しておらず、政府関係者に「工作機械とは何か」を説いて回るところから始めなければなりませんでした。土地の選定から工場の建設、人材の採用、そして許認可の折衝まで、すべて一人で担う日々は挑戦の連続でしたが、一つひとつ作り上げていく過程は、何物にも代えがたい貴重な経験といえます。
その後、通算で30年近くを海外で過ごしましたが、2012年に「会社の立て直し」を託され、日本へ帰国することになりました。リーマン・ショックの影響で悪化した業績を回復させるべく、長年の海外生活に区切りをつけることには迷いもありましたが、「会社の危機を救いたい」という一心で引き受けました。社長就任初年度に、将来の懸念材料をすべて処理し、いわば「膿を出し切る」形で会社を一度リセットしました。クリアな状態で再スタートを切った2年目以降、現在に至るまで黒字経営を継続できていることは、私にとって大きな自信となっています。
組織改革で危機を克服。世界トップシェア誇る研削盤メーカーの強み

ーー社長就任後、会社の立て直しに向けて、具体的にどのようなことから着手されたのですか。
石井常路:
最初に取り組んだのは、3カ年の中期経営計画の策定と、全社員が同じ目線で目標へ向かうための土壌づくりです。それまで弊社には、複数年にわたる中期経営計画を策定する文化が希薄でした。しかし、会社が厳しい状況を乗り越え成長していくためには、全社員が同じゴールを目指す必要があると考えたのです。
そこで、「3カ年の中期経営計画」を策定し、全社員に公表しました。会社の3年後の姿を明確に示し、全員でそこに向かって進んでいこうと呼びかけたのです。ただ計画をつくるだけでなく、それを粘り強く伝え続けることが最も重要です。策定した目標をことあるごとに社員に開示し、「今、私たちはここにいる。目標達成のためにこうしていこう」と、現状と進むべき道を繰り返し伝えました。何度も聞いているうちに、社員も自然とその気になってくるものです。会社全体の大きな目標を、各部署、各係といった小さな単位の目標にまで落とし込み、全社が一丸となって邁進できるよう注力しました。
ーー改めて、貴社の事業概要と、独自の強みについてお聞かせください。
石井常路:
弊社の事業は、中核である「工作機械」と、その技術を応用した「半導体製造装置」の2本柱です。私たちの最大の強みは、機械の基礎となる「鋳物」から自社で製造する一貫生産体制にあります。素材レベルから徹底して品質を作り込めるからこそ、他社の追随を許さないミクロン単位の「超精密加工」が可能になるのです。この技術力を基盤に、工作機械分野では世界でも稀な「研削盤のフルラインナップ化」と「グローバル展開」を実現しました。さらに、そのノウハウを半導体製造装置にも展開し、AI需要などで急成長する先端市場を、圧倒的な精度で支えています。
工作機械と半導体の両輪で飛躍へ マザーマシンの誇りを胸に
ーー今後の事業展望について、詳しくうかがえますか。
石井常路:
歴史ある工作機械事業と、成長著しい半導体関連装置事業の両輪で、さらなる飛躍を目指しています。まず半導体関連装置事業では、近年需要が伸びているSiC(炭化ケイ素)やGaN(窒化ガリウム)などの化合物半導体に対応する装置開発へ、積極的に投資する計画です。その一環として新たな研究開発拠点も設け、成長を加速させていく考えです。
一方、主力の工作機械事業においては、製造現場の人手不足を解決する「究極の機械」の提供に注力します。具体的には、製品を機械に載せたまま自動測定する「機上測定」技術を進化させていく方針です。一度ワークをセットすれば、測定から仕上げまでを全自動で行えるようにする。これにより、省人化と高精度化を同時に実現し、お客様に高い価値を提供し続けることが私たちの使命であると確信しております。
ーー最後に、社員の方々に伝えている思いをお聞かせください。
石井常路:
日本のものづくりを根幹から支えている存在としての「誇り」を持って仕事に取り組んでほしいと、常に伝えています。日本のGDPの約20%は製造業が占めており、ものづくりは今も昔もこの国の基幹産業です。あらゆる製品を生み出すための機械、いわゆる「マザーマシン」をつくっているのが、私たちのような工作機械メーカーなのです。ハードウェアがなければ、どんなに優れたソフトウェアも機能しません。私たちは、その大切なハードを生み出す会社なのだという自負を持って、これからも付加価値の高いものづくりに邁進していきます。
編集後記
30年近い海外勤務で培われた、ゼロから事業を立ち上げる圧倒的な行動力。そして、会社の危機に際して帰国し、社員と目線を合わせる地道な対話でV字回復を成し遂げた粘り強さ。石井氏の言葉の端々から、困難な状況を楽しむかのような逞しさと、日本のものづくりに対する揺るぎない誇りが深く伝わってきた。研削盤という伝統的な技術を進化させながら、半導体という最先端分野へ果敢に挑む同社の姿は、日本の製造業の明るい未来を照らしている。

石井常路/1956年神奈川県生まれ。1979年成蹊大学経済学部を卒業後、株式会社岡本工作機械製作所に入社。 1983年よりオカモト・シンガポールにてファイナンスマネージャーなどを歴任し、1985年にタイへ赴任。1987年の現地法人(オカモト・タイ)設立に尽力し、同社取締役に就任。日本の工作機械をタイへ普及させるパイオニアとして活躍する。2003年に同社取締役社長を経て、2014年より弊社代表取締役社長に就任(現職)。