―金融危機の最中に利益を出せた理由―
【成田】
これでOKと思ったときに、リーマンショックが起こって、400億落としました。これはやっぱりしびれたね。ただ、私は社長になる前に仕入れ担当責任者もやっていたし、営業でもナンバーワン営業やっていたし、支店長になってからも全国1位2位の店を作ったりしていたので、どこをどうやったら乗り切れるのか(を考えて)これはコストを下げて収益力を上げるしかないなと。うちは下請けでなく直発注で業者を雇っていたので、結構仲良く商売をやっていて、あまりコストをキリキリ下げていなかったのです。
それで当時の業者界の理事方にお願いしました。今まではメーカーとは仕入れ交渉しましたけど、みなさんの手間賃には一切手を付けて来なかったはず。絶対あなた方は同業他社よりは率がいいというのを知っているでしょう。正直に答えてくださいと。でもうちは会社が残るか潰れるかの危機の状況下なので、他の業者より安くしてとは言わないから、その手間賃を今回は協力してくださいとやったら、たった1ヵ月で40億コストダウンになりました。このコストダウンの40億が、会社立て直しの一番の原資になり、それから収益力の高い会社にかわりました。それまでは利益の収益力は普通の住宅屋でしたが、そのおかげで一気に収益力の高い会社になりました。それだけ手をかけていなかったということです。業者方と直接、何十年もやっていると、うちは儲かっているのに手間賃もうちょっと引けよと言えなかった。だから逆に、リーマン時は苦しかったから頭下げたら、よしいいよという話でやってくれた。これで大丈夫だいう感じですね。
経営者プロフィール
氏名 | 成田 和幸 |
---|---|
役職 | 株式会社日本ハウスホールディングス・グループCEO兼代表取締役会長 |
生年月日 | 1953年4月20日 |
出身地 | 北海道 |
座右の銘 | 苦楽一如 |
著書 | 「頂点を目指せ」「不屈の経営」「将来の資産設計はマンション投資がいちばんいい」 |
略歴
昭和51年、東日本ハウス株式会社 函館支店入社。平成2年、函館支店長。平成6年、取締役北海道ブロック長兼支店強化推進部長。平成7年、取締役首都圏ブロック長兼横浜支店長。平成13年、常務取締役関東ブロック長兼首都圏ブロック長。平成14年、代表取締役社長。平成31年より現職。
会社概要
社名 | 株式会社日本ハウスホールディングス |
---|---|
本社所在地 | 東京都千代田区飯田橋4丁目3-8 日本ハウスHD飯田橋ビル |
設立 | 1969年2月13日 |
業種分類 | 建設業 |
代表者名 |
成田 和幸
|
従業員数 | 982名 |
WEBサイト | https://www.nihonhouse-hd.co.jp/ |
事業概要 | 木造注文住宅の設計・施工・監理・販売、リフォーム・メンテナンス、分譲マンション等の企画・設計・施工・販売、グループ会社でホテル事業を運営。 |