国民的商品を生み出した二代目社長の飽くなき挑戦


パイン株式会社 代表取締役社長 上田 豊

※本ページの情報は2017年3月時点のものです。

大阪市天王寺区に本社を構えるパイン株式会社は、昭和23年(1948年)創業のキャンディメーカーである。主力商品であるパイナップル味のキャンディ『パインアメ』のほか、『あわだま』や『どんぐりガム』など、多くのリピーターを持つロングセラー商品を抱えている。同社代表取締役社長、上田豊氏のインタビューを通して見えてきた、同社の強み、そして社長の抱く夢を追った。

上田 豊(うえだ ゆたか)/昭和24年(1949年)大阪府生まれ。慶應義塾大学卒。食品関係の商社に3年半ほど勤めた後、昭和50年(1975年)にパイン株式会社に入社。平成3年(1991年)4月、代表取締役社長に就任。全国飴菓子工業協同組合理事長(現任)。

お菓子と共に育った幼少期

-社長はどのようなご幼少時代を過ごされたのでしょうか?

上田 豊:
私が生まれる前年に弊社が創業されましたので、まさに私は生まれた時からお菓子と共に生活をしていました。先代の社長である父は戦後、祖父の事業をしばらく手伝った後に独立したのですが、「今世の中で一番足りないものは甘い食べ物だ」ということで、菓子屋をしようと決めたそうです。その後、飴の製造販売に特化するようになり、父が大好物であった缶詰のパイナップルの形を模した『パインアメ』が誕生しました。それが昭和26年、私が2歳の時でした。

幼少の頃より、お菓子は私の生活の一部でした。工場に行けば、おやつとして水あめにグラニュー糖をまぶしたものを食べていましたし、香料の入っていた木箱で工作をして遊んでいました。いわば“根っからの菓子屋”と言えますね。


-いずれは会社を継ぐというお気持ちはお持ちでしたか?

上田 豊:
後継者としての自覚はありませんでしたし、父も「好きなことをしろ」というタイプでしたので、会社を継ぐということはあまり考えておりませんでした。苦労している父の姿を見て、当初はこの商売に対して疑問を持っていました。しかし、そう思いながらも、飴やお菓子が好きな気持ちに変わりはありませんでした。飴が好きという気持ちと、厳しい商売に身を置くことへの抵抗感、この2つの相反する気持ちが混在していたような状態でしたね。

-その後、社長にご就任されるまではどのような軌跡を辿られたのでしょうか?

上田 豊:
もともと内気な性格だったものですから、外でスポーツをするというよりも、家で勉強をすることの方が多く、高校は東京の慶応大学付属の高校に入学し、下宿生活を送るようになりました。慶應義塾大学を卒業した後に、小さな食品商社に入社し、3年半ほど勤めた後、27歳でパイン株式会社に転職することになりました。

最初は研修ということで様々な部署を回り、その後、販売のサポートや継続的な売上を実現するための戦略を考える特販セクションという部署に配属になりました。地域の売上に貢献するべく、店頭販売を始め様々な取り組みを行う中で、徐々にベテラン社員からの信頼を得ることができるようになっていきました。1つ1つの課題をクリアし、ある程度軌道に乗せたら担当者に引き継ぎ、彼らの実績を上げていく、ということを繰り返していくうちに、周囲から認められ、私自身も少しずつキャリアアップをしていき、最終的には社長の任に就くことになりました。

先代社長への終わらない挑戦

-先代の社長はどのような方だったのでしょうか?

上田 豊:
基本的には細やかな人ではありましたが、私にだけは特に何も言いませんでしたね。「何をやろうと自分で考えろ」という教えでした。私が社長になる前、新商品を作るために大きな設備投資を行ったのですが、販売に苦戦し、大損害となってしまったことがありました。その時でさえ、「全部自分で怪我をして、後始末をしなさい」という方針でした。しかし、そうした失敗の積み重ねのおかげで、経験値を得ることができ、その後の成功へと繋がっていったのだと思います。

私にとって父はカリスマとして“認めるだけの存在”です。追い抜くつもりもありませんが、それでも私たちの間には見えない火花が散っています。父の遺影を見て、父の魂と対峙しながら今でも私は戦っているのです。ですので、父と同じことはしたくありません。私流の強みを活かし、ニッチな領域に挑んでいきたいと考えています。

ロングセラー商品の強みとは

看板商品『パインアメ』は60年以上に渡ってユーザーの心に安らぎを感じさせる商品として愛され続けている。

-御社の強みについてお教えください。

上田 豊:
弊社の強みは、『パインアメ』というロングセラー商品を持っているということです。以前は、自社の強みは何かということについて、はっきりと答えることができませんでしたが、一体何が弊社を増強する鍵になるのかを考え抜いた結果、いたずらに新商品をフォローするよりも、まずは『パインアメ』で攻めた方が結果的には長いスパンで業績を作れるということに気が付いたのです。

『パインアメ』は他の商品と違い、売上に大きな波がありません。一定以下には落ちないという強みを持っています。新商品などは一気に売上が伸びますが、落ちるときもストンと落ちてしまい、過去に売上高1位を取った商品でも、最終的には『パインアメ』より下位になることもしばしばあります。しかし、『パインアメ』だけは、そういった上下の変動がないということに、社長になってから気付きました。

-『パインアメ』には根強いリピーターが多いということですね。

上田 豊:
長く続く商品というのは、ノスタルジア、心の安らぎを感じさせる力があります。“自分たちの過去を認めてくれる何か”が、その商品にはあるのです。『パインアメ』には、まさにその要素があります。一定以下には落ちないということは、工夫次第では上げることも可能です。そこに気が付いたのが今から20年ほど前になりますが、それ以来、果汁を加えたり、販路を広げるたりするなど、『パインアメ』にテコ入れを施しました。商品の良さは残しつつ、今でも少しずつマイナーチェンジを繰り返しています。そうして経営の強みとなる基盤を作りあげることができたので、今度は第二の柱づくりに挑戦しているところですね。

社員一人ひとりが成長を実感する教育体制を構築する

-御社の人材マネジメントについてお聞かせください。

上田 豊:
弊社では人材採用にも力を入れていますが、それ以上に入社後の社員教育を充実させるべく様々な取り組みをしています。私が社長に就任してから、社内塾を3つ作りました。私自身、数多くの研修に参加し、そこで弊社に必要なプログラムのノウハウを集めました。部門ごとの技術に関する教育ならば、OJTでベテランから若手に教育をしていけば良いのですが、仕事に対するアプローチをどうするかという課題に対しては、やはり社外のノウハウを吸収し応用する必要があります。そのため、私自身が研修に参加し、そこで学んだことを社内で共有しプログラムを作り上げます。弊社のテーマに沿った社内塾を社員皆の手で作り、そこで若手を育てていこうという考えです。そうして出来た勉強会は、一時期で終わらず、長年続くことが多いですね。


-他にも、社員の方のモチベーションを上げるための取り組みなどはございますか?

上田 豊:
月曜日の朝の15分間、挨拶運動というものを行っております。悩んでいるような表情をしている社員がいたら、声をかけるようにしています。ほんの少しの声かけや、軽く背中を押すことで、仕事のことで悩む気持ちを楽にしてあげることもできますからね。そうすることで、その週の品質管理も非常にスムーズにいくという効果があります。

仕事に喜びを感じることができる社員がいる会社は、強い会社です。仕事を好きになるためには、自身の成長を実感することが重要です。私は、教育の基本は人の良いところを引き出すことだと思っています。ですので、コミュニケーションを通して、1人1人の良いところを伸ばすことができるような会社にしていきたいと考えていますね。

光り輝くローカル企業を目指して

-今後、御社をどのような企業に成長させたいとお考えでしょうか?

上田 豊:
大阪には歴史ある製菓企業や飴菓子企業があります。弊社は本社を大阪に置き、工場も滋賀にあります。販売拠点は全国にあるものの、やはり地域に根差したローカル企業という位置づけに違いはありません。ならば、中小企業の強みを活かし、地元でニッチNo.1の企業になり、大企業にはできないことをしていこうと考えています。従業員たちやその家族の生活を守りながら、経営のクオリティ、製品のクオリティ、そして生き方のクオリティという、3つの質を充実させ、 “光輝くローカル企業”を目指していこうと思います。

編集後記

現在、様々なジャンルの企業と『パインアメ』とのコラボレーションが実現しており、それは香りやデザインといった食品以外のジャンルにも及んでいるという。マイナーチェンジによって少しずつ変化している同製品ではあるが、『パインアメ』が持つ“懐かしさ”だけは失われていない。その絶妙なさじ加減が、強力なブランド力を持つ『パインアメ』の魅力に繋がっているのだと感じた。