※本ページ内の情報は2026年5月時点のものです。

設立から20周年を迎えた株式会社イミオが展開するブランド「SFIDA」は、2026年度よりJリーグ公式試合球サプライヤーとなる。大手独占の業界で独立系ベンチャーがその座を射止めることは、構造変化を象徴する出来事だ。東大在学中に起業し、IT全盛期にあえて「ものづくり」というアナログな道を選んだ、代表取締役社長の倉林啓士郎氏。「挑戦」の名を冠したブランドはいかにして生まれ、独自の生態系を築いたのか。その原点にある経営信念と、クラブ経営・メディア事業まで拡がる多角化戦略、そして日本発グローバルブランドへの展望を聞いた。

ITバブルの熱狂を背にあえて泥臭い「ものづくり」へ

ーー大学在学中に起業されていますが、当時はどのようなキャリアを描いていたのでしょうか。

倉林啓士郎:
当時はITバブルの真っ只中で、私も株式会社DeNAでインターンをしていました。まだ赤字の時期でしたが、南場智子さんをはじめとする創業メンバーの熱量や、事業が立ち上がる瞬間のダイナミズムを肌で感じられたことは、得難い経験でした。

その後、コンサルティングファームへの内定も決まっていたのですが、ふと立ち止まりました。「自分は本当にデジタルの世界で生きていきたいのか」と。周囲の優秀な先輩たちがインターネット上のサービスで成功していく中で、私は「あえて手触りのある『ものづくり』がしたい」という欲求を抑えきれなくなっていました。それが、起業へと舵を切った決定的な瞬間です。

ーー数あるものづくりの中で、なぜ「サッカーボール」を選んだのでしょうか。

倉林啓士郎:
きっかけは「人が行かない国でビジネスをしたい」という、冒険心に近い動機でした。大学在学中に起業してまず取り組んだのは、オーガニックコスメの事業です。実際にブルガリアまで足を運んで製品を仕入れ、販売を試みました。しかし、法規制の壁が立ちはだかり製品を思うように売ることができず、断念せざるを得ませんでした。

そんな折、次の一手を模索していたときに出会ったのがパキスタンのサッカーボールでした。新聞で「世界のサッカーボールの8割はパキスタンでつくられている」という記事を目にしたのです。同時に、その生産背景には児童労働の問題が根深く存在することも知りました。私自身、幼少期からサッカーに親しんで育ってきました。大好きなサッカーの裏側に、悲しい現実がある。「児童労働のない、フェアトレードのボールをつくる」。これなら社会的な意義とビジネスを両立できると確信し、単身現地へ飛び込みました。

「正しさ」だけでは売れない 市場を切り拓いたデザインの力

ーー創業当初からビジネスは順調だったのでしょうか。

倉林啓士郎:
いえ、現実は厳しく、最初は全く売れませんでした。「フェアトレードで社会に貢献しています」と謳っても、肝心のプロダクトとして魅力がなければ、市場には響かない。「社会貢献という正義だけでは、ものは売れない」という冷徹な事実を突きつけられました。

そこで戦略を転換し、当時人気を博していたインテリア雑貨「francfranc」のような、高いデザイン性をボールに取り入れることにしました。従来のアスリート向けという機能一辺倒の文脈から離れ、インテリアやギフトとしても成立するデザインボールや、動物の顔を模したキッズ用ボールを開発したのです。これが玩具店や雑貨店という新しい販路で受け入れられ、ブランドとしての基礎を築くことができました。

参入障壁の高い「ボール」を起点とした独自の市場開拓

ーースポーツ業界は大手の独占市場かと思われますが、貴社が独自の地位を確立できたのはなぜですか。

倉林啓士郎:
最大の要因は、ボール製造からスタートした点に尽きます。実はボールの製造には特殊な技術と生産背景が必要で、ウェアやシューズに比べて参入障壁が極めて高い。世界的に見ても、自社でボールを開発できるメーカーは限られています。

弊社はその希少な「ボール」を起点にブランドの認知を広げ、そこからウェアやアクセサリーへと領域を拡大していきました。また、あえて野球やテニスなど多種目には手を出さず、サッカー・フットサルのみに資源を集中させています。リソースを分散させず、フットボール市場のニッチなニーズへ即座に対応する。この専門性とスピード感こそが、大手には真似できない私たちの強みです。

ーーブランド名「SFIDA」に込められた思いをお聞かせください。

倉林啓士郎:
「SFIDA」はイタリア語で「挑戦」を意味します。スポーツの本質は、勝敗以上に、昨日の自分を超えるためのプロセスにあります。

私自身、経営を通じて数多の困難に直面しましたが、逃げずに挑むことで道が開けました。自分の限界に挑むマインドを応援したい。ブランドロゴや商品開発の根底には、常にこのメッセージが流れています。失敗を恐れず、常に新しいことへ挑み続ける人たちのための旗印でありたいと考えています。

「つくる側」と「使う側」2つの視点が生むビジネスの立体感

ーー現在の事業スタイルに影響を及ぼした経験はありますか。

倉林啓士郎:
メーカーとしての「つくる側」の論理だけでなく、Jリーグのクラブ運営という「使う側」の視点を持てたことは、経営の解像度を劇的に高めました。チームが抱える集客の苦悩、スポンサー獲得のハードル、サポーターが真に求めているグッズの品質。これらを当事者として体感したことで、単なる用品販売を超えた本質的な提案が可能になりました。

現在は、ユニフォームサプライヤーとしての関わりにとどまらず、チームのブランディングやグッズ企画、さらには経営コンサルティングまで、多角的にクラブをサポートしています。「モノ」と「コト」を複合的に提供することで、スポーツビジネス全体の課題解決に貢献できると自負しています。

Jリーグ公式球は通過点 日本発の「SFIDA」を世界共通語に

ーー今後のビジョンをお聞かせください。

倉林啓士郎:
2026年からはJリーグの公式試合球サプライヤーになります。今季はまずハーフシーズンからのスタートですが、独立系ブランドがJリーグ公式球の座を獲得したことは、SFIDAの品質と信頼が公式に認められた1つの到達点です。しかも今回は日本のマンガIP「キャプテン翼」とのコラボレーション「TSUBASAブランド」として展開します。これはゴールではなく、新たなステージへのスタートラインに過ぎません。

かつてミズノの創業者・水野利八氏が野球用具を通じて日本のスポーツ文化の礎を築いたように、私たちも現代のフットボール文化を創造する存在でありたい。そのためには、用品ブランド事業だけでなく、クラブ経営やメディア事業への展開も視野に入れています。現在、サッカー専門メディアの事業承継も進めており、メディアを持つことで育成や普及の面からフットボール文化全体を底上げしていきたいと考えています。海外売上比率も現在の1割程度から飛躍的に伸ばしていきます。「キャプテン翼」とのコラボレーションボールは海外での引き合いも非常に強く、アジアを中心とした国際展開の足がかりになっています。

日本発のブランドとしてのアイデンティティを武器に、メディア・クラブ経営という新たな事業軸も加えながら、アジア、そして世界へ。「SFIDA」の名が示す通り、私たちの挑戦に終わりはありません。

編集後記

「社会貢献だけでは売れない」。若き日の挫折を糧に、デザインという付加価値で市場を切り拓いてきた倉林氏。その語り口は穏やかだが、参入障壁の高いボール製造を起点とし、Jリーグ公式球の座まで登り詰めた戦略は極めて論理的かつ大胆だ。今やクラブ経営・メディア事業へも歩を進め、「モノを売る会社」から「フットボール文化を創る会社」へと進化を遂げつつある。創業20年を経てなお加速する同社が、日本発の世界的ブランドへと飛躍する日は、そう遠くない未来に訪れるだろう。

倉林啓士郎