
「讃岐うどん」という地方の食文化を全国規模のファストフードへと押し上げた「はなまるうどん」。創業から事業にかかわり、売上高低迷や海外展開の最前線を駆け抜けてきた。それが株式会社はなまる代表取締役社長の前田良博氏である。同氏が、いかに飲食業界に飛び込み、現在のブランドをつくり上げてきたのか。吉野家の資本参加による組織改革や、香川県への原点回帰、さらにはグローバル人材と描く「550店舗体制」への道のりまで、その軌跡と経営理念について話を聞いた。
100円うどんが若者を魅了 常識破りのターゲット戦略
ーーまずは、飲食業界に入った経緯を教えていただけますか。
前田良博:
私が飲食業界に入ったのは、2000年の「はなまる」創業メンバーに参画した頃です。新たな事業を模索していたところ、創業者が讃岐うどんに着目したのです。香川県で日常的に食べられている讃岐うどんは、「うまい・早い・安い」というファストフードの要素を備えています。創業者は、この讃岐うどんならば全国展開できる可能性があると考えました。そこで2000年の5月に、会社の新規事業として「はなまるうどん」一号店をオープンすることとなり、私自身も営業マンから一転して、うどん屋の店舗に立つことになったのです。
ーーうどん激戦区の香川県内で、どのように差別化を図ったのでしょうか。
前田良博:
私たちは最初から全国展開を見据え、あえて「逆張り」の戦略をとりました。当時の香川県内には約900軒のうどん店があり、それらの個人店は主に男性向けに「早い・安い・うまい」のスタイルを主流として提供していたのです。そのため、接客や店内の綺麗さにそこまでこだわっているお店は多くありませんでした。
そこで、とにかく店内を綺麗にして接客サービスを徹底し、女性も日常的かつ気軽に利用できる店舗を目指しました。その他、すべて手作業でうどんを打つという戦略を取るなどして営業を続けた結果、狙い通り女性のお客様が多く来店してくださるようになったのです。その後、二号店では10代や20代の若年層をターゲットに据えました。ここでは主に「100円うどん」を展開し、その結果地元で大繁盛となり、これまで街のうどん屋を利用してこなかった客層を取り込むことに成功することができました。

ーー新たな客層の獲得に成功した後、店舗拡大はどのように進めましたか。
前田良博:
「讃岐うどんは香川県を出ると通用しない」というジンクスがささやかれる中、私たちは岡山県倉敷市への進出を成功させました。その勢いのまま、今度は2002年の9月に渋谷の公園通りに進出すると、ちょうど讃岐うどんブームがメディアで取り上げられていたこともあり、非常に多くのお客様が来店されて、大行列ができたのです。
当時はキャッシュレス決済がなかったため、数千人のお客様に対応するための釣り銭を確保すべく、週末にわざわざ香川まで両替に行っていたほどでした。その後は着々とフランチャイズ展開も進み、2003年度には年間135店舗というペースで出店しています。3日に1回は新しいお店がオープンしているような状態で、立地調査も追いつかず、私の携帯電話の着信履歴も常にパンク状態になっていましたね。
ブームの終焉とどん底組織を救った20年間揺るがない「経営理念」

ーー急激な店舗拡大に伴い、直面した壁についてお聞かせください。
前田良博:
ブームが去り、急速に売上高が下がるという事態に陥りました。勢いだけで出店していたため、立地条件の悪い店舗も多くあり、これからどう立て直していくべきか、素人集団だった私たちにはわかりませんでした。そんな苦境の中、株式会社吉野家ディー・アンド・シー(現・吉野家ホールディングス)から資本業務提携のお声がけをいただき、再起を図ることになったのです。出向してこられた経営幹部の方々が、不採算店舗の整理や社内制度の構築など、根本的な改革に着手してくださいました。
ーーその改革の過程で、最も重視されたのはどのようなことですか。
前田良博:
最も重視したのは、組織の意思統一です。当時はさまざまな外食企業から優秀な人材が集まっていました。しかし、それぞれが前職の「当たり前」を持って仕事をするため、組織としてまとまっていなかったのです。そこで、全員の方向性を合わせるべく打ち出したのが「経営理念」です。出向して来られた担当役員と創業社長が何十時間も膝を突き合わせて話し合い、組織をまとめるための理念をつくり上げました。これが20年近く経った今でも続く、私たちのベースとなっています。
ーー経営者として特に大切にされている信念についてお聞かせください。
前田良博:
「本当・本物・正直であることを貫く」という言葉です。お客様に対して間違いのない、安心なものをご提供するのは当然のことですが、私はこれを従業員に対しても、自分自身に対しても、絶対に曲げない信念として持っています。経営をしていると、どうしても欲が出たり、見栄を張りたくなったりする局面もありますが、そんな迷いが生じたときは、この「本当・本物・正直」という言葉を思い出し、謙虚に自分の胸に手を当てて考えるように心がけています。

アジア市場への挑戦 「現地の日常」に溶け込む難しさと教訓
ーー国内での店舗拡大後、海外市場へはどのように挑戦されたのでしょうか。
前田良博:
実は2009年頃から私が主導して海外展開の検討を始め、翌年の上海万博への実験店を経て2011年に上海市内に出店したのが最初です。当時は、小麦粉や製麺機、浄水器までを日本から持ち込み、「日本の本物の味」をそのまま再現することにこだわりました。
しかし、現地の新興国において、麺類は安価に食べられる「日常食」でした。日本のクオリティを維持しようとすると、現地の価格感と合わなくなってしまったのです。また、讃岐うどん特有のコシや風味という価値を現地の人たちに伝えるには、非常に高い壁がありました。
ーー新市場への壁を越えるために、どのようにして戦略を見直したのですか。
前田良博:
日本にあるものをそのまま持ち込むのではなく、現地の方々が何を求めているかを第一に考えるアプローチへと転換しました。たとえばマレーシアでの展開では、日本の味を大切にしつつも、現地で好まれる豚骨風味など、味のはっきりした商品を開発したのです。また、現地の物価に合わせて手軽に食べていただけるよう、現地で手に入る食材を活用して日本の味を再現する工夫も取り入れました。こうした経験を通じて、日本のやり方に固執せず、現地のニーズに合わせて改良を重ねていくことの重要性を学んでいます。

うどんを「日常の選択肢」へ 「香川発」への原点回帰
ーー他の外産業と比較した「はなまる」の強みはどこにあるとお考えですか。
前田良博:
老若男女問わず、誰もが好きでいてくれる点と、日常づかいのブランドであることですね。1兆円規模の市場がある中で、牛丼やハンバーガーなどと並び、お腹が空いたときに「うどんにしようか」と頭に浮かぶ日常の選択肢となっています。
特に、夏場に冷たいものを食べたいときや、お財布や体調に優しいものを求めているときにも選ばれる懐の深さがあります。その根底には、讃岐うどんの「本物」であることへの強いこだわりがあるのです。
ーー本物を追求するべく香川県内では、現在どのような取り組みをされていますか。
前田良博:
香川の地元で認められる本物を提供し続けるため、現在「おいでまい!さぬきプロジェクト」を推進しています。私たちが提供しているのは「本物の讃岐うどん」です。本物であるためには、発祥の地であり舌の肥えた香川県の方々に日常的に認められなければなりません。そこで、個性と多様性に満ちた讃岐うどん店が溢れる本場の香川から新しい価値を発信するために、本プロジェクトを立ち上げたのです。
具体的には、手打ちにこだわった店舗や、肉をメインにした店舗を県内にオープンさせました。手打ち店舗で職人がつくるうどんの粉の配合や熟成時間のデータをセントラルキッチンにフィードバックし、それを全国の店舗の品質向上につなげています。また、香川ではうどん店は15時頃に閉まることが多い中、あえてディナータイムにうどんを楽しめる店舗を展開し、新しい楽しみ方を提案しています。原点である香川で認められてこそ、全国や世界へ自信を持って展開できると考えています。
550店舗へ向けたビジョンと海外市場への「再挑戦」

ーー今後の5年後、10年後を見据えた定量的な目標をお聞かせください。
前田良博:
2029年度までに、現在の451店舗から600店舗へ拡大し、売上高を480億円に伸ばす計画を掲げています。この目標を達成するため、従来の基幹事業を伸ばすとともに、新たな出店戦略を進めています。一つ目は、20坪以下の省スペースで展開できる新しい店舗モデルの開発です。これまでセルフサービススタイルの特性上、どうしても30坪程度の広さが必要でしたが、小型店舗のモデルを確立することで、駅前などこれまで出店できなかった新しい立地を開拓できるようになります。
そして二つ目の戦略が、海外展開への再挑戦です。コロナショックの影響で一度は全店舗の撤退を余儀なくされましたが、再び世界を目指して準備を進めています。
ーー海外展開への再挑戦にあたり、どのような一歩を踏み出しますか。
前田良博:
香川で海外の方に認められたモデルを世界へ展開し、株式会社はなまるの成長と同時に、香川県の魅力そのものを世界に発信していきたいと考えています。

人材こそがブランドをつくる夢を応援する 「笑顔と元気」の組織
ーー人材育成についてはどのように進めていく考えですか。
前田良博:
事業拡大のためには人材育成が最も重要だと位置づけています。飲食店は「人」がいなければ成り立ちません。近年では海外からの人材を積極的に登用しており、新入社員の半数がグローバル人材という年もあるほどです。
言葉の壁がある彼らが、安心して日本語や業務を学べる環境づくりに力を入れ、早期に活躍できる環境を整えました。同時に日本人従業員にとっても素敵な環境をつくり、応援する体制を構築しています。業務のデジタル化を進め、人がやらなくてもいい作業は極力自動化することで、従業員が「お客様と向き合う時間」に集中できるように改善を続けているところです。
ーー従業員を応援する体制として、20代の従業員とはどのように向き合っていますか。
前田良博:
従業員が持つ「夢」を全力でサポートすることを第一に考えて、コミュニケーションをとっています。例えば、将来うどん屋になりたい、あるいは農家になりたいという夢をかなえるためのサポートを行うこともあります。
明確な目標を持っている人間は、必ず成長していくものです。夢をかなえる過程に株式会社はなまるという環境を利用してもらい、一緒に成長していけたらうれしいですね。また、従業員の「笑顔と元気」は私たちが最も大切にしている価値観です。そのためには、トップである私自身が率先して笑顔と元気を体現しなければならないと常に心がけています。
ーー最後に、飲食業界での仕事に関心のある読者の方へメッセージをお願いします。
前田良博:
私は、エリアマネージャー以上の幹部にとっての「お客様」は、店舗で働く従業員だと定義しています。スタッフがいかに生き生きと、安心して働ける環境を提供できるかどうかが大切であり、それが最終的に、店舗に来てくださる本当のお客様の笑顔につながっていきます。
弊社にとって飲食業というビジネスは、自分たちが提供した一杯のうどんでお客様が目の前で喜んでくださる素晴らしい商売であり、それをダイレクトに体感できる魅力を持っています。自身の成長と夢を重ね合わせながら、ぜひこのやりがいのある業界で一緒に本物を追求する挑戦を楽しんでいただきたいですね。
編集後記
業界の異なる営業マンから転身し、うどんブームとその崩壊、そして海外市場での試行錯誤という軌跡を歩んできた前田氏。語られたのは、華やかな成功談だけではなく、「素人だったからこその失敗」や「現地の壁」といった客観的な教訓であった。そのすべての経験が「本当・本物・正直」という理念につながり、組織づくりの糧となっている。原点である香川県から再び世界を目指す「株式会社はなまる」の飽くなき挑戦に、大きな期待を寄せたい。

前田良博/1976年、高知県四万十市出身。高知県立宿毛工業高等学校 情報技術科卒業。2001年、株式会社はなまるに入社。2012年に株式会社はなまる常務取締役に就任。2014年に株式会社吉野家ホールディングス執行役員特命担当(海外駐在)、2022年に株式会社吉野家執行役員兼、株式会社はなまる代表取締役社長(現任)、2024年に株式会社吉野家ホールディングス取締役(現任)に就任。