京都で150年にわたり、手づくりの茶筒を作り続ける株式会社開化堂。日本で一番古い歴史を持つ茶筒メーカーとして知られる同社は、伝統の技術を守りながらも、世界15カ国以上に販路を拡大し、伝統工芸の新たな可能性を切り拓いている。6代目当主である代表取締役社長の八木隆裕氏は、英語力を武器に海外へ飛び出し、ロンドンの紅茶専門店との出会いを経て、ブランドを確固たるものにした。「茶筒」の枠を超え、世界中の人々の「大切なもの」を包み込む同社の挑戦と、その根底にある信念について話を聞いた。
米国での直感から始まった伝統工芸の変革
ーーまずは、八木社長のこれまでのキャリアの歩みについて教えてください。
八木隆裕:
もともと親戚にアメリカ人がいたこともあり、英語を話せるようになりたいという思いから、大学は外国語学部への進学を選びました。その後は、家業には入らずにアミタ株式会社に就職しています。というのも、昔から父には「伝統工芸なんて先細りの仕事だ。だから今のうちにサラリーマンを経験しておきなさい」と言われていました。そのため就職時は家業を継ぐことは全く頭になく、まずは英語を使って外の世界を見たいと考えたのです。そこで、大学卒業後はアミタ株式会社に入社し、京都ハンディクラフトセンターにある免税店で3年ほど働きました。
その後は家業へ戻り、まずは5年ほど職人としての修業に専念しました。父からは「職人と商売人を両立する職商人になれ」と告げられ、その教えに従って、ただ工房で製品をつくるだけでなく、自ら百貨店へ足を運んで販売活動にも奔走するようになりました。
ーー免税店で経験されたことの中で、印象に残っているエピソードはありますか。
八木隆裕:
アメリカ人のお客様がいらっしゃったときのことです。店舗では実家でつくっていた茶筒も販売しており、そのお客様がそれを購入されたのですが、用途を尋ねると「キッチンで使う」という答えが返ってきました。当時の私にとって、日本の工芸とアメリカの文化は最もかけ離れた存在でした。しかし、キッチンという日常の空間で使われると知り、私たちの茶筒が世界中の日常へ自然に溶け込んでいける可能性を感じた瞬間でした。

ーー修業を終えた後の具体的な転機は何だったのでしょうか。
八木隆裕:
転機となったのは、突然イギリスから届いた一通のメールでした。ロンドンの紅茶専門店「ポストカード・ティーズ」の店主であるティム氏から、弊社の茶筒を扱いたいと連絡があったのです。それを受けて半信半疑ながら、私は自ら道具を持って渡英し、1週間ほど店頭で実演販売を行いました。
実は、この事の発端は、世界的に有名なギャラリストであるティム氏の父、アンソニー・ドゥ・オフェイ氏が、ロサンゼルスのショップで弊社の茶筒を見つけてくださったことにありました。ティム氏も以前から弊社の製品を知っており、そこで情報が繋がったのです。こうしてお二人の目に留まり、著名なクリエイターが集うティム氏のお店で紹介されたことで、一気に世界への扉が開きました。これをきっかけに海外展開を本格化させ、現在は中東など15カ国で展開するまでになりました。
数値化できない使い心地を追求する職人魂

ーー伝統工芸の価値を広めるために注力している活動はありますか。
八木隆裕:
2012年に、若手後継者たちと共に「GO ON」というユニットを結成しました。当時は現在ほど伝統工芸の認知度が高くなかったため、上の世代から「後を継げと言える状況ではない」と言われるほどだったのです。そのため、まずは海外へ出てマーケットを広げて伝統工芸がビジネスとして成り立つことを証明し、存在を広く知ってもらうことから始めたのです。
そうして市場を広げる一方で、私たちは改めて「ものづくり」の本質に立ち返りました。しっかりと、ものをつくり上げる段階を経て、次は「なぜ私たちはつくるのか」という根源的な部分を世の中に発信し始めました。そして現在は、それを確固たる言葉として残すべきだと考え、「工芸の理論化」としてまとめる取り組みを進めています。具体的には、同志社大学などと連携し、これまで感覚的だった工芸の価値を言語化しようという試みです。学生の方々が理論を学んで社会に出ることで、工芸への理解が正しく世の中に広まっていくと確信しています。
ーー次世代へ技術をつなぐ際、最も重視する点をうかがえますか。
八木隆裕:
「手から手へ」技術を渡していくことです。弊社では、マニュアルを一切つくりません。なぜなら、言葉や数字にした瞬間、それが「正義」になってしまうからです。「何ミリの隙間でつくるか」といった数値化を守ること自体が目的になると、自分たちの心の中にある「心地良さ」に向き合うことが疎かになってしまう恐れがあります。だからこそ、あえて数字化せずに感覚を共有する道を選んでいるのです。
この言葉にできない感覚は、自転車の乗り方と同じで、一度体で覚えると忘れない「暗黙知」だといえます。私たちは、誰がつくっても同じ開化堂らしいものを生み出すため、この「暗黙知」を、毎朝のミーティングや日々の作業を通じて全員でシェアすることを何よりも大切にしています。
イタリアの巨匠エンツォ・マーリ氏は、職人とはどのような人かと問われた際、手のひらの中に脳を描き「手で考えるのが職人だ」と言いました。言われた通りにつくるのではなく、自分の手で素材と対話し、考えながら生み出す。その姿勢こそが、100年使われる茶筒を生み出すと信じています。
世界中の大切なものを包む「ケの日の最上級」

ーー時代の変化に伴い、製品の役割はどう変わったのでしょうか。
八木隆裕:
私たちは「世界中の人々の大事なものを入れる器」を作っていると考えています。国や文化が違えば、大切なものも変わります。パスタでもコーヒーでも、その人が大切にしたいものを入れてほしい。そうした発想から、パスタ缶やスピーカーなども生まれました。
私はよく、今の挑戦を「茶筒の上で反復横跳びをしている感覚」だと表現します。私の頭の中には、150本の茶筒が一列に並んでいる映像があり、パスタ缶やスピーカーといった新しい挑戦は、いわばこの反復横跳びの動きです。
遠くから見れば、それはただの保守的な一本のラインに見えるかもしれません。しかし、実際にはそのラインの上で激しく動き続けています。そのエネルギーがあるからこそ、茶筒の列を一つ、また一つと前に進めていけるのです。
ーーこれから実現したい未来の姿を教えてください。
八木隆裕:
会社を大きくしようとは考えていません。小さくても、世界中で愛される特別な存在であり続けたいのです。目指しているのは「ケの日の最上級」であり、日常の中で使うたびに心地よさを感じるものをつくり続けたいと思っています。
工芸とは、本や雑誌ではなく「新聞」のような存在だと捉えています。新聞は「形態」こそ変わりませんが、中身は毎日更新されます。私たちのものづくりも同様に、茶筒をつくるという形は変えません。しかし、そこに込める技術や感性は毎日アップデートします。「変わらないまま、変わり続けていく」ことこそが本質です。
これまでは、職人が憧れられる職業になることを目指して活動してきました。今後はそこからさらに踏み込み、世界中のものづくりに携わる方々の本来の価値が世の中に正しく伝わるよう、社会の理解度を深めていく活動に注力したいと考えています。それこそが、私が生涯をかけて取り組んでいきたいライフワークです。
編集後記
本質を大切にしながら、時代に合わせて「変わらないまま、変わり続けていく」。八木氏のこの言葉は、伝統工芸のみならず、変化の激しい現代を生きるすべてのビジネスパーソンへの示唆に富んでいる。150年の歴史という土台の上で、軽やかに「反復横跳び」を続ける同社。その独自の歩みは、言葉にできない心地よさを世界中に届け続けている。この飽くなき探求は、これからも続いていくことだろう。同社の茶筒が、100年後の未来でも誰かの暮らしを彩っている。そんな飛躍が楽しみだ。

八木隆裕/1974年生まれ。京都産業大学卒業後、2000年に開化堂入社。伝統的なお茶筒の技術を継承しながら、BtoCへの転換や海外展開を推進し、ロンドンをはじめ欧米・アジアへ市場を拡大。2012年には若手後継者によるプロジェクト「GO ON」を結成し、国内外で伝統工芸の発信に尽力。作品は世界の主要美術館に収蔵。著書に『共感と商い』がある。