※本ページ内の情報は2026年6月時点のものです。

九州全県に拠点を持ち、農薬、肥料など農業生産資材の卸売業を展開する株式会社温仙堂。1906年(明治39年)の創業以来、長きにわたり医療用医薬品と農業生産資材の卸売を二本柱としてきたが、近年、祖業である医薬品事業を譲渡し、農業分野へ経営資源を集中させるという大きな決断を下した。もともとは家業を継ぐ意志がなかったという代表取締役の宮﨑到氏は、いかにして経営トップに立つ覚悟を決め、歴史ある事業の譲渡という激動を乗り越えたのか。同社最大の強みである「人」の力と、農業分野で目指す新たな存在価値についてうかがった。

「継ぐ気はゼロ」から一転 100人のトップに立つ覚悟を決めた一言

ーー貴社への入社経緯について教えてください。

宮﨑到:
当初、家業を継ぐ気はありませんでした。私は4人兄弟の末っ子なのですが、子供の頃から理科が苦手で、高校のテストで5点を取っていたのにもかかわらず、両親や周囲からは「会社を継ぐために薬学部に行け」と言われ続けて育ちました。それが反発につながり、28歳くらいまでは「絶対に継がない」と思っていましたね。卒業後は第一製薬株式会社に入社し、MRとして営業を担当した後、本社で流通政策などに関わっていました。

ーーそこから、なぜ家業に戻ろうと決心されたのですか。

宮﨑到:
第一製薬時代、よく飲みに連れて行ってくださった他部署の部長の言葉がきっかけです。私が「なぜ自分ばかり継げと言われなきゃいけないんだ」と愚痴をこぼしたとき、その方から「継ぐ・継がないは横に置いて、400人弱(当時)の社員がいる会社のトップに立って舵取りをする、その責任を負うことをどう思うか?」と問われたのです。その時、純粋に「それはすごいことだし、面白いですね」と答えている自分がいました。その一言で憑き物が落ちたように頭がスッキリし、翌日には父に電話をして「会社に入れてください」と伝えました。

100年続く祖業の譲渡 最も悩みそして選んだ「社員」という答え

ーー経営トップとして、これまでで最も重く、大きな決断は何だったのでしょうか。

宮﨑到:
やはり、長年会社の屋台骨であった「医療用医薬品卸売事業の譲渡」です。最大の理由は、製薬会社の開発品目と流通政策の変化です。弊社のように長崎県と佐賀県、熊本県の一部のみの地域卸では新薬の取り扱いができなくなり、将来的に経営へ甚大なマイナスを与えると予見したためです。この危機感から、全国規模の同業卸の傘下に入るという選択自体は容易にできました。ただ、どこを選ぶかについては深く悩みました。

ーー最終的な判断の決め手は何だったのですか。

宮﨑到:
譲渡先を考えるときに、まず5つのモノサシを考えました。それが、「株主様」「社員さん」「お客様」「取引メーカー様」「自分の経営理念」です。どれも大切な要素ですが、全てを満たす答えはありません。事業を譲渡する決断そのものよりもこの5要素の何を一番大切にするかを悩みましたが、最後は「社員」を一番重視することに決めました。

ただ、株式会社宮﨑温仙堂商店(当時の社名)の医療用医薬品卸売事業は、100年以上続く社歴の中で祖業とも言える事業であり、社内でも売上高が最大でした。そのため、古くから事業運営にご理解・ご助力をいただいてきた株主やお客様、社員、親族の皆様のご理解を得られるかを一番悩み、このときはしんどかったですね。事業譲渡で悩んでいることを悟られてはいけないため、心労で痩せてしまったほどです。

しかし、選択にあたって一番大切にするモノサシが決まれば、後は早かったです。アルフレッサホールディングス株式会社様に譲渡することを決め、直接、相談にうかがいました。同社の荒川社長は元々、東海地方の地域卸の創業家のご出身なので、親身に話を聞いてくださりました。今も心から感謝していますし、そのご縁と信頼関係から、今春に実行した弊社の100%子会社(検査試薬・機器卸会社)の譲渡にも繋がっています。

「ふたつのふ(不・負)」を和らげ新たな機能を創造する

ーー農業生産資材の卸売事業を通して、どのような価値を提供したいとお考えですか。

宮﨑到:
私たちは、世の中にある「ふたつのふ(不・負)」を和らげることを温仙堂の存在意義として定めています。一つは不満や不安、不便といった「不」。もう一つは、負担がかかるなどの「負」です。

たとえば日本の農業は多くの「ふ」を抱えていますが、その中でも、農家の方の平均年齢の高さ(注:2025年農林業センサス概数では約67.6歳)は大きな問題です。その方々が、酷暑や異常気象のなかで作業をなさるのですから。そんな「ふ」を和らげるために、少量でも有効性と安全性が高い農薬や肥料をご提案したり、ドローン散布などの作業の負荷を軽減、効率化につながるご提案を行うなど、農業生産者さんに寄り添ったアプローチを進めていきたいと思っています。

ーー事業を展開される中で重要視されていることは何ですか。

宮﨑到:
モノが溢れ、物流網が整備され、情報もネットで取れる時代では、「仕入れて、買っていただく」という昔からの問屋、卸機能だけでは中間流通業の必要性がどんどん薄くなると危惧しています。

もちろん、商いが損益の核ですが、競合他社もたくさんあります。弊社を選んでいただくために、農業生産者様やお取引先様の経営や日常のお仕事に、何らかのプラスを産める温仙堂独自の機能を持つことが大切になります。「だから温仙堂と取引をする」と言っていただくために、その「だから」の部分の創造に注力しています。

会社の最大の強みは「温かい人が山のようにいる」こと

ーー改めて、貴社の最大の強みについてお聞かせください。

宮﨑到:
温仙堂の一番の強みは「人」で、温かい人(社員)が山のようにいることだと思います。前任の社長が「売上や利益も大切だけど、温かい人が山のようにいる会社でありたいなぁ」と仰っていました。温仙堂の「仙」という字は、分解すると「人」と「山」に分かれますよね。「温かい人が山のようにいる会社」。今の温仙堂は、本当にそんな会社だと感じています。この言葉は、社名の2つ目の由来になりました。

ーー具体的にどのような社員の方が多いのですか。

宮﨑到:
器用に仕事をこなすタイプの社員さんは少ないです。でも、お客様や職場の仲間のことを親身になって考えて、一緒に苦労することを厭(いと)わない社員さんばかりですね。古い話ですが、雲仙普賢岳が爆発したときに、弊社創業の地で売上高も大きい、島原が被災したことがありました。その際は売上もゼロだったのですが、会社は、島原のお客様へは一切、集金の話をしない方針を決めたそうです。当然、会社の資金繰りは厳しいものとなりましたが、他の営業所が頑張って、会社全体としての売上も資金も確保したそうです。これは本当にすごいことだと思います。

最近、インターンシップに来てくれた学生のみなさんも、実際に職場を見ると「本当に皆さん優しくて、仕事がしやすそうな会社ですね」と言ってくれます。その温かさに触れて入社した新鮮力が、また温かい人になっていく。この循環こそ、私たちの強みであり宝物です。今年の11月で、創業から120年を迎えますが、この温仙堂の宝物はずっと守り続けたいですね。

編集後記

「継ぐ気は全くなかった」という率直な語り口から始まったインタビュー。しかし、宮﨑氏の言葉の端々からは、経営という重責への強い覚悟と、会社や社員に対する深い愛情が滲み出ていた。特に、社内で最大の売上を誇っていた医薬品卸売事業の譲渡という大きな転換期において、一人で静かに悩み抜き、決断の軸に「社員」を据えたエピソードは、同社の人間中心の経営姿勢を象徴している。「温かい人が山のようにいる会社」。そのかけがえのない強みを武器に、株式会社温仙堂が農業というフィールドで世の中の「ふたつのふ(不・負)」をどう和らげていくのか、次なる100年への挑戦に期待が高まる。

宮﨑到/1967年長崎県生まれ。東京理科大学薬学部卒業(大学院中退)。第一製薬株式会社(現・第一三共株式会社)に入社し、MRや本社での流通政策業務に5年間従事。1996年に株式会社宮﨑温仙堂商店(現・株式会社温仙堂)に入社し、1999年代表取締役社長に就任。現在は株式会社温仙堂 代表取締役CEOを務める。