
滋賀県高島市を拠点に、土木、解体業や環境リサイクル事業を展開する田中建材株式会社。同社が独自開発した「木質舗装」は、東京オリンピックの体操会場、大阪万博にも採用され、注目を集めている。厳しい修行時代を経て、いかにして環境分野を牽引する企業へと成長したのか。そして、企業永続の鍵と語る「心の進化」の真意とともに、同社代表取締役会長の田中稔氏に、その軌跡と未来への展望を聞く。
5年間の過酷な現場修行で築いた社会人の土台
ーーまずは、ご自身の原点についてお聞かせいただけますか。
田中稔:
私の原点は、父が運転するダンプカーの助手席から眺めた景色にあります。物心ついた頃からその特等席に揺られ、夏休みの期間も父の仕事に同行していたのです。そうした日々を過ごす中で、当時は「将来は自分もダンプカーの運転手になりたい」と思っており、実際にその夢を叶えることができました。学校を卒業してからは大津にある県内トップクラスの建設会社へ入社し、5年間にわたって現場経験を積んでいます。
ーー外部企業での修行期間で得た最大の学びは何でしたか。
田中稔:
社会人としての基礎と、精神的な土台が養われたことです。入社してすぐに配属されたのが、24時間体制の突貫工事の現場でした。車の中で寝起きするような厳しい環境で、当時は「これが一生続くのか」と圧倒されました。しかし、強烈な個性を持った先輩や監督の下で揉まれたあの経験があったからこそ、今の自分の土台がつくられたと感じています。
独自の「木質舗装」で叶えた50年越しの夢
ーー貴社は環境分野で注目されていますが、注力されたきっかけは何だったのですか。
田中稔:
1990年頃に参加した青年会議所の勉強会で環境省へ伺う機会があり、「これからは環境が非常に重要な時代になる」と学んだことが転機です。当時はまだ世間が環境問題に注目していなかった時期ですが、いち早く環境とリサイクル事業へ舵を切りました。その結果、現在では高島市内における解体工事のシェアは50%を超えるまでに成長しています。
ーー独自技術である「木質舗装」には、どのような強みや背景があるのですか。
田中稔:
解体で発生した木材チップを、舗装材として再利用できる点です。この木質舗装は、一般的なアスファルトと同じように加熱して施工でき、古くなっても再度加熱して繰り返し利用できます。燃えにくい加工技術を施しているのも大きな特徴です。ただ、開発当時は木質舗装を製造する基準も、専用の機械も存在しませんでした。外部企業がつくれないのなら自分たちでつくろうと決意し、補助金を利用して、専用の製造設備や150度で保温したまま日本中に運搬できる専用車まで自社で製作しました。
ーーその独自技術が活用された実績の中で、最も印象に残っている出来事を教えてください。
田中稔:
私たちが手掛けた難燃木質舗装が、東京オリンピックの選手村や体操会場に採用されたことですね。中でも、体操会場の仕事には非常に強い思い入れがあります。実は私自身、中学時代は体操に夢中で、友人たちと「いつかオリンピックに出よう」と本気で目標にしていました。当時は滋賀県の体操競技のレベルが非常に高く、先輩が全国大会に出場する姿を見て憧れを抱いていたのです。しかし、ほどなくして先輩と同じ試技をしていた塚原光男選手が「月面宙返り(ムーンサルト)」を成功させてオリンピックで活躍するなど、あまりにレベルの高い時代だったこともあり、競技者として夢の舞台に立つことは現実には叶いませんでした。
それから約50年が経った2019年、外周500メートル(2万㎡)にも及ぶ広大な体操会場の舗装を手掛けることになりました。競技者としてではありませんが、違う形でオリンピックという舞台に携わることができ、私にとって一つの到達点といえる出来事です。奇しくも父がそのことを知って喜んでから亡くなった年でもあり、これまでの苦労が報われたような、言葉にできないほどの感動を覚えました。コロナ禍の影響で無観客となってしまったものの、この事業に参加できた誇りは今も強く心に残っています。いまでも木質舗装では国内で圧倒的なシェアを持ち、全国からお問い合わせをいただいております。
企業を永続させる「心の進化」とアイデア出しの習慣

ーー企業を永続させるための人材教育において、最も重視していることは何ですか。
田中稔:
技術以上に「心の進化」が不可欠だということです。人間の身体が進化してきたように、企業も精神的な部分を成長させなければなりません。どんなに優れた技術や知識があっても、良心や素直な心がなければ、組織は間違った方向へ進んでしまいます。ですから、まずは素直に受け入れ、学び続ける姿勢を大切にしています。
ーーその「学び続ける姿勢」は、日々の業務の中でどのように実践されていますか。
田中稔:
具体的な取り組みとして、毎月全員でアイデアを出し合う機会を設けています。最初は小さな思いつきでも構いません。仕事中に「何かアイデアを出さなければ」と思考する、そのプロセス自体が重要なのです。この習慣が会社を前進させる知恵となり、特許取得や新しい事業の仕組みを創出する源泉になっています。
小集団連合で挑む地域再生とこれからの商い
ーー事業を展開される中で、現在どのような課題に直面し、アプローチされていますか。
田中稔:
現在、地域社会では耕作放棄地や空き家の増加が深刻な課題として浮き彫りになっています。私たちは本業である解体業の枠を超え、大切な農地を守るための農業事業化にも力を注いでいます。あわせて、将来の解体費用を計画的に準備できるシステムの構築という新たな試みも始めました。これからも地域の困りごとに対し、既存の概念に縛られない多角的なアプローチで向き合い続ける方針です。
ーー最後に、今後の会社の展望についてお聞かせください。
田中稔:
地方の一企業として、100億円規模の巨大な一つの組織を目指すのではなく、5〜10億円規模の会社をいくつもつくり、それぞれにやりがいを持ったトップがいる「小集団連合」を理想としています。会社が大きくなりすぎると、組織の舵取りも難しくなるものです。しかし、5億円から10億円ほどの規模であれば、地方の地域社会においても誰もが顔の見える関係で対話ができます。部課長クラスの人材が社長としてやりがいを持ち、そうした企業同士が地域の中で連携していくほうが、結果的に健全で持続可能な組織になるのです。むやみに規模の拡大を追う必要はありません。地域に貢献する楽しみも大切にしながら、独自性を持った会社が連携して地域全体を豊かにしていく未来を描いています。
編集後記
自らの原体験を胸に、常識にとらわれない発想で道を切り拓いてきた田中氏。独自の舗装技術や「ないものはつくる」というマインドセットは、地方ゼネコンの枠を遥かに超えるスケールを感じさせる。その一方で、組織の根幹に「良心」や「素直さ」を据え、地域課題に泥臭く向き合う温かな眼差しが印象的だった。小集団連合という新たなモデルで挑む同社の未来が、地域にどのような実りをもたらすのか。今後のさらなる飛躍から目が離せない。

田中稔/1956年滋賀県高島市生まれ。修成建設専門学校卒。5年間の建設会社での経験を経て、1981年に田中建材株式会社へ入社。2010年に代表取締役社長、2020年に代表取締役会長に就任。事業においては環境分野や「今無いもの」の創出に情熱を注ぐ。建設業を通じた地域活性化にも尽力している。