※本ページ内の情報は2026年6月時点のものです。

三井物産という大手商社での華々しいキャリアから起業の道へ進んだSpace BD株式会社代表取締役社長の永崎将利氏。2014年に開始した起業家教育の事業から一転し、未知の領域である宇宙産業に挑んだ裏側には、どのような葛藤と決断があったのか。創業間もなくJAXAの国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟からの超小型衛星放出の民間事業者として選ばれ、エンジニアの内製化によって確かな実務完遂体制を築き上げた永崎氏。独自のプラットフォーム機能で宇宙ビジネスを牽引する永崎氏に、組織の強みと未来への展望をうかがった。

憧れの先輩を目指して商社へ 不人気部署で培った現場力

ーーまずは、キャリアのスタートについてお聞かせいただけますか。

永崎将利:
大学の体育会テニス部のOBである小柳さんという方(現在はSpace BDの社外監査役として参画いただいている)に強く憧れたことがきっかけです。小柳さんは人間力のお化けのような人で、私に社会人としての考え方やお酒の飲み方まで、世界を大きく広げてくれました。また、OB会の幹事長で私の恩人の一人でもある方から「性格的に商社が向いている」と背中を押されたことも、三井物産への入社を決める後押しとなっています。

入社してから最初の2年半は採用担当を任されました。その後営業へ出る際、新卒採用で不人気だったチャレンジ度の高い部署にあえて自ら志願しました。学生を配属する立場だった手前、そこを選ぶことに自分なりの美意識があったためです。そこでは北中南米との時差と戦いながら貿易の実務をこなし、海外とのタフな交渉や商売における工夫の余地を徹底的に学びました。中東への出張前に、当時の上司から「現地の習慣や文化を徹底的に本で学べ」と指導されるなど、若手時代に素晴らしい上司や先輩に恵まれた経験は、私の経営の大きな土台につながっています。

ーー三井物産を退職された後はどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。

永崎将利:
商社時代は充実しており、海外との交渉など大きな経験も積ませてもらいましたが、組織の論理の中で働くうちに、徐々に「自分で意思決定をしたい」という思いが強くなり、退職を決意しました。ところが、いざ辞めてみると現実は甘くありませんでした。退職後、次にやるべきことが見えず、約1年ほど混迷の時期を過ごしたのです。インドの児童労働問題を解決するためのプロジェクトにも参加しましたが、結果的にうまくいきませんでした。

三井物産にいた頃は、会社名を言えば誰もが信用してくれましたが、看板がなくなった途端、自分が「何者でもない」という現実に直面したのです。名もなき会社として事業を始めた当初は、自分が何をやっているのか大義を語れず、苦労と苦しい焦燥感に駆られる日々でした。しかし、大企業の看板を失い、壁にぶつかった経験こそが、後の起業家教育への思いや、私の不屈のベンチャー精神の根源になっています。

起業家教育からの転換 自らがロールモデルとなるために

ーーその苦しい時期を経て、まずは何から始められたのですか。

永崎将利:
2014年にナガサキ・アンド・カンパニー株式会社を設立しました。そこで始めたのが、社会で活躍する力を育てるための「アントレプレナーシップ(起業家精神)教育」です。学力偏重型の教育に限界を感じており、これなら自分が大義を持って取り組める事業だと確信していました。転機となったのは、ある経営者の方からいただいた問いかけです。

「教育事業を続けるだけで、本当に社会を変えられるのか。まずは若いうちに、自分が挑戦のロールモデルになることを考えなさい」と言われたのです。その言葉にハッとしました。人にチャレンジの重要性を説くのであれば、自らが未知の世界へ飛び込み、事業家としてロールモデルになる姿を見せなければ説得力はないと痛感したのです。これが、2017年のSpace BD設立、つまり宇宙産業への舵切りの決定打となりました。

ーー事業を軌道に乗せる上でどのようなターニングポイントがあったのでしょうか。

永崎将利:
大きなターニングポイントは2つあります。

1つ目は、Space BDを創業してわずか9ヶ月で、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が初めて民間に開放した国際宇宙ステーション(ISS)の利用案件である、ISSからの「超小型衛星放出事業」の事業者に選定されたことです。「これを全力で取りにいかなければ、他社に領域を押さえられてしまい、後発では何もできなくなる」という背水の陣の覚悟でした。

2つ目は、早い段階でエンジニアを社内に抱える「内製化」を決断したことです。宇宙に物を打ち上げるには、極めて厳格な安全要求をクリアする必要があります。技術的な調整やトラブル解決において責任を持ってリードするためには、間に立つ私たち自身に専門的な知見を持つエンジニアが必要不可欠だと痛感しました。この早いタイミングでの意思決定があったからこそ、競合他社に先んじて事業を加速させることができました。現在では、社員の3分の1をエンジニアが占めるまでになり、ファブレスでモノづくりをするに至るなど、弊社の強固な事業基盤となっています。

圧倒的な「稼ぐ力」と事業を形にするスピード感

ーー貴社の事業の強みはどのような点にあるとお考えですか。

永崎将利:
こちらは大きく3つあります。

1つ目は、「稼ぐ力」です。技術力に立脚した事業開発と営業力で、私たちはビジネスモデルの健全性を追求し、2024年8月期には通期黒字化を達成しました。2026年には20億円を超える資金調達を実施し、更なる飛躍に向かいますが、国際競争力を高め、稼ぐ会社であることを大切にしています。

2つ目は、異業種と宇宙産業の「橋渡しをする力」です。難解な宇宙技術を、一般企業のビジネス言語に翻訳して提案する能力を持っていると自負しています。JAXAやSpaceXが提供するロケットの枠を活用し、衛星ごとに無駄のない形で販売するなど、さまざまな企業が宇宙にアクセスしやすいプラットフォーム機能を提供しています。中立的な存在として、宇宙産業内の隙間を埋め続け、技術的な調整やトラブル解決の際も、私たちが間に立ってリードすることで、顧客が安心して宇宙空間を利用できる環境を整えています。

そして3つ目が、独立系ならではの「スピード感」です。圧倒的な意思決定とアクションの速さで、2026年1月時点で、衛星の取り扱い数は100件超え、国際宇宙ステーション(ISS)をはじめとする宇宙空間の利活用においても、グローバルでトップクラスの実務の完遂力を持っていると自負しています。

ーー今後、どのような組織を目指していきたいですか。

永崎将利:
宇宙を一大産業にするためには、サプライチェーンを整え、誰もが宇宙ビジネスに参加できる環境をつくることが不可欠です。その貢献を志す弊社として、やはり「人」がすべてだと考えています。弊社は特定のプロダクトがあるわけではありません。お客様のニーズを技術的に形にするエンジニアの知見と、それをビジネスとして成立させる商社的な組み立て、その両輪を回せる「人」の介在価値こそが私たちの強みです。

私は「仕事とは人格と能力の表現であり、それらを磨く場」だと定義しています。ビジネスとしてしっかり結果を出しながらも、人が自分の可能性を信じてチャレンジできる会社をつくりたい。前例のない未知の領域で、安易に答えを探すのではなく、考え抜き、自ら道を切り拓いていける気概を持った方々と共に、この新しい産業を盛り上げていきたいですね。

編集後記

エリートとしてのキャリアを手放し、「何者でもない」混迷の時期を乗り越えた永崎氏の言葉には、確かな重みと熱量があった。教育事業を通じて得た「自らがフロンティアに立つ」という覚悟が、今日のSpace BDの圧倒的な推進力を生み出している。難解な宇宙ビジネスを独自のプラットフォームで切り拓き、驚異的なスピードで実績を積み重ねる同社。宇宙という未知の領域で、彼らがどのような新しい産業のインフラを築き上げるのか、その飛躍から目が離せない。

永崎将利/福岡県北九州市出身。2003年早稲田大学教育学部卒業後、三井物産株式会社に入社し、人事・鉄鋼貿易・鉄鉱石資源開発に従事。2013年に退職し、1年間の無職・混迷の期間を経て、2014年にナガサキ・アンド・カンパニー株式会社を設立し、教育事業を手がける。2017年Space BD株式会社を設立。「宇宙商社®」として人工衛星打上げサービスなどをグローバルで展開、宇宙の基幹産業化に挑んでいる。著書に『小さな宇宙ベンチャーが起こしたキセキ』(2020年、アスコム)。