
焼き物の里として知られる栃木県益子町。この地で創業以来、観光拠点として多くの旅人を迎えてきた「益子舘 里山リゾートホテル(株式会社ホテルサンシャイン益子舘)」。かつては団体旅行客で賑わった同館も、時代の変化とともに個人旅行、そして癒やしを求める空間へと変貌を遂げてきた。この変革の中心にいるのが、代表取締役であり女将の高橋美江氏だ。「お見合い結婚」で嫁いだ日から始まった義父との二人三脚、仕事と子育ての狭間で抱えた葛藤、そして経営者としての自立。伝統を守りながらも革新を恐れない高橋氏に、経営の信念である「守破離」の精神と、組織づくりへの思いをうかがった。
義父の背中を追いかけた「守」の時代
ーーまずは、旅館業界に入られた経緯から教えてください。
高橋美江:
私はもともと実家が商売を営んでいたこともあり、「サラリーマンの妻にはならない、商売人の家に嫁ぐ」と決めていました。そんな時、お見合いの話をいただいたのが夫(現会長)でした。ただ、強烈だったのは義父(先代社長)の存在です。お見合いの場に夫本人が現れず、義父が現れ「俺が気に入ったから、あんちゃん(夫)の嫁だ」と宣言されたのです。今でも忘れられない、衝撃的なエピソードです。
結婚後は義父の秘書としてキャリアをスタートさせました。当時はまだ益子舘がオープンする前で、義父の経営する「ホテルサンシャイン鬼怒川」で修業を積みました。そこでの仕事は、徹底的な「報・連・相(報告・連絡・相談)」の実践です。右も左もわからない私にとって、師匠である義父の指示は絶対でした。自分の意見があったとしても、まずは「はい」と言って指示通りに動く。やってみて初めて「お父さん、こっちの方がいいかもしれません」と提案する。この繰り返しが、私の経営者としての基礎、「守」の時期を築いてくれました。
ーー厳しい修業期間を経て、どのような経緯で女将になられたのでしょうか。
高橋美江:
1992年の益子舘オープンと同時に、夫と二人で益子へ入ることになったのがきっかけです。しかし、開業間もなく義父が病に倒れてしまいました。現場は私たちに任されたものの、離れた場所から電話とFAXで毎日細かく指示が飛んでくる日々でした。義父の厳しい指導に応えようと必死でしたが、やがて私自身の中で、仕事と家庭の両立に対する大きな葛藤が生まれていきました。
「破」への転機となった1年間の空白

ーー仕事と家庭の板挟みという苦しい状況を、どのように乗り越えられたのですか。
高橋美江:
実は一度、限界を感じて現場を離れています。当時は子育て真っ最中の時期でした。義父は仕事に対して非常に厳格な人で、私が出産してもすぐに現場復帰することを求めていました。「会社を空けるな」という義父の思いと、母として子どもと向き合いたい私の思いが衝突し、ついに「もう無理だ」と、1年間ほど旅館を離れる決断をしたのです。ですが、その期間は私にとって必要な時間でした。子どもたちと旅行に行き、客観的に自分たちの旅館を見つめ直すことができたのです。そして何より、「因我にあり」という考えに至りました。
義父との衝突も、環境のせいではなく、自分の未熟さや配慮の足りなさが原因だったのではないか。相手を変えることはできないけれど、自分と未来は変えられる。そう気づいた時、不思議と「戻ろう」という覚悟が決まりました。
ーー1年間のブランクを経ての復帰は、スムーズに再スタートを切れたのでしょうか。
高橋美江:
戻ってすぐに義父のもとへ行き、「今まで申し訳ありませんでした」と頭を下げました。すると驚いたことに、それまであれほど細かかった義父が、憑き物が落ちたように何も言わなくなったのです。そこが雪解けであり、私が義父の型を破り、独自の道を歩み始める「離」への移行でした。そこからは「好きにやりなさい」と経営を任されるようになり、団体旅行中心だった営業スタイルを個人旅行向けにシフトしたり、露天風呂の改装やフィットネス、サウナの導入など、自分の色を出した改革を進められるようになりました。
「利他スピリッツ」で組織を強くする
ーー経営において大切にされている考え方を教えてください。
高橋美江:
「利他スピリッツ」です。これは決して特別なことではなく、非常にシンプルな原則です。「嘘をつかない」「時間を守る」「挨拶をする」「困っている仲間がいれば助ける」。そういった、人間として「当たり前のこと」を徹底しようという教えです。働く姿は美しいものです。だからこそ、社員一人ひとりが周囲への感謝と配慮を持ち、気持ちよく働ける環境を作ることが、結果としてお客様への極上のおもてなしに繋がると信じています。
ーーその精神が形となった、象徴的なエピソードはありますか。
高橋美江:
コロナ禍で休業を余儀なくされた際、社員たちの結束力が形になった出来事がありました。地域の方々を元気づけようと企画した「窓の明かり」プロジェクトです。客室の照明を点滅させ、「マシコ」「アリガトウ」「ガンバロウ」といったメッセージを窓文字で浮かび上がらせました。
この作業は、社員全員の連携がなければ成り立ちません。インカムで「301号室、点灯!」「次は消灯!」と声を掛け合いながら、一文字ずつ作り上げていきました。真っ暗な夜に浮かぶ光を見て、翌日の地元新聞の記事として大きく取り上げて頂き、地域の方から「勇気をもらった」という声をいただいた時は、本当にやってよかったと胸が熱くなりましたね。
ーー今後の展望についてお聞かせください。
高橋美江:
現在は、次世代への継承を見据えた組織づくりに注力しています。具体的には、人事評価制度の再構築です。若手社員が早期に戦力化し、リーダーとして育っていくための仕組みを整えています。また、ブランディングにおいては「ストーリー」を大切にしたいと考えています。益子は宿泊施設が少ない町です。だからこそ、益子舘が単なる宿泊場所ではなく、益子焼や地域の文化、芸術と旅人を繋ぐハブになりたい。益子という町の魅力を発信し、地域全体を牽引していく存在であり続けたいと願っています。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
高橋美江:
「因我にあり」。人生において、良いことも悪いことも、その原因は全て自分の中にあります。何かの壁にぶつかった時、他人のせいにするのではなく、まず「自分にできることは何か」を問いかけてみてください。自分が変われば、相手も変わり、未来も必ず変わります。益子舘も、変化を恐れず、常に進化し続ける宿でありたいと思います。
編集後記
「師匠である義父の言う通りにするのが一番楽。自分で決断するようになってからの方が、よほど大変でした」。笑顔でそう語る高橋氏の言葉には、厳しさから逃げずに守り抜いた者だけが持つ、芯の強さが宿っていた。一度は離れた場所へ、自らの意思で戻り、謝罪し、そして乗り越える。「守破離」を体現した彼女のリーダーシップと、人間としての温かみ(利他スピリッツ)が融合した益子舘 里山リゾートホテル。これからの益子町を照らす、力強い光となるに違いない。

高橋美江/結婚後、義父の指導のもと女将修業を経て、株式会社ホテルサンシャイン益子舘 代表取締役に就任。益子町議会議員(1期4年)、全旅連女性経営者の会会長、益子町観光協会副会長、益子ロータリークラブ等、社外の要職も歴任し地域活動に尽力する。現在は3人の子どもたちが後継として経営に参画。夫と共に『新婚さんいらっしゃい!』(ABCテレビ・テレビ朝日系)へ最多記録となる8回出場を果たすなど名物夫婦としても知られ、仕事と孫の面倒の両立に励みながら、週末には社員と共に旅館のステージでバンド演奏(ドラム・ボーカル担当)を行っている。