
100年以上にわたり日本の社会インフラを支え続けてきた川田グループ。川田テクノロジーズを持株会社とするこのグループは、異分野のヘリコプター自社開発をきっかけに人型ロボットを生み出し、さらには橋梁の建設現場に屋外で稼働できる最先端の搬送用ロボットを投入するなど、柔軟な発想でかつての「当たり前」を次々と打ち破ってきた。2005年の社長就任時に直面した経営難など幾多のどん底を乗り越え、「会社の仲間がプライドを持って働ける会社」を目指して組織を立て直した川田忠裕氏。現場の課題から新たな解決策を生み出し続ける姿勢と、AIを前提に世界市場へと挑むエンジニアリングの真髄に迫る。
ヘリコプター開発の停止から学んだエンジニアリングの真髄
ーーまずは、貴社に入社された当時のエピソードをお聞かせください。
川田忠裕:
1985年に大学を卒業して川田工業に入社しました。当時は、社長であった父が新たに航空事業を立ち上げようとしていたタイミングでした。そのため、入社直後は父の命を受けてアメリカへ留学し、現地の大学で機械工学を学んだのち、航空宇宙工学の修士課程まで修了しました。その後、現地の航空機メーカーでの勤務を経て、1992年に帰国しました。
ーーそこからどのようなきっかけでロボット開発の分野に参入されたのですか。
川田忠裕:
帰国後、改めて技術者として本格的に業務に入り、念願だったヘリコプターの研究開発に没頭していました。しかし、バブル経済崩壊などもあり、1996年にヘリコプターの自社開発がストップしてしまったのです。そこで、ヘリコプターをつくれなくなったエンジニアたちとともに、外部企業などへ技術展開のチャンスを探して回りました。
具体的には、アミューズメント施設のクレーンゲーム関連機器、人工衛星のコントロールシステム、さらには現在の自動運転技術に繋がる自動車メーカーの研究開発など、各社が抱える全く異なる分野の課題に取り組んだのですが、私たちのチームは、それらをわずか数ヶ月で次々と解決しました。この実績が研究者の中で噂となり、1999年に東京大学の先生から人型ロボットの開発依頼が舞い込んだのです。全くの異分野でしたが、私たちは半年ほどで歩行するロボットを完成させています。この時「人が困っている課題を解決すること」に挑戦することで自分たちの技術を活かせるのだと、エンジニアリングの本質を学びました。
会社の危機を救った横のつながりとプライドを持てる組織づくり

ーー社長に就任された当時の経営状況について教えてください。
川田忠裕:
私が社長に就任した2005年当時は、コンプライアンス上の問題で営業停止処分や多額の罰金が重なるなど、問題が山積していました。本業である橋梁の受注も止まってしまい、まさに会社存続の危機でした。会社全体をどうやって支えていくかを考え、私はとにかく全国の現場や営業所を駆け回って社員を鼓舞し続けました。
その中で痛感したのが、各事業部やグループ会社が自分の事業分野しか見ていない「サイロ化」の弊害です。たとえば、同じグループでありながら工場ごとに異なるCADシステムを導入していたり、地方の営業所では各社バラバラにオフィスを借りていたりといった「非効率」が蔓延していました。そこで、各拠点を同じビルに集約して費用を削減するとともに、グループ内での交流を促すなど、地道な改善を重ねました。時間をかけてスケールメリットを活かせる組織体制へと変革していったのです。
ーー経営者として大切にしていることをお聞かせください。
川田忠裕:
業績悪化によって十分に報いることができず、会社に失望して去っていく社員もいました。しかし、それでも残ってくれた仲間がいたのです。そんな人たちに、もう二度とあのような惨めな思いをさせたくないという気持ちが私の原動力です。だからこそ、誰もがプライドを持って働ける会社にしたいと強く考えるようになりました。
ただ、会社は私たちだけで成り立っているわけではありません。協力会社や融資してくださる金融機関、投資家の皆様など、多くの支えがあってこそ存続できるのです。こうした、関わるすべての人をハッピーにし、世の中から存在を望まれる企業になるための指針として、私たちは現在「KAWADA VISION」を掲げ、「八方よし」という全てのステークホルダーを大事にするという考え方を明確にしています。
私はこの関係性の中に近江商人の「三方よし」における「世間よし」のように、「エンドユーザー」も明確に位置づけています。お取引先だけでなく、私たちが手掛けた橋を渡る方やビルで働く方、利用する方など、エンドユーザーも含めたすべての人から「川田の仕事なら安心だ」と望まれる存在になることを目指しているのです。
刀鍛冶のDNAが息づく柔軟性とワンストップの強み
ーー改めて、貴社ならではの強みをお聞かせいただけますか。
川田忠裕:
根底にあるのは、明治時代の刀鍛冶だった創業者から受け継ぐ「柔軟性」です。創業者は廃刀令で道を閉ざされた後も自身のスキルを活かして、足尾銅山の採掘用ドリルシャフトの修理や、富山県の発電所などでの鉄骨製作などへと事業を転換していったのです。持っている職人技やエンジニアリングのスキルを、その時代に必要とされる領域へ柔軟に応用していけることが私たちのDNAの真髄です。
そして現在の事業における最大の強みは、鉄とコンクリートの両方を扱い、土木と建築の双方を手掛けるという、ユニークな複合性です。通常、橋梁事業を行う会社は鉄かコンクリートのどちらかに特化していますが、私たちは、川田工業が鉄の橋を手掛け、川田建設がコンクリートの橋を担っています。さらに両者を融合させたハイブリッド構造の開発まで自社グループ内で完結できるのです。
ーーそれらの強みによって顧客にどのような価値を提供できるのでしょうか。
川田忠裕:
特筆すべきは、鉄骨の製造から現場での組み立て作業までをワンストップで完結できる点です。多くの鉄骨メーカーは製造のみを行いますが、私たちは両方を担えるため、人手不足に悩むゼネコン各社から非常に高く評価されています。さらに、土木向けに開発した技術を建築向けにカスタマイズするなど、柔軟に対応できることも多様な専門性があるからこその強みだと考えています。
現場の課題から生まれる「建設×ロボット」の新技術

ーーロボットなどの新技術開発は、どのように進められているのでしょうか。
川田忠裕:
一般的な産業用ロボットメーカーの多くは、自動車の溶接など工場内の「屋内環境」を前提として開発を行っており、建設現場の実態を熟知していません。一方で、私たちは自社で建設現場を持ち、なおかつITやロボット開発の技術があります。「自社の現場に宝の山がある」という発想のもと、現場からあがってくるリアルな課題を吸い上げ、解決できるアイデアを採用するスタイルをとっています。現場の課題と新技術を掛け合わせることで、画期的な解決策をボトムアップで生み出せるのです。
ーー現場の課題解決から生まれた、具体的な技術の事例を教えてください。
川田忠裕:
「建設×ロボット×AI」を体現した事例として、職人の技を継承するための「溶接モニタリングシステム」があります。強烈な光でプロセスの確認が難しい溶接作業をモニターで可視化し、ベテラン職人が自身の動きを客観視できるようにしました。これにより、若手に対して具体的で納得感のある技術指導が可能になり、国内外の訓練機関などにも提供しています。
ーー溶接以外にも、現場の環境を改善するためのロボット技術はありますか。
川田忠裕:
雨風や車両の振動が絶えない屋外の橋梁補修現場などで、数百キロに及ぶ重さの資材を自動で安全に運ぶ搬送用ロボット「EGmobile(イージーモバイル)」を自社開発しました。また、長い橋桁などをクレーンで吊り上げる際の回転や荷振れを抑制し、吊荷を安定させるロボット「EGガイド」もあります。従来は複数人が人力で引っ張っていましたが、少人数でコントロールできるようになりました。これらの現場発の技術を広く提供し、業界全体の人手不足解消や安全性向上に貢献していきたいと考えています。


現地のニーズに寄り添うグローバル展開とAIありきの未来
ーー今後のグローバル展開への戦略をお聞かせください。
川田忠裕:
1980年代にはカタールのホテルやクウェートの橋など、海外での施工実績がありましたが、当時はプロジェクトベースで、終われば帰国していました。過去には自社だけで進出して失敗した経験もあります。
これらの経験から、現地のローカル企業や人々と組んで展開し、日本の技術を“押し売り”しないことが重要になると考えています。たとえば私たちが開発した、雨水を利用する屋上緑化技術は、日本ではメンテナンスの容易さが売りですが、水代が高い香港ではまた違った需要がありました。水資源が貴重なアフリカの方と話した際には「これで穀物を育てられないか」という全く新しいニーズが生まれています。現地の状況を理解する人々の視点を取り入れ、用途を柔軟に変えていくことが肝要です。
ーーグローバル人材の採用や組織づくりはどのように進めていますか。
川田忠裕:
現在、ミャンマー、インド、インドネシア、モンゴル、ベトナムなどの諸外国から、優秀なエンジニアが一緒に働いています。彼らは安価な労働力でも短期的な実習生でもありません。全員が正社員として、日本の社員と全く同じ目標を共有し、エンジニアリングの仲間として最前線で活躍してくれています。どんな展開においても、やはり社員がなにより大切だという変わらない思いがあります。
ーー最後に、今後の5年、10年を見据えたビジョンをお聞かせください。
川田忠裕:
グローバル市場への挑戦を加速させ、世界一を狙えるような領域を開拓していくことです。東南アジア、北米、インド、アフリカなどを視野に入れ、日本の市場を大切にしながら海外市場でも活躍できる企業になりたいと考えています。
また、未来に向けてAIの活用は欠かせません。既存のシステムにAIを組み込むだけでなく、最初からAIが存在することを前提とした「AIありき」で、機械や組織のあり方を根本から再定義する必要があります。東京大学、慶應義塾大学、エジンバラ大学などのAI研究の専門家と連携を図りながら、新たな可能性を追求しています。
編集後記
100年を超える歴史の中で、刀鍛冶から建設、そしてITやロボティクスへと柔軟に姿を変えてきた川田グループ。トップの言葉からは、技術力を武器に世の中の課題を解決していく強い使命感がひしひしと伝わってきた。どんなに時代が移り変わっても、根底にあるのは「社員がなにより大切」という揺るぎない思いだ。海外のローカル企業と深く結びつき、現地に合わせた技術で世界を見据える同社は、新たなフェーズへと向かっている。

川田忠裕/1962年、東京都出身。米サンディエゴ州立大学大学院航空宇宙工学専攻修了。1985年に川田工業株式会社へ入社。取締役航空事業部長、常務取締役管理本部副本部長兼航空・機械事業部長などを歴任。2005年に川田工業代表取締役社長、2009年に川田テクノロジーズ株式会社代表取締役社長、2025年にカワダロボティクス株式会社取締役会長に就任。いずれも現職。現在、一般社団法人日本橋梁建設協会会長、一般社団法人鉄骨建設業協会会長を務める。