※本ページ内の情報は2026年8月時点のものです。

福井県発祥の名物として全国的な知名度を誇る「焼き鯖すし」。2003年の「空弁」ブームを牽引し、羽田空港の空弁(弁当部門)で5年連続売上1位という大ヒットを記録したのが、株式会社若廣だ。同社の代表取締役社長、山之内康雄氏は「既存の食文化に新たな価値を重ねる」という独自の哲学のもと、妥協なき品質を追求し、新たな価値創造に挑み続けている。焼き鯖すし誕生の舞台裏から、時代を超えて愛されるブランドづくり、そして未来へ受け継ぐ組織づくりまで、その理念と挑戦に迫る。

町おこしから始まった「焼き鯖すし」の物語

ーー若廣の原点ともいえる「焼き鯖すし」は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。

山之内康雄:
飲食業界で経験を積んでいた頃、ご縁があって福井県で飲食店の立ち上げに携わることになりました。そこで地域の町おこしの取り組みに参加する機会があり、「この土地ならではの名物をつくれないか」という議題が上がったのです。その時、町のあちこちで一本丸ごとの浜焼き鯖が焼かれている風景が目に留まりました。地元ではごく日常の風景だったと思いますが、他県出身の私には「この土地ならではの食文化」として非常に新鮮に映りました。その風景との出会いが、後の「焼き鯖すし」へとつながっていきました。

ーーそこから「焼き鯖を寿司にしよう」というアイデアは、どのように膨らんでいったのですか。

山之内康雄:
福井には、浜焼き鯖と鯖寿司、二つの鯖文化が昔から根付いていました。一方で、一本丸ごとの浜焼き鯖をお土産として持ち帰って食べる文化があることにも驚きました。「焼きたてではなく、持ち帰って食べても美味しいのだろう。」そんな風に感じた時、「もっと気軽に、この美味しさを味わってもらえないだろうか」と考えたのです。そこで思いついたのが、「棒寿司にしてみよう」という発想に至りました。浜焼き鯖と鯖寿司という、福井に根付く二つの文化を一つに重ね合わせるような形で生まれたのが、「焼き鯖すし」です。

ーー誕生した「焼き鯖すし」は、どのような流れで全国的なヒットへとつながったのでしょうか。

山之内康雄:
商品化して初めて販売の舞台に選んだのは、北陸三大祭りの一つに数えられる福井県の「三国祭」でした。焼肉店を営む傍らでお祭りで販売してみたところ、予想を上回る反響をいただき、大きな手応えを感じたのです。

そこで本格的な拠点として選んだのが、鯖街道の起点として知られる小浜でした。「鯖街道」という名前を聞いた瞬間、「この商品を育てる物語はここから始めよう」と直感的に思いました。そうして歴史ある街道の起点・小浜で販売を始めましたが、現実は厳しく、平日は数本、週末でも二十〜三十本ほどしか売れない日が続きました。それでも試食などを通じてお客様の声と向き合い、地道に改善を重ねる中で少しずつ評価が広がり、その後の空港販売、そして空弁ブームをきっかけに全国へと広がっていきました。

受け継がれた食文化に、新しい価値を重ねる

ーー焼き鯖すしの元祖として知られる一方で、多くの類似商品も登場しました。そのような中で、ブランドを育てるうえで最も大切にしてこられたことは何でしょうか。

山之内康雄:
焼き鯖すしというブランドを育てるうえで、私たちが大切にしてきたのは、お客様に「本当においしい」と感じて選んでいただける品質です。その象徴が、創業以来守り続けている手巻き製法です。多くのメーカーが機械成形を採用する中、私たちはあえて一本一本を手で巻いています。手間はかかりますが、その方がシャリの食感や口どけ、焼き鯖との一体感を自然に引き出せるだけでなく、繊細なシャリの状態でも、人の手だからこそきめ細かく対応できると考えているからです。ですから、いわゆる「元祖」という言葉を前面に出してブランドを育てようとは考えてきませんでした。その言葉自体に価値が宿るわけではないと思っているからです。ブランドの価値は、何を名乗るかではなく、品質へのこだわりと、お客様から積み重ねた信頼によって築かれるものだと考えています。

ーー貴社の商品開発において、軸となるこだわりを教えてください。

山之内康雄:
既存の食文化に新しい発想や機能を重ねることで、これまでになかった価値や選択肢を提案することです。焼き鯖すしも、鯖寿司という食文化に「鯖を焼く」という発想を重ねることで生まれました。

また、富山の郷土料理鱒寿司は、付属のナイフで食べやすい大きさに切り分けてから取り分けて食べるスタイルですが、手や箸でそのまま食べられるという機能的な発想を加え、新たな商品として提案しています。さらに、製造工程でどうしても生じる規格外の鯖にも新たな役割を与え、ソースと味わうサバ缶「サバスチャン」や焼き鯖のほぐし身を使ったマヨネーズ「サバネーズ」といった商品へと生まれ変わらせています。

私たちが目指しているのは、新しいだけの奇抜な商品ではありません。受け継がれてきた食文化の本質を大切にしながら、時代に合わせた新しい選択肢を提案し続けること。それが、若廣らしい商品づくりだと考えています。

品質を支える内製化、その先のものづくりへ

ーー品質を支える製造体制は、これまでどのように進化してきたのでしょうか。

山之内康雄:
若廣では、品質を高めるための内製化を段階的に進めてきました。その第一歩が、2013年の工場新設です。それまで外部に委託していた炊飯工程や鯖の焼成工程を自社へ移管し、製造の前工程を内製化しました。これにより、品質や衛生面での改善活動を自社の考えのもとで継続的に進められるようになり、お客様からいただいたご指摘やご要望も、製造現場へ迅速に反映できる体制が整いました。品質は、一つひとつの工程の積み重ねによって生まれるものです。製造を自ら管理できる環境を築いてきたことが、今日の若廣ブランドを支える大きな土台になっていると考えています。

ーー若廣のものづくりは、これからどのような方向へ進化していくのでしょうか。

山之内康雄:
品質を守りながら、新たな商品づくりにも挑戦していきます。その基盤となるのが、2024年から鹿児島県で稼働している一次加工まで担える新工場です。背景にあるのは、「国内で責任を持ってものづくりを続けていきたい」という思いです。円安や国際情勢の変化などを受け、ものづくりのあり方が見直されている今だからこそ、原料の調達から一次加工、二次加工、販売までを自社で一貫して担う体制を築くことに大きな意味があると考えました。さらに、一次加工の機能を持つことは、品質管理の向上だけでなく、商品づくりの可能性を広げることにもつながります。

これまで若廣は、棒寿司や押し寿司といったスローフードを中心とした商品づくりを行ってきました。こうした商品は、お土産や特別な日に選ばれることが多く、販売場所も駅ナカや空港、百貨店などが中心です。一方、一次加工から自社で担えるようになったことで、魚そのもののおいしさを生かした、日々の食卓により近い商品にも取り組めるようになります。品質を守るための体制を整えると同時に、棒寿司で培ってきた技術や経験を、より日常に近い魚食へ広げていく。鹿児島新工場は、そのための新しいものづくりの基盤だと考えています。

時代を超えていく普遍的なブランドへ

ーー最後に、これから若廣が目指していくブランドについてお聞かせください。

山之内康雄:
2026年で創業から25年という節目を迎えます。それに合わせて、ブランド全体のリニューアルにも取り組んでいます。今回見直したのは、パッケージだけではありません。ロゴマークや書体、パッケージデザインに至るまで、一つひとつに意味を持たせながら、ブランド全体を再構築しました。

その中でも象徴的なのが、新たに採用した隷書体です。過度な装飾や一時的な流行ではなく、長い歴史の中で評価され続けてきた文字造形を基礎としました。目指したのは、流行ではなく、時間に耐え、時代を超えて残るデザインです。もちろん、普遍的であることは、変わらないことではありません。本当に守るべき本質は守りながら、時代に合わせてより良い形へと進化させていく。その地道な改善の積み重ねが、時代を超えて選ばれ続けるブランドにつながるのだと考えています。

焼き鯖すしから始まった若廣の挑戦も、これからは、日々の食卓により身近な商品へも広がっていきます。どんな商品を手がけることになっても、「食文化に新しい価値を重ねる」という原点は変わりません。これからも進化を続けながら、食文化に新しい価値を重ねていきたいと思っています。

ーーそのようなブランドを実現するために、経営者としてはどのような組織を目指していますか。

山之内康雄:
時代を超えて愛されるブランドは、一人の力だけで生まれるものではありません。だから私は、お互いの強みを生かし合いながら、一つの方向へ進んでいける「相互依存」の組織を目指しています。

そのために大切にしているのが、納得度を高めるための丁寧な議論です。特に重要なテーマほど、結論よりも議論のカタチを大切にしています。それが組織全体の納得感を生み、一人ひとりが主体的に行動できる土台になると考えています。ブランドも組織も、一朝一夕に築けるものではありません。日々の小さな改善を積み重ねながら、一人ひとりが主体的に力を発揮できる組織を育て、その先に、次の時代へ受け継がれるブランドを育てていきたいと思っています。

編集後記

既存の食文化に新たな発想を重ね、価値を創造し続ける山之内社長。奇をてらうのではなく、本質的な選択肢を提案し、ブランドを磨き上げようとする真摯な姿勢に深く感銘を受けた。また、海外へ加工拠点が移る昨今において、あえて国内での一元管理に踏み切った決断からは、食の安全と品質への並々ならぬ覚悟がうかがえる。「時代を超えていく普遍的なブランド」を目指し、新たな仲間とともにさらなる進化を遂げる同社の飽くなき挑戦から、今後も目が離せない。

山之内康雄/1976年、兵庫県尼崎市生まれ。1998年、飲食業界で培った経験をもとに、福井県にて焼肉業態の立ち上げに参画。2000年、「焼き鯖すし」の考案・商品化プロジェクトに携わる。2001年、株式会社若廣(旧有限会社ピーエフディー)の創業メンバーとして事業の礎を築く。2012年、同社の代表取締役社長に就任。以来、地域の食文化に新たな価値を吹き込みながら、食を通じた挑戦を続けている。