【ナレーター】
世界170カ国以上でビジネスを展開するグローバル企業「株式会社サカタのタネ」。
野菜と花の種苗に特化した研究開発を行ない、ブロッコリーやトルコギキョウなど様々な品目で世界トップクラスのシェアを誇る。
近年では、巣ごもり需要による家庭園芸などのニーズも高まり、2021年5月期は過去最高の業績を記録。
ものづくりを主軸としたグローバルな活動を通じ、日本の素晴らしさを世界に広めていくリーディングカンパニーを目指している。
経営者が語る、サカタのタネの強さの秘密と描いている未来像とは。
【ナレーター】
世界的なシェアを獲得する種苗を有するサカタのタネ。タネにかける想いと自社の使命とは。
【坂田】
タネだけ見ていても、そのタネからどういうものができるのか、どういう花が咲くのかっていうのはわからないわけで、その結果は3カ月後、6カ月後、9カ月後に出るわけですよね。そこで初めて満足いただける。
極端な言い方をすれば買われる方にとっては“ギャンブル”ですよね。しかし当社はギャンブルだと思われないようにしなければいけないわけです。
当社がいろいろな説明をして、その上で納得いただいて買っていただく。これが信用第一のタネの商売です。
ですからその結果に応えなきゃいけないというのが我々の使命ですよね。
【ナレーター】
3代目の社長である坂田のキャリアスタートは銀行だった。当時は銀行マンとしての道を歩み続けようと考えていたが、どのような経緯でサカタのタネへの入社を決断したのか。
【坂田】
父からサカタのタネに入らないかという話が後であったんですけれどもね。そういうときにタネ屋というものがどういう位置づけなのか、銀行員時代の経験はそういうことを考えるのに役立ちましたよね。
当時サカタのタネはそれほどまだ大きい会社ではありませんでした。ただ、タネというのは将来性が非常にあるという周りのご評価をいろいろ聞きましたし、自分でもそう思っていました。
その中で会社に入らないかという話を父がもってきたんで、それであればそうしましょうかということで入社しました。
【ナレーター】
農業、種苗の勉強をするため入社前にアメリカへ留学。その中での経験を経て、坂田が心がけたこととは。
【坂田】
カリフォルニア大学のデービス校というのは、園芸学では全米でも1、2のレベルの高いところで、まさに私にとってはすべてがためになりましたね。
創業一家というのは紛れもない事実だし、当然そういうふうな見方をされるのは当たり前だと思っていますし、自分が背伸びをしたってできないし、うまくいくわけがないと。
ですから、常に私が心がけたのはどんな時でも自分のベストを尽くすんだと、自分のやれることをできる限りやるんだということでしたね。
自分が一生懸命にできることをやっているというのを皆さんに見てもらうのが一番いいのではないかと。
【ナレーター】
「一生懸命に、できることをやる」。この行動を貫き、キャリアを積んだ坂田は、1988年に現地法人設立の任を受け、オランダへ赴任。印象深いエピソードと得た学びについてこう振り返る。
【坂田】
ヨーロッパに当時拠点がないということで、これが必要だということで私が行ったんですね。
当時は当社の人間は誰も現地にいませんし何もないですから、1人で行って自宅兼オフィスを立ち上げるところから始めて。それから秘書を雇い、事務所をつくり、最終的には現地法人を立ち上げて農場を建設していきました。
私は総支配人ということで、できる限りお客様の現場に行っていたので、各国を回るわけですね。その当時はEU統合の前ですから、実は経費精算が大変なんです。各国の通貨が何もかも全部違いますから、一人でやっている頃は本当に大変でしたね。
日本を外から見る期間というのはどなたでも持っていただきたいと思いますね。日本の中にいては分からない良さもあれば悪さもあるけれども、日本を外から見ないとなかなか本当に日本の良さというのは分からない。
加えて海外にいれば日本の説明もしなければいけない。そうなると、ある意味で将来、役立つ。そういった知識・見識が身に付くのではないかと思いますね。
【ナレーター】
そして2007年、55歳で代表取締役社長に就任。当時の心境と芽生えた想いとは。
【坂田】
当時の年齢ですと役員は皆さん私よりも年上でしたね。そういった意味では、気を遣うことにおいてはできる限り努力しました(笑)。
創業者一族だから社長になったのかと思われている方もいらっしゃるかもしれないし、経験がないのに、というように思われる方もいらっしゃるかもしれない。
ですから、みんなが一緒になってやれるようなことを常に考えていましたよね。世代を超えて、今一緒にやるというそういう雰囲気を何とかつくらなければいけないと思いました。
【ナレーター】
決意を新たに臨んだ坂田だったが、就任1年後に創業以来初となる赤字を計上。「一番の危機だった」と振り返る当時の状況をどのように乗り越えたのか。
【坂田】
私の経営姿勢というのをどう加えていくか考えていましたね。
当社の社是、あるいは経営理念である三位一体、三者共栄というのは不変なもの。ただ時代に則して経営というのは変えていかなければいけません。
そういった意味では私の経営姿勢というのを一番色濃く出ているのは、Passion(パッション)のPeople、Ambition、Smile、Sincerity、Innovation、Optimism、Never give up。これが私の経営姿勢だということを強く出していきましたね。
それと強く押し出したのは「現場」と「こだわり」という言葉。私は現場主義なので、子会社へ行ったらもうみんなに「現場」「こだわり」と言っていました。
「現場」というのはこういう意味であってと英語で説明をしました。英語の単語はないが、「現場」は重要で意味はこうだと。
「こだわり」、これも英語の単語はない。でもこだわるというのはこういう意味なんだということで伝えていきました。それによって当社のグローバル社員は増えたと思います。
【ナレーター】
自社の強みについて「オリジナリティー」を挙げた坂田。このオリジナリティーを追求するために、社員に伝えていることとは。
【坂田】
人それぞれいろいろなアイデアがあるし、そういったアイデアや発想を持ったチャレンジ精神を持った人を採用し、育てていくということが基本だと思いますが、それに加えて繰り返し繰り返しそういったことを事あるごとに皆さんに伝えていく。
あと自分自身も「こんなことどうだろう」「あんなことどうだろう」と常に言うことで社員も感じてくれると思うんですよね。
ブロッコリーでもなんでも、どうやって食べられているかというのは当社にとっては非常に重要で、食文化というのが当社の仕事に直結します。
どういうものが食べられているか、どうやって食べられているかという“文化”は常に見ていないといけないですよね。
【ナレーター】
今後は総合種苗会社を目指していると語る坂田。描いている展望とは。
【坂田】
ブロッコリーなどはおかげ様で非常に高いシェアをグローバルに持たせていただいていますけれども、それ以外のトマト、キュウリ、ナス、ピーマンなどの果菜類という実のなるもの。
そういったものは世界では主流で非常にボリュームもバリューも多いんですけれど、当社のシェアは低い。
まだまだやっぱり当社の競合他社が占めるところが多いので、そういうところを今後伸ばしていってシェアの高い総合種苗会社を目指しているというのが今もそうだし今後も目標のひとつですよね。
【ナレーター】
求める人材像について、坂田は次のように語る。
【坂田】
やっぱりパッションのある人間でしょうね。その中にはコミュニケーション能力もあれば協調性もあればリーダーシップもあれば、いろいろありますよね。それとグローバル性。
そういった点でグローバルにチャレンジしていこうという、そういう気概のある人材がやっぱり必要でしょうね。
-大事にしている言葉-
【坂田】
創業者は「成功の秘訣は?」と聞かれた時、(商材を)ひとつふたつを残して後は全部捨てるんだと言うんです。この捨てるということができないといくつも残ってしまい、そうすると成功しないという意味なんです。
しかし、そうはいってもブリーダーにしてみれば商品は可愛い子じゃないですか。これもいいね、これもいいねとなりがちなんで、そこは心を鬼にして、ひとつ、ふたつに絞る。
何百通りの中から絞るという勇気と捨てること。これはいろいろなことに通じるのではないかと思っています。
経営者プロフィール
氏名 | 坂田 宏 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1952年2月14日 |
出身地 | 神奈川県 |
座右の銘 | 先憂後楽、率先垂範 |
愛読書 | 「MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略」:盛田昭夫著 「経営学」:小倉昌男著 「成功への情熱」:稲盛和夫著 |
尊敬する人物 | 坂田武雄、稲盛和夫 |
著書 | なし |
会社概要
社名 | 株式会社サカタのタネ |
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本社所在地 | 神奈川県横浜市都筑区仲町台2-7-1 |
設立 | 1913 |
業種分類 | 水産・農林業 |
代表者名 |
坂田 宏
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従業員数 | 連結2,691名(2023年5月31日現在) |
WEBサイト | https://corporate.sakataseed.co.jp/ |
事業概要 | 1.種子・苗木・球根・農園芸用品の生産および販売、書籍の出版および販売 2.育種・研究・委託採種技術指導 3.造園緑化工事、温室工事、農業施設工事の設計、監理、請負 |