
アパレル業界がかつてない激動期にある中、社員わずか11名で高い生産性を維持し続ける企業がある。大阪に本社を置く宝誠商事株式会社だ。代表取締役の中島敏雄氏は、上海から単身来日し、ゼロから同社を立ち上げた。子ども服からスタートし、今や雑貨やペット用品までを網羅する柔軟な体制は、いかにして作られたのか。父の教えを胸に、荒波を乗り越える中島氏の歩みと、その経営信念に迫る。
日本との出会い 一通の文通から始まった挑戦
ーー日本に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。
中島敏雄:
上海の医療機器メーカーで働いていた頃、母から「これからは海外へ挑戦する時代だ」と勧められ、夜間の日本語講座に通い始めたのが全ての始まりです。当時は漠然と「将来の選択肢を広げたい」という思いでした。
そこで、姉妹校にいる日本の学生と文通をすることになったのですが、その学生のお母様との交流が人生を変えました。彼女は、当時の中国人が海外へ出ることの難しさを知り、私の来日のために外務省などへ何度も足を運んで支援してくれたのです。その熱意のおかげで1984年に来日が実現しました。初めて見た日本の新幹線や整った街並みの衝撃は、今でも忘れられません。このとき感じた衝撃が「この国でビジネスを学びたい」と強く思った原点です。
ーーその後、起業に至った経緯をお聞かせいただけますか。
中島敏雄:
日本の専門学校を卒業した後、アルバイト先でお世話になった会社の社長に「今までお世話になった恩返しがしたい」と伝えたところ、大阪にある貿易部門を紹介されました。そこで3年間、アパレル貿易の基本を徹底的に叩き込まれました。
その後独立することになったのですが、前職のお客様を引き継ぐようなことはせず、完全なゼロからのスタートを選びました。当時は円高の恩恵もありましたが、実績のない新興商社が信頼を得るのは簡単ではありません。地道に工場を回り、誠実に対応し続けることで、少しずつ道を開いてきました。
日中の強みを融合した組織づくりと柔軟な多角化戦略
ーー会社を立ち上げるにあたり、どのような組織を目指されたのでしょうか。
中島敏雄:
私は来日前に中国の企業で働き、独立する前には日本の企業でも経験を積みました。そこで両国の企業の良さを研究し、双方の強みを融合させることで、独自の企業文化を持つ会社にしたいと考えたのです。
会社にとって最大の財産は人材です。社員一人ひとりの能力を最大限に発揮できるような、独自のワークシステムを構築しました。こうした取り組みが良い循環を生み、優秀な人材の確保や安定した雇用にも繋がっているのではないかと思います。
ーー事業展開については、どのように変化していったのですか。
中島敏雄:
35年前に創業しましたが、創業から15年目を迎えた20年前、少子化の影響を肌で感じ、「子ども服だけに依存するのは危ない」と直感しました。そこからレディース、メンズ、スポーツウェアと領域を広げ、さらにその5年後(今から15年前)には、ニーズの高まりを感じてペット服やバッグなどの雑貨にも参入しました。特定のカテゴリーに縛られず、市場の動きに合わせて今求められているものに柔軟に対応してきたことが、結果として会社を支える柱を増やすことにつながりました。
上海とのダイレクトな連携とスピード感

ーー11名という少人数で、これだけの規模のビジネスを回す秘訣は何ですか。
中島敏雄:
少数精鋭観点から、効率的な作業と高い実行力はとても重要だと思います。たとえばある事業部では、わずか3名で5億〜6億円規模の取引を担当しています。これは、一人ひとりが自分の役割を理解し、無駄なプロセスを省いているからこそ可能です。採用でも、学歴より「物事の本質を捉える理解力」と「相手に的確に伝える表現力」の適材適所を重視しています。
ーー改めて、貴社の強みは何だとお考えでしょうか。
中島敏雄:
私が上海出身であることを活かし、現地の提携工場とは言葉の壁がないダイレクトな信頼関係を築いています。
また、情報共有のスピードにもこだわっています。チャットツールを活用し、工場・本社・顧客がリアルタイムで仕様やサンプル画像を確認できる体制を作っています。私も全てのやり取りをチェックしており、何かあればその場で即断即決しているのです。メールの返信を待つような時間のロスを徹底的に削ることが、私たちの最大の武器ではないでしょうか。
父の言葉を胸に目指す40周年への夢

ーー経営者として大切にされている指針や、影響を受けた言葉はありますか。
中島敏雄:
独立した際に父が話してくれた、「神仙(シェンシィエン)・老虎(ラオフー)・狗(ゴウ)」という言葉を今でも大切にしています。これは経営者が背負うべき覚悟を説いたものです。
父は私に「ビジネスで成功すれば、『神』のようにファーストクラスに乗り、贅沢で自由な生活ができる。しかし、経営者である以上、時には『虎』となって仕入先や工場側を厳しく指導しなければならない。そして、ひとたびトラブルが起きれば『狗(犬)』のように駆け回り、誠心誠意頭を下げて謝罪し、難しい決断に悩み続けなければならない。良いときも悪いときも、この役割を死ぬまで繰り返していく覚悟を持ちなさい」と話してくれました。
創業から35年が経ちますが、最近は「神」のように振る舞える時間は少なく、「狗」のように悩み、難問解決するため、奔走する時間のほうが圧倒的に多いです。しかし、それこそ責任がある経営者は持つべき姿ではないかと、父の言葉を改めて噛み締めています。
ーー今後の戦略について教えてください。
中島敏雄:
まずは既存のお客様との関係をさらに深めること。そのうえで、私たちは長年に渡り積み重ねたものづくり実績に価値を感じていただける新しいパートナーを増やしていきたいと考えています。物流コストの削減など、社内でできる合理化はまだあります。外部要因に振り回されない、タフな組織をつくることが目標です。
ーー5年後の40周年に向けたビジョンをお聞かせください。
中島敏雄:
私の目標はシンプルで、主に二つあります。まず、お客様から「宝誠商事と付き合ってよかった」と言ってもらえるような企業になること。もう一つが、社員に「この会社で働いてよかった」と感じてもらうことです。
上場のような派手なことは目指していませんが、逆境の中で、会社は生き残るだけでなく、業績向上を確実に実現して、無事に創立40周年記念日を迎えるよう、これからもしっかりと走り続けていきます。
編集後記
中島社長の話を聞いて印象的だったのは、徹底した合理主義の裏にある、人への義理堅さだ。来日を支えてくれた日本人女性への感謝や、アルバイト先の社長への恩義。そうした「人の縁」を大切にする姿勢が、中国の工場との長年の信頼関係にもつながっている。11名という少人数で戦える理由は、最新のITツール以上に、この強固な信頼のネットワークにあるのだと感じた。40周年に向けて着実に歩みを進める同社の挑戦に、これからも注目していきたい。

中島敏雄/1959年中国上海市生まれ、25歳で来日。スーパーでアルバイトをしながら、専門学校で勉強に励む。1986年に同校を卒業後、株式会社ニコニコ堂に入社。大阪貿易本部に配属され、ベビー子供服の企画から製造まで、様々なキャリア経験を積む。1990年4月に同社を退職し、同年7月に宝誠商事株式会社を創業。2025年で35周年を迎える。