※本ページ内の情報は2026年8月時点のものです。

大学時代までラグビー一筋だった青柳誠希氏は、怪我を負ったことをきっかけに飲食業界へ足を踏み入れた。右も左も分からない状態から独立し、現在では「らぁ麺 はやし田」などの人気店を多数展開する。上場を果たすまでに企業を成長させた背景には、強固な事業構造と、「自分のために働く」を体現する独自の組織文化がある。飲食業界の常識にとらわれず、成長し続ける企業を目指す青柳氏に、創業の経緯や今後の展望を詳しく聞いた。

怪我を機に飛び込んだ飲食の世界と「はやし田」誕生の裏側

ーーまずは、起業の経緯を教えていただけますか。

青柳誠希:
父が経営していた飲食店の隣にあったラーメン店を引き継いだことが始まりです。高校と大学ではラグビー部に所属し、寮生活を送りながらプレーに打ち込んでいました。しかし怪我をきっかけに競技を離れることになり、目標を見失ってしまったのです。そこで、自営業で飲食店を営む父親の手伝いを始めました。

実際にアルバイトとして働いてみると、自ら商品を提供し、お客様から直接「ありがとう」と感謝の言葉をいただけるという、結果がダイレクトに返ってくる明快な喜びに強く惹きつけられました。他の業界では自分の仕事の成果を実感しにくいこともありますが、飲食業が持つ実直な側面に面白さを感じたのです。

しかし、大学4年生の頃には他企業で働くことも視野に入れており、そのような折に偶然にも父の店の隣にあるラーメン店が空く話を耳にしたのです。そういったさまざまな運命的なタイミングが重なり、その店舗を引き継ぐ形で独立の道を歩むことになりました。社会人としての基礎もわからず、業界の知識もない状態からの出発でしたが、飲食の魅力に突き動かされ、無我夢中で挑戦の第一歩を踏み出しました。

ーー貴社を代表するブランド「らぁ麺 はやし田」のコンセプトには、どのようにたどり着いたのでしょうか。

青柳誠希:
実は、当初からラーメンに強い思い入れがあったわけではありません。創業店舗で1日限定のラーメンを提供するうちに、愛好家の方々とのつながりが生まれ、ノウハウが蓄積していったのです。同時期に展開していたピザ店での経験から、お客様に喜ばれる感覚もつかめてきました。和食や寿司店のような格好いいラーメン店を裏道につくって繁盛させる。そんな構想が徐々に固まり、立地や内装を含めて具現化したのが「らぁ麺 はやし田」です。

ーーどのようにして現在の規模にまで店舗を拡大したのですか。

青柳誠希:
ラーメンの人気店は、行列がつくる「希少価値」を重視し、多店舗展開を避ける傾向があります。しかし私たちは希少性ではなく、「できるだけ多くの人に食べてもらう」ことに価値を見出しました。繁華街への出店を積極的に進めつつ、外部企業へのプロデュース事業(独立・開業支援)を通じて弊社の味を広く展開していただいたことが大きな分岐点となりました。

コロナショックで再確認した「強み」と上場への準備がもたらした進化

ーー様々な業態を展開する中で、貴社の強みはどこにあるとお考えですか。

青柳誠希:
弊社の強みは、立地、業態、人材といった飲食店に必要な要素の「平均値」が高いことです。コロナショックで他社が苦戦する中でも、弊社のダメージは比較的少なかったと感じています。路面店の1階という好立地を押さえ、日常的に利用しやすい価格帯で高品質な商品を提供する。そして、そこには確かな技術を持ったスタッフと常連のお客様がいます。この基本水準の高さがあったからこそ、特別な業態転換に頼らずとも危機を乗り越え、その後の迅速な回復につながったのだと思われます。

ーー2024年には上場を果たされましたが、その準備を通じて会社に変化はありましたか。

青柳誠希:
会社としての質が劇的に変わりましたね。当初は「なんとなく店舗を増やして、仲間が少しずつ増えていけばいい」という、曖昧な感覚で経営をしていました。しかし、上場への準備を進める中で「いつまでに、何のために、どこまで達成するのか」という目的が明確になったのです。折しもコロナショックと重なり、現場の集客が落ち込む中で、細かな管理やルールの徹底が求められました。葛藤や苦しい時期もありましたが、あのままの感覚で進んでいたら現在の姿はありません。上場準備の過程で会社の経営水準を引き上げられたことが、最大の収穫です。

「自分のために働く」環境づくりと、次世代に求める明るさ

ーー社内の文化や雰囲気についてお聞かせください。

青柳誠希:
上下関係の壁が低く、年齢にかかわらず同じ目標に向かって楽しめる空間です。コロナショックで減少していた社内イベントや食事会など、対面でコミュニケーションを取る機会も意図的に増やしています。最近ではアルバイトの方との連携も強化し、意欲的な方には社員に近い業務を任せ、積極的に社員登用する仕組みづくりにも注力しています。

ーー採用活動ではどのような工夫をされていますか。

青柳誠希:
採用のテーマとして「自分のために働く」を掲げています。これは、各自が夢に向かって進みやすい環境をつくるということ。将来独立したい、家族を大切にしたいなど、成し遂げたい目標は人それぞれ異なります。しかし、どのような夢であれ、それを追求するためには「心身の余裕」と「安定した生活基盤」が欠かせません。だからこそ、弊社では給与や労働環境といった待遇面の向上から逃げてはいけないと常に考えてきました。また、私自身もトップとして、出店や業態開発を含めた経営判断の質を高め続ける責任があります。その質の高い選択の積み重ねが会社の成長を生み、結果としてスタッフの働きやすさや「自分のために働く」ことの体現につながると信じています。

ーー今後、どのような方と一緒に働きたいとお考えですか。

青柳誠希:
自然と「明るい雰囲気」を出せる方ですね。現場でお客様にお声がけいただいたとき、その明るさが表情や第一印象に直結するからです。また近年は、失敗やリスクを恐れるあまり「独立したい」という夢を持つ人が減っていることに、寂しさを覚えるのも事実です。そこで、弊社で力をつけたメンバーがノウハウを活かし、低リスクで良いお店をつくれる仕組みを構築したいと考えています。そうした挑戦を後押しし、大きな夢を持つ仲間を一人でも多く増やしていきたいですね。

ーー最後に、今後3〜5年のビジョンをお聞かせください。

青柳誠希:
現状維持ではなく、「成長し続ける」仕組みをつくることが目標です。特定の業態が当たったときだけ伸びるのではなく、それぞれの業態の強みや採用、店舗開発など、あらゆる要素の底上げを図り、着実な成長につなげていきます。幹線道路沿いへの出店を含め、国内の主要エリアの基盤を確固たるものにした上で、将来的にはラーメンで海外市場にも挑戦したいですね。現状に満足せず、常に新しい挑戦を続けながら成長する企業でありたいと思います。

編集後記

「偶然が重なった」と謙遜しながらも、行列という希少性に頼らず「多くの人に届ける」決断を下した青柳社長の視点は、極めて冷静かつ合理的だ。上場という試練を経て組織の地力を高め、社員一人ひとりが「自分のために働く」環境を整備し続ける姿勢に、同社の強さの根源を見た。国内でのさらなる拡大、そして海外への挑戦と、歩みを止めずに成長し続ける株式会社INGSの展開に注目していきたい。

青柳誠希/1984年、東京都生まれ。拓殖大学卒業。大学時代はラグビーに打ち込むも、負傷を機に進路を転換し、在学中に飲食業界へ。2006年にラーメン店を開業して独立。2009年に株式会社INGSを設立し代表取締役社長に就任。2024年に東証グロース上場。ラーメンとイタリアンバルを軸に多業態展開を推進し、自社ブランド開発と人材育成に取り組む。