
「愛ある日々のお手伝い」を理念に掲げ、関西を中心にサービス付き高齢者向け住宅を37拠点、1,264室を展開する株式会社T.S.I。同社を率いる代表取締役の北山忠雄氏は、劇団員、着物職人など異色の経歴を持つ。同氏が自身の使命としてたどり着いたのは、サービス付き高齢者向け住宅の運営だ。その背景には、阪神・淡路大震災での原体験や、自身の闘病生活を通して培われた、困難な状況でも「どうすればできるか」を常に考え抜く前向きな人生観があった。なぜ、未経験から介護業界へ参入し、独自のドミナント戦略で支持を集めるに至ったのか。その生存戦略と描く未来図に迫った。
「どうしたらできるか」を問い続け、たどり着いた介護の道
ーー起業に至るまでの経緯をお聞かせいただけますでしょうか。
北山忠雄:
元々は劇団で活動をしていました。しかし、それだけでは生活を成り立たせることが難しく、また、当時結婚を考える相手がいたこともあり、将来を見据えて退団を決断。そこからは知人からの紹介やオファーを受ける形で、着物の染色職人や友人たちと野菜など様々な物の販売を行ったり、画材関係の仕事をされていたオーナーからスカウトされて店長を務めるなど、さまざまな職を転々としてきました。その後、30代のときに友人に誘われて不動産業界に入り、3年目には京都でトップクラスの会社へと成長させるまでになりましたが、その矢先に阪神・淡路大震災が発生したのです。
当時、被災地でボランティアを行っていたときに、倒壊した家屋などの惨状を目の当たりにし、一瞬にして生活が崩れてしまうという現実に打ちのめされました。その中で湧き上がったのは、「幸せな生活を送れる頑丈な家を建てたい」という強い思いです。そこで独立を決意し、建設・不動産事業を始めたのが最初の起業でした。
ーーなぜ介護・高齢者住宅の分野へ進まれたのでしょうか。
北山忠雄:
不動産事業を行う中で、高齢の方が入居を希望されても独居であることを理由に断らざるを得ないケースが多々ありました。「社会には高齢者が安心して住める場所が必要だ」と痛感しましたが、当時の私には介護のノウハウも実績もなく、金融機関には門前払いをされる始末でした。
もともと私は「どうしたらできるか」を考えるタイプです。ノウハウがないのであれば、現場で蓄積すればいい。そう考え、まずは訪問看護ステーションを立ち上げました。しかし、現場で痛感したのは、週に数回程度の訪問では、24時間体制のケアを必要とする方々の生活を守り抜くには限界があるという現実でした。
そんな中、法改正によって「サービス付き高齢者向け住宅」という制度が新設されました。これこそが、住まいとケアを両立できる「社会に必要な場所」になると直感し、本格的な参入を決意したのです。琵琶湖のほとりに土地を購入し、ノウハウが全くない中で試行錯誤しながら最初の一棟を建てたのが、現在の弊社の始まりです。
入居者への深い関心が生み出す人生最期の幸せをプロデュース

ーー貴社の理念には、どのような思いがあるのでしょうか。
北山忠雄:
弊社では、「愛ある日々のお手伝い」という理念を掲げています。この「愛」とは一体何なのか。私たちは、「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と考えています。つまり、愛の本質とは、相手に深い関心を持つことです。入居者様一人ひとりに関心を持ち、その方がどう感じ、どう過ごしたいと願っているのかを深く考える。それが私たちの仕事です。
私自身、高校生のときに病気を患い、卒業後すぐに2年間ほど療養所に入っていた経験があります。当時の療養所は暗く陰鬱な場所でした。でも、私はそこでギターを弾いたりお楽しみ会を開いたりして、高齢者の方々と交流していました。その時、皆さんがとても喜んでくれた記憶が今も鮮明に残っています。その原体験があるからこそ、私たちは常に入居者様に関心を持ち、心を込めて接するよう心がけているのです。
そのような思いから、弊社の施設では毎日レクリエーションを行っています。人生の最期を過ごす場所として、ただ生活を送るだけでなく、心躍る幸せな時間を提供し続けることが私たちの使命だと考えています。
ーー幸せな時間をつくるために、具体的にこだわっている点はありますでしょうか。
北山忠雄:
「自分の親をここに入れたいか」「将来、自分がここに入りたいか」という問いを常に持ち続けることです。たとえば、コロナ禍において多くの施設が面会を全面的に禁止しましたが、私たちは感染対策を徹底した上で、ご家族との面会を続けました。なぜなら、病院ではなく、入居者様の「自宅」という位置づけだからです。最期の瞬間に家族に会えないなど、人としてあってはならないことだと考えています。実際、弊社で最期の時間を家族と共に過ごし、安らかに旅立たれた場面を数多く見届けてきました。
私たちが提供しているのは、単なる「施設」という箱ではありません。そこにある入居者様の暮らしや家族の絆を守り、幸せな時間をプロデュースすることこそが、私たちの果たすべき使命なのです。
テクノロジーで現場を支え高齢者に生きがいを 見据える未来の景色
ーー今後の展望や注力テーマについてお聞かせいただけますでしょうか。
北山忠雄:
現場の負担を減らすためのシステム開発に注力しています。これまで、サービス提供責任者はスタッフへの詳細な指示出しや報告の管理など、非常に重い業務を背負っていました。そこで彼らの負担を軽減するため、パソコン上で指示の作成から現場での手順確認、日々の報告処理までがスムーズに完結する独自のシステムを3年かけて構築したのです。
業務フローを可視化することで、初めて担当するスタッフでも適切なケアができるよう手順の標準化を進めてまいりました。今後はここにAIを組み込み、さらなる業務効率化を図る予定です。システムを活用して管理業務の負担を軽減し、その分生まれた時間を、入居者様へのお声がけやモニタリングといった本来の心を通わせるケアに充てていただきたいと考えています。
ーー今後の拠点展開の計画についても、お聞かせください。
北山忠雄:
現在は関西を中心に、半径2キロメートル圏内に複数の施設を展開する「ドミナント戦略」を採用していますが、この戦略をとる理由は2つあります。
1つは、緊急時にスタッフが応援に駆けつけられる連携体制の構築。もう1つは、社員のキャリアパスを広げるためです。各施設が遠く離れて点在しているだけでは、拠点ごとの運営に終始してしまいますが、近隣に施設が集中することで、それらを横断的に統括するエリアマネージャーなどの新たなポストが誕生しやすくなります。次々と身近な場所に新しい舞台ができるからこそ、やる気のある社員に上位職への挑戦機会をスピーディーに提供できるのです。実際、夜勤のパートスタッフからスタートし、わずか数年で数億円規模の予算を管理するエリアマネージャーへと昇格した社員もいます。
さらに今後は、すでに出店している東京や神奈川、栃木に加え、埼玉、千葉などへの展開も強化していく考えです。首都圏エリアの空白地帯を埋めていきたいと考えていますが、私たちが理想とする住宅街での土地確保は競争が激しいのが現状になっています。それでも、子会社に建築部門を持っているため建築費用を抑えられ、入居者様にリーズナブルな家賃設定をご提案できる自社の強みを最大限に活かし、着実に拠点を拡大していきます。
ーー社員育成において意識されていることはありますでしょうか。
北山忠雄:
「経営の見える化」です。施設の収支、人件費、利益などの情報をすべて社員に公開しています。その上で自分たちで予算を組み、経営者感覚を持って運営してもらいます。仕組みがわかれば、仕事は面白くなるものです。
採用に関しては、スキルより人柄を最重視しています。技術は後から教えられますが、優しさや誠実さは変えられません。「この人に自分の親を任せられるか」という視点で厳選し、入社後はその期待に応えられるだけの舞台を用意する。それが私の役割です。
ーー最後に、改めて貴社はどのような未来を描いていますでしょうか。
北山忠雄:
かつてアメリカのアリゾナを視察した際、リゾートのような老人ホームで、高齢者が生き生きと働いている姿に衝撃を受けました。人は、誰かの役に立つことに喜びを感じる生き物です。将来的には、AIやロボット技術などの助けを借りながら、高齢になっても何らかの形で社会に参加し、働くことができる環境を作りたい。単にケアを受けるだけでなく、最期まで生きがいを持って暮らせる。そして、「いい人生だった」と安らかに締めくくれる。そんな「終の棲家」の理想形を、これからも追求し続けていきます。
編集後記
「どうしたらできるか考え続ければ、必ず道は拓ける」。北山氏の言葉には、数々の修羅場を乗り越えてきた経営者ならではの力強さと、底抜けの明るさがあった。劇団や職人としての経験、そして震災での原体験。一見バラバラに見える点と点が、すべて同社の事業で線となってつながっている。「愛とは関心を持つことである」という信念の下、合理的かつ温かみのある経営を続ける同社が、日本の超高齢社会にどのような光を灯すのか。その飽くなき挑戦は、これからも続くことだろう。

北山忠雄/1954年生まれ。阪神・淡路大震災を機に住宅の安全性を考え、不動産業界から転身し、1995年に株式会社北山住宅販売を創業。そこで高齢者の生活や住宅事情に直面し、2010年に株式会社T.S.Iを設立。訪問看護から始め、2013年にサービス付き高齢者向け住宅「アンジェス」を開設。2021年に東証グロース市場上場、創業15周年の2025年に名証メイン市場に重複上場し、同時に北山住宅販売は30周年を迎えた。