※本ページ内の情報は2026年8月時点のものです。

1964年の開業以来、都心と羽田空港を結ぶ重要な交通インフラとして日本の成長を支え続けてきた東京モノレール株式会社。半世紀を超える歴史を持つ同社は今、新たな競合線の開業計画や顧客ニーズの多様化といった大きな環境変化を迎えている。2024年に代表取締役社長へと就任した宮田久嗣氏は、JR東日本時代に培った幅広い鉄道ビジネスの経験をもとに、組織の意識改革と独自のブランディング施策を推進中だ。移動空間を一つの劇場に見立てる「東京モノレールシアターの進化」を掲げ、新たな体験価値の創出を目指す同氏に、インフラを預かる経営者としての信念と未来への道筋について話を聞いた。

多面的な鉄道現場で培った「協調」と「インフラの価値」

ーーまずは、東京モノレールに着任されるまでのご経歴をお聞かせください。

宮田久嗣:
前職はJR東日本に勤めており、主に鉄道営業の分野で長年にわたりキャリアを重ねてきました。鉄道営業の業務範囲は非常に広く、駅という顧客接点全体のマネジメントをはじめ、各種設備の計画調整、企画切符の開発、さらには沿線地域の方々と連携した集客や地域活性化まで多岐にわたります。

また、新しい技術や交通ネットワークを整備するプロジェクトにも関わってきました。具体的には「モバイルSuica」の黎明期における企画開発をはじめ、「PASMO」をはじめとする他社交通系ICカードとの相互利用に向けた法的整理や運用ルールの構築など、業界を超えた施策に深く参画した経験もあります。さらに、仙台支社の販売課長時代に遭遇した東日本大震災の際には、コントロールルームの長である「旅客指令」を兼務しており、被災直後の混乱期において、お客さまの安全な避難誘導や代替バス輸送の立ち上げ指揮など、予期せぬ局面での現場対応を指揮してきました。

ーー多様な現場を経験された中で得た学びは、どのようなものですか。

宮田久嗣:
大きく分けて二つあります。

まず一つ目は、ICカード(Suica)事業などを通じて体得した「協調の精神」と「インフラを担う責任」です。他社との相互利用プロジェクトでは、自社だけが利益を得ようとする独善的なアプローチではパートナーの協力は得られません。「お互い対等な立ち位置で、一緒により良い社会インフラをつくり上げていきましょう」という姿勢で向き合う重要性を痛感しました。一方で、そうしたインフラを守る現場では「予期せぬトラブルへの即断」も問われます。かつて首都圏で大規模なICカード障害が発生した日も、自社の減収リスクを承知の上で「全改札機の開放」を即断しました。これらの経験は、現在の「お客さまと会社にとって何が最善か」という判断軸に結実しています。

二つ目は、東日本大震災の被災地でインフラが停止した現場を通じて知った「鉄道インフラの真の価値」です。震災によって不通だった仙石線が再開した際、一番列車に向かって沿線の方々が手づくりの旗を振って出迎えてくださった光景は今でも目に焼き付いています。さらに地域を勇気づけるためにSLを特別運行した試運転では、招待した幼稚園児とその保護者の皆様がスタッフとともに涙を流して歓喜してくれました。それまで当たり前だった鉄道が途絶えたことで、交通インフラがいかに地域の人々の暮らしと強く結びついているかを思い知らされたのです。この価値を守り抜き、さらに磨き抜いて未来へ発信していくことこそが、私の経営者としての原点となっています。

2031年の環境変化を見据え、「流水は腐らず」の精神で挑戦の循環をつくる

ーー貴社の社長就任の打診を受けた際のお気持ちはいかがでしたか。

宮田久嗣:
私は親会社であるJR東日本で、東京モノレールをはじめとするグループ会社の経営管理に携わっていたため、弊社の置かれた厳しい環境については以前から深く理解しており、打診自体は自然に受け止めました。

しかし、実際に当時は社内へ入ると、現場には大きな閉塞感と不安感が漂っていることを肌で感じました。コロナ禍による乗客急減という打撃に加えて、競合路線との長年のシェア争い、さらには2031年度に予定されている「羽田空港アクセス線」の開業計画といった構造的な変化に対し、社員がどこか「うつむいてしまっている」状態に見えたのです。この不安を払拭し、全社員が前を向いて歩んでいくためには、会社が将来目指すべき明確なビジョンと道筋を示さなければならないと痛感し、自ら先頭に立って舵を執る決意を固めました。

ーー経営者として大切にされているお考えをお聞かせください。

宮田久嗣:
「流水は腐らず」という言葉です。絶えず流れ続けている水が決して濁らないように、組織や事業活動も常に動き続け、新鮮な循環を生み出し続けることが不可欠です。変化を恐れて現状維持に固執し、立ち止まることは退化を意味します。社内の意思決定や業務プロセスにおいて「流れがどこかで淀んでいるのか、滞ってはいないか」という点を絶えず注視し、風通しの良い挑戦の循環をつくり続けることに努めています。

「究極の安定性」と「パノラマライン」が生み出す新しい付加価値

ーー東京モノレールにおける最大の強みは何でしょうか。

宮田久嗣:
弊社には、競合他社には真似できない際立った特徴が二つあります。一つは、都市と臨海部の爽快な景観を楽しめる「一大パノラマライン」としてのロケーション価値です。東京の運河やビル群、ベイエリアのダイナミックな街並みを高い目線から一望できる走行空間そのものが、移動時間を楽しむ素晴らしい体験コンテンツとなります。

そしてもう一つは、現場の技術力が支える「究極の安定性」です。2025年度の弊社データにおいて、全運行列車に対する1列車あたりの平均遅延時間はわずか「9秒」でした。自然災害や悪天候も含めた年間の全遅延を合算してなお10秒未満に収まっており、構造上人身事故も極めて少ないため、「浜松町駅まで来てモノレールに乗りさえすれば、確実に予定時間通り羽田空港へ届く」という圧倒的な安心感を提供できます。この「9秒」という数値は、日頃から現場の保守担当者や運行スタッフが車両や軌道、信号システムを妥協無く調整し続けている努力の証明であり、弊社最大の強みであると誇りを持っています。

ーー2031年度予定の「羽田空港アクセス線」開業を見据えた戦略を教えてください。

宮田久嗣:
親会社による新線の開業という大きな環境変化の波を前にしながらも、決して受け身に縮こまることなく、乗ること自体に価値を感じていただける独自のブランディングを確立します。その核となるのが、もともと社内で提唱されていた「東京モノレールシアター」という概念を進化させることです。従来の移動手段にとどまらず、列車や駅全体を一つの劇場に見立て、お客さま・地域社会・社員・グループ全体の四者がそれぞれに豊かな価値をもたらす「四方よし」の循環をつくり出す戦略を進めています。

具体的には、私たちの強みである「東京パノラマライン」という愛称を大きく打ち出していきます。他路線との直通乗り入れを行わない独立した単独路線であるからこそ、車両や駅の空間デザインをクローズドで一貫性のある世界観としてブランディングできます。ネットの検索などで「最安・最短」という数値だけを比較する層だけでなく、国内外の観光客や体験価値を求める層をターゲットに据え、日本の文化やアートを発信し、お客さまに対して新たな付加価値を提供していきます。

ーー乗客を楽しませるコンテンツ展開として具体的にどのような施策を行っていますか。

宮田久嗣:
現在、保有する全20編成のうち数編成において、一歩足を踏み入れた瞬間に独自の世界観へと引き込まれる特徴的なラッピング車両を運行しています。車両については、タイなど海外でも人気を集める「モンチッチ」をはじめ、サンリオの「リトルツインスターズ」(キキ&ララ)、アーティストのHogalee氏とコラボレーションしたラッピング車両を運行し、胸を躍らせるようなコンテンツを展開しています。

ーー駅舎の進化や、沿線地域の価値向上に向けた取り組みについてもお聞かせください。

宮田久嗣:
2026年6月にオープンした浜松町駅の新駅舎をはじめ、拠点となる駅施設の進化を進めています。劇場をイメージした空間へと仕立て直し、今後は世界貿易センタービルの建て替えに伴うJR線改札との接続や、竹芝方面への歩行者デッキ直結などにより、交通結節点としての価値が飛躍的に高まります。

併せて、沿線地域との共創も重要です。浜松町や芝公園エリアには増上寺や芝離宮、芝大神宮といった歴史ある文化財が集積しているものの、周遊動線として生かし切れていない課題がありました。そこで港区観光協会や地元自治体と密に連携し、歴史文化を活かした魅力発信や、竹芝・日の出ふ頭方面を結ぶ新たな移動手段の検討に取り組んでいます。モノレールというインフラを地域の「文化資本」として提示し、街全体の賑わいを創出する牽引役となることを目指しています。

全員が同じ方向を向く組織づくりと、未来へ残すための決意

ーーインフラを未来へ残すために、社員の皆様にはどのような姿勢を示していますか。

宮田久嗣:
いかに素晴らしい戦略やコンセプトを掲げても、現場で働く社員一人ひとりが「自分自身はこのビジョンのどこにどう貢献しているのか」を実感できなければ、絵に描いた餅で終わってしまいます。社員が心から自社に誇りを持ち、主体的に動ける組織づくりのため、私は社内で「3つのポイント」と「1つの心構え」を徹底して共有しています。

1つ目のポイントは「世界トップレベルの安全・安定輸送の維持」です。開演時間や上演スケジュールが日常的に遅れるような劇場に、観客が集まるはずもありません。日々の定時運行と徹底した安全基盤を守り抜くことこそが、すべての施策の大前提であり、技術部門や現場スタッフの誇るべき役割です。

2つ目は「お迎えするスタンスへの意識転換」です。日常的な通勤利用のお客さまを大切にすることは当然としつつ、遠方や海外から旅行で来られた乗客に対し、機械的な対応ではなくワクワク感を提供する温かいご案内を最優先する姿勢を求めています。

3つ目は「徹底したお客さま視点の追及」です。施策を打ち出して満足してしまうのではなく、羽田空港に降り立った旅行者の方が迷わずモノレールを選べる案内になっているか、細部まで顧客目線で検証し続ける姿勢を徹底しています。

そして、これら3つの行動を根底から支える最も重要な心構えが「職場内で壁をつくらず、互いに深く尊敬し合うこと」です。新入社員からベテラン、役員に至るまで、立場の違いを超えてリスペクトし合える温かい組織風土があって初めて、それがお客さまへの上質で心のこもったおもてなしとして滲み出てきます。このブレない軸を全社でしっかりと共有し、社員全員が同じ方向を見つめて進むことで、揺るぎない誇りを持った「100年企業」への道筋を、これからも確実に切り拓いていきます。

編集後記

震災復旧の過酷な現場や、立場の異なる企業との連携プロジェクトなど、数々の修羅場を最前線で潜り抜けてきた宮田社長。その静かな語り口からは、インフラの真の価値を知る者こその強い覚悟と、現場で働く社員への深いリスペクトが真っ直ぐに伝わってきた。親会社による新線の開業という変革の波を前にしても、決して防戦一方にならず、自らの強みである「パノラマライン」の可能性を信じて新たな市場を切り拓こうとする姿勢には胸が熱くなる。変化を恐れず、自ら流れる水のように挑戦を続ける東京モノレールが、これからも人々の夢と地域の未来を乗せて走り続ける姿を、心から応援し注目していきたい。

宮田久嗣/1970年、岐阜県生まれ。東京大学卒業。東日本旅客鉄道株式会社に入社し、執行役員営業部長、同横浜支社長を経て、2024年に東京モノレール株式会社の代表取締役社長に就任。港区観光協会副会長として地域活性化にも取り組んでいる。