※本ページ内の情報は2026年11月時点のものです。

1887年に創業し、来年140年の節目を迎える株式会社萩原。葬祭用品の卸売から自社製造までを手がけ、長きにわたり日本の葬送文化を裏側から支え続けてきた老舗企業である。家業を継ぎ、同社の代表取締役社長を務める諸田徳太郎氏は元証券マンという経歴を持ち、社長就任後は「超老舗の成長企業」を掲げ次々と組織変革を推し進めている。AI技術の積極的な導入や、CHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)を据えた社員の「物心両面の幸福」の追求など、伝統に甘んじることなく挑戦を続ける同氏に、キャリアの原点や未来への展望を聞いた。

証券営業で培った「誠心誠意お客様の役に立つ」という姿勢

ーーまずは、ファーストキャリアについてお聞かせいただけますか。

諸田徳太郎:
私自身、幼少期から「家業を継げ」と言われたことは一度もなく、実際に継ぐ気は全くありませんでした。大学時代はヨット競技に打ち込み、目標に向かって仲間と切磋琢磨する日々を過ごしました。卒業後は新たな環境で自分を成長させたいと考え、証券会社に入社しました。

証券会社は一般的には厳しい環境と言われることもありますが、私自身にはとても合っていました。もともと負けず嫌いな性格でもあり、目標に向かって努力することにもやりがいを感じていました。ただ、営業で一番大切にしていたのは、数字を追うこと以上に「誠心誠意、お客様の役に立ちたい」という思いです。お客様のことを真剣に考え、一つひとつ信頼を積み重ねていった結果、ありがたいことに営業でも成果を上げることができました。

相場環境が厳しいときにも多くのお客様に支えていただきましたし、成果も出ていたので、仕事は本当に楽しかったですね。毎日喜んで会社に行くくらい、証券営業には大きなやりがいを感じていました。

ーー充実した環境から、家業である貴社に入ることを決めた理由は何でしたか。

諸田徳太郎:
祖父が亡くなったときに、ふと自分のルーツを考えたのがきっかけです。それまで私が自由に好きなことをして、証券会社でさまざまな経験を積んで成長してこられたのは、家業のおかげだったのだと気づきました。そう思った瞬間「自分が引き継がなければならない」という思いが強烈に湧き上がってきたのです。

青年会議所での失敗と自己成長から得た「挑戦する姿勢」

ーー家業を引き継がれた後、経営者としての基礎をどのように築いていったのですか。

諸田徳太郎:
青年会議所での約10年間の活動が、リーダーとしての基盤をつくってくれました。青年会議所でいろいろな役職やプロジェクトに手を挙げ、社業と並行して活動する中で、自分の限界を超えて何度も失敗を経験しました。しかし、毎年違うポジションで高い目標に挑み、大きな成果を上げる喜びや失敗から学ぶ経験を重ねるうちに、失敗を恐れず挑戦する姿勢が身につきました。今の会社で社員に「挑戦しよう」と言い続けられるのも、この経験があるからにほかなりません。

ーー社長就任後は組織をどのように変革してきましたか。

諸田徳太郎:
弊社は長い歴史を有する会社だからこそ、当時は「今のままでいい」という現状維持の空気が漂っていました。しかし外部環境が大きく変化する中、現状維持は後退を意味します。そこでまずは働く社員の意識を変え、自己成長の必要性を伝え続けました。一人が変わり成果を出せば、それが周囲へと伝播していきます。外部の力も借りながら少しずつ前向きに挑戦する組織へと変わってきていると実感しています。

引き継ぐべき約140年の伝統と「物心両面の幸福」の追求

ーー組織が変化する一方で、変えずに引き継いでいくべきものは何だとお考えでしょうか。

諸田徳太郎:
大きく3点あります。先人たちが百数十年という長い歴史の中で築き上げてきたお客様との強固な信頼関係と、商品づくりに対する誠実さ、そして葬送文化を下支えする責任感です。特に信頼関係については、一朝一夕につくれるものではありません。この土台を大切に守り継ぐことが、私たちの使命だと考えています。

ーー土台を守り継ぐ上で、組織づくりで重視されていることは何ですか。

諸田徳太郎:
経営の根幹として、働く社員の「物心両面の幸福」の追求を本気で掲げています。その思いを形にするため、私が名付けたCHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)という役職を設けました。社員の幸せや職場の雰囲気づくりを担う役割で、「明るく楽しく元気よく」を合言葉に、社員同士で感謝のメッセージを贈り合う「サンクスカード」など、感謝があふれる環境づくりに取り組んでいます。これは国内だけでなく海外グループの仲間たちに対しても同じで、彼らを労働力として見るのではなく、私たちの伝統技術を引き継ぐ大切な仲間として等しく幸せになってほしいと考えています。そして一人ひとりが自発的に挑戦できる組織を育んでいきたいですね。

時代のニーズを形にする商品開発力と「白木祭壇」の価値再定義

ーーそのような組織体制から生まれる貴社の商品開発における強みは何ですか。

諸田徳太郎:
自前の工場を持ち、お客様の要望や時代のニーズをいち早く形にできるスピード感です。現在葬儀の現場では人手不足が深刻化しており一人でも対応できる「ワンオペ対応」の軽量化商品などのニーズが高まっています。そうした現場の困りごとに即座に対応できるのは大きな強みですが、一方で、古くからある「白木祭壇」の価値も、改めて見直されつつあると感じています。

かつては白木祭壇が当たり前でしたが、現在ではむしろ珍しい存在になってきました。だからこそ、実際の葬儀の現場では「立派なお葬式だったね」といった声も聞かれるようになり、他社との差別化にもつながっていると感じています。簡略化が進む時代だからこそ、白木祭壇が持つ荘厳さや、日本の葬送文化の中で培われてきた価値を改めて伝え、その技術を次の世代へ継承していきたいと考えています。

ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。

諸田徳太郎:
「超老舗の成長企業」であり続けるために、来年で140年を迎える歴史と信頼関係を引き継ぎながらも常に新しい価値を創出していきます。その一環として、現在はAI技術を積極的に取り入れています。すでにAI発注システムは実運用しており、業務効率化を進めています。また、それとは別に、東京商工会議所など外部機関の伴走支援を受けながら、生成AIを社内にどのように実装していくかという実証にも取り組んでいます。

また、葬儀をテーマにした映画『ほどなく、お別れです』では葬具監修にも携わりました。葬儀はただ悲しむだけの場ではなく、故人への感謝を伝え生きていく人が次の一歩を踏み出すための「前向きになるきっかけの場」です。この考え方を広く社会に伝え、『誰もが前向きに生きる社会を築く』という理念の実現に向けて、これからも挑戦を続けていきます。

編集後記

来年創業140年を迎える歴史という重みを背負いながらも、代表取締役社長である諸田徳太郎氏の言葉には常に前を向く強さが満ちあふれていた。証券会社で培った経験と、青年会議所で体得した失敗を恐れぬ挑戦心が、伝統企業に新しい風を吹き込んでいる。葬儀という人生の区切りの場を、次の一歩を踏み出す前向きな場へと変えていこうとする株式会社萩原の取り組みは、老舗でありながらもベンチャー企業のような熱気を帯びている。感謝と笑顔があふれる組織の輪が広がる先に、より良い社会の姿が見えるようで、今後の飛躍が楽しみだ。

諸田徳太郎/1981年生まれ。成蹊大学卒業後、2004年に野村證券株式会社へ入社。2009年に家業である株式会社三善堂に入社し、2011年に株式会社萩原へ入社。営業、商品開発、海外事業などに携わり、2024年に両社の代表取締役社長に就任。業界団体や青年経済人団体の活動にも注力している