株式会社日本ハウスホールディングス 負債額680億円から復活。その裏側と経営者の信念 株式会社日本ハウスホールディングス 株式会社日本ハウスホールディングス・グループCEO兼代表取締役会長 成田 和幸  (2022年9月取材)

インタビュー内容

―負け癖が染み付いた社内の意識改革―

【成田】

会社を立て直すには財務的な内容のほか、グループの関係、問題の始末です。あとは社員の自信。ちょっと意識が負け犬根性になってきていたのですね。1450億、あと一歩で東証二部だ一部だといっていたのに、一気に700億くらいに落ちてしまっているから。そして私が社長になったときに、3割くらい規模を縮小して1度縮まなければ駄目とやったものだから、社員が委縮している部分がありました。

それで(財務等の立て直しと)並行して、「今この会社は死に体と同じなんだ、これを我々が一部上場できるような会社に立て直すには、俺ら自身の意識が変わらないと駄目なんだ」と(意識改革を始めた)。箱根に保養所を持っていたのでそこを研修所にして、1月から4月を教育月間として、そのほかは全国を年に3回巡回しました。徐々に60~70に減らしましたが、当時全国に100ヵ所くらいありました。3年ほど、1800人の社員と我が社の思想確認をしました。我が社はこういう思想で、こういう風にやったじゃないか、こんないい会社で、こういう目標があるんだから駄目だよ、もう1回みんなでやろうと。そのためにはやはりあなた方自身も人生をいかに生きるべきか、あなた方自身でちゃんと考えなければ駄目だと。その中で一番大事なのは、やはり目標や夢を持つこと。目標や夢を持つことは、自分のことや会社のことの3年先5年先の未来を今考えて行動に移すということなんだから、一番自分らのパワーの源になれるからと。成功の法則というものに基づきながら、人生をいかに考えるべきかというのを、箱根塾という名前を付けてやりました。社長自ら飯を作ってね。1人対500名ずつやっても全然伝わらないでしょう。膝交えて酒酌み交わすようなのがテーマだから、やはり多くても20名くらいでないと。発信だけじゃだめなのですよ。

社長になったとき会社の状態が悪かったから、支店長たちは2、3割の給料減をやってくれました。私も社長になってすぐ4割。それを3年くらい立て直しの原資にしました。その給料を減した分は、会社が良くなってから2年間で戻しました。銀行からきた専務が、戻すことない、社員はあてにしていないと言いましたが、だから銀行屋は駄目なんだ、戻したらまた粋に感じて今まで以上にみんなはやってくれるから、これは戻さなくちゃ駄目なんだと(戻した)。社員にこの社長なら間違いないからついて行ってやろうかと思われるのは約束を守ることでしょう。おそらくそういうのがあったから、2、3年で一気に復配して、上場2部だ1部だとなり、社名変更までいくことになったのではないかな。財務の立て直しもうまくいった、関連会社も副社長と専務が行ってくれて立て直してきた。社員教育もやって社員の意識もずんずん変わってきた、だいたいこれで会社の目途が立ちましたね。

―金融危機の最中に利益を出せた理由―

【成田】

これでOKと思ったときに、リーマンショックが起こって、400億落としました。これはやっぱりしびれたね。ただ、私は社長になる前に仕入れ担当責任者もやっていたし、営業でもナンバーワン営業やっていたし、支店長になってからも全国1位2位の店を作ったりしていたので、どこをどうやったら乗り切れるのか(を考えて)これはコストを下げて収益力を上げるしかないなと。うちは下請けでなく直発注で業者を雇っていたので、結構仲良く商売をやっていて、あまりコストをキリキリ下げていなかったのです。

それで当時の業者界の理事方にお願いしました。今まではメーカーとは仕入れ交渉しましたけど、みなさんの手間賃には一切手を付けて来なかったはず。絶対あなた方は同業他社よりは率がいいというのを知っているでしょう。正直に答えてくださいと。でもうちは会社が残るか潰れるかの危機の状況下なので、他の業者より安くしてとは言わないから、その手間賃を今回は協力してくださいとやったら、たった1ヵ月で40億コストダウンになりました。このコストダウンの40億が、会社立て直しの一番の原資になり、それから収益力の高い会社にかわりました。それまでは利益の収益力は普通の住宅屋でしたが、そのおかげで一気に収益力の高い会社になりました。それだけ手をかけていなかったということです。業者方と直接、何十年もやっていると、うちは儲かっているのに手間賃もうちょっと引けよと言えなかった。だから逆に、リーマン時は苦しかったから頭下げたら、よしいいよという話でやってくれた。これで大丈夫だいう感じですね。

―売上1000億を目指して―

【成田】

まず住宅です。住宅でも今までは戸建オンリー、その戸建も檜をテーマにした一棟当たり3000万の高級住宅と、J・エポックといって金物、近未来工法によってやっている2400万くらいの事業部。これら戸建2つと、今までのたくさん顧客に対するリフォームが住宅の柱で、それに枝葉を付けたのがマンションや建売等の不動産事業です。ハウスの方は拠点をちょっとずつでも増やしていかない限り、伸びる要素がない。でも10年ほどのスパンで考えると現実的には2割くらいダウンになるだろうという想定です。そうしたら同じ住宅に関することでやってないところの隙間を埋めていくなり強くしていくという意味ではやはり不動産なのです。不動産としてマンション、投資マンション、木造の賃貸併用住宅、これをパッケージでやっていく、ちょっとずつやらせてもらえればいい、これが今のハウスの部門ですね。

ホテルは6ヵ所でやっていて、今2ヶ所着工しています。一気に10個くらいまでホテルを増やして、やっていこうかなと。そしてできれば、500億から、最終的には1000億できるような会社に。何年かかるかわからないけれども。そういう先の目標や夢を持たないと、社員が一部上場した、社名変更したで安心してしまいます。これじゃ駄目なんだと、あくまでもこれは通過点で、我々にはもっと社会に貢献しようというテーマがあるじゃないかと。今うかうかしていたらいけない、1000億まで行かないとだめだ。というのが今の社員に声高々に言っていることです。今ここを底にしよう、会社を立て直したのだから、ここを底にしてもう1回上がる。それでこそV字回復。今財務内容だけV字回復している、今度は中の質もV字回復しなくちゃいけない。それが今の状況です。

―企業理念と視聴者へのメッセージ―

【成田】

まず企業理念では、グループとしての我々の使命感は何ということ。使命感は社会に貢献するグループ企業集団。これは社会に貢献することを考えようと。ホールディングでは、木造在来工法を継承し、特に檜で、日本の工法をつなげていく使命感を持ってやっていこうということです。グループの心構えは、報恩感謝の心で行動するグループ企業集団となること。恩に報いるために、常に感謝の心で行動することです。恩とは何かといえば、お客様、お父さんお母さん、働く仲間、業者、株主、社会。その六恩に報いる仕事をする企業集団として、恩を感じて感謝する心をもって仕事をしようと。ではグループ企業の目指すべき姿というのはどういうことかというと、物心両面の幸福を追求するグループ企業集団となること。格好いいことだけ言いません。物心両面だから、働く喜び誇りと、それとお金もきっちりと。これは社員の給料です。社員に言うのは、物心両面の幸福というのは、格好いい建前だけじゃない、お金もというのは、給料もいっぱいもらう集団になるということだと。この企業理念は、私が社長になってから変えたのです。前は経営理念でした。会社がもう1つグレードアップして、2年でやっていこうとすることをわかりやすくしようと(変えました)。使命感は何か、社員はどういう考え方で働ければなければならないのか、目指すべき姿は何かとシンプルに3つにしようと、企業理念に変えたのです。

創業の精神とは学歴不問です。学歴不問、実力主義。私も創業者とは地縁血縁も一切ありません。北海道の全然わからないような短期大学を卒業して、ここの会社に入って、まさか営業で全国1位になったり支店長をやって全国1位2位になったり、そのあと北海道の責任者をやり、うちでは弱かった首都圏、関東の責任者になって黒字にして、常務になって、社長になって。気にもしていません、どこの学校出たとか、大卒だ高卒だとか、そういうのは一切気にしない。これからは数値的な目標である1000億に向けて、V字に伸ばしていくことを目指しています。もし我が社にご縁があって、一緒に働きたいと思う方がいらっしゃるのならば、学歴不問、その通りです。頂点を目指して働くことができますから、ぜひ我が社にと考えていただければ幸いです。また、家を建てる皆さまに向けては、自信があります。専門家が惚れる住宅、これが我が日本ハウスホールディングの住宅でございます。丈夫で長持ち、徹底的に檜にこだわる、ということです。

―日本ハウスHD商品の強み―

【成田】

丈夫で長持ち。そして構造にこだわる。檜と構造。今、戦後植林した檜の柱が、一本取りといって柱を取って、結構安く手に入るようになってきています。それをうまく利用したい。木造在来である程度の会社では、結構檜をやっていたのに、今は檜をやらなくなってきたんですよ。だからうちみたいな会社がこだわってもいいんじゃないかと。うちは今、檜の柱だけでは日本一使っている会社です。うちは自社で木造在来の施工するための加工工場を3ヵ所持っているし、協力工場も何社かあります。すべて精度の高い加工で、在来工法を継承していっています。

それと我々が独自に開発した新木造といって、外壁のモノコップ構造。飛行機を作るような形でやって、揺れの強さは日本一、気密性日本一です。そういうことにこだわっています。

そのほかにやっているのは、感謝訪問です。1年から5年までは年2回、うちの方から家のチェックに行きます。古田さんが家を建ててくれれば、お引渡しのときに古田さんのチェックシートができます。それを持っていって、5年までは年2回チェックして、駄目なものはすぐに直したり、これはもう少し様子を見ましょうであったりしています。チェックした内容は本社のコンピューターに全部登録します。そして6年から9年は家が落ち着くので、各事業部(が担当する)。

そして10年になったら今度はリフォーム事業部が、家が壊すまで、毎年1年1回訪問します。それを全部チェックシートに記録します。だから15年前に家を建てたお客さんでも、アフター履歴が全部コンピューターに入っています。家というのは本来、作った後が勝負なのです。これからは特にそういう風になっていくでしょう。リフォームしたら40年50年住めるのですから。これから評価の問われる基準は、履歴がちゃんとわかる家。丈夫な家ということですから。だからうちの時代がくるんじゃないかと言っています。

【ナレーター】
国産檜にこだわった注文住宅建設を中心に、リフォーム・マンション事業、また、グループではホテルや会員制リゾートクラブの運営などを手掛ける「株式会社日本ハウスホールディングス・グループ」。

全国の住宅販売実績は10万戸を超え、充実したアフターサービスにより、顧客紹介での受注件数は業界トップクラスを誇る。

近年では、「環境にやさしい、脱炭素社会の住宅」の達成に向け、「檜品質」「ゼロエネ品質」「快適品質」を追求し、次世代省エネルギー基準を超える最高レベルの住宅を提供している。

現会長の成田和幸氏は、新卒入社2年目にして営業成績全国1位を獲得。その後、トップ営業マンとして住宅を販売し、30代で役員昇進を果たした後(のち)、2001年に48歳で社長に就任した辣腕経営者だ。しかし、就任当時の同社は倒産寸前だったという。

苦難を乗り越え、檜住宅のパイオニアとしての地位を確立させた経営者の軌跡と、見据えている未来像に迫る。

【ナレーター】
2021年9月、日本ハウスホールディングスは、暮らしのエネルギー使用量を抑え、自ら生み出す家づくりに注力するという新たな方針を発表。その真意とは。

【成田】
檜品質、ゼロエネ品質、快適品質。3つの品質で脱炭素社会を目指しています。特に重要なのはエネルギーです。

以前は自分で使うエネルギーは、自分の家で生産しようというのがテーマでしたが、今は「限りなくエネルギーを使わない家をつくろう」に変えました。

一段階ステージに上がろうということで、従来の家に比べて2分の1のエネルギーで済む家をつくったんです。

これからのCO2発生量を考慮すると、もっとエネルギーのことを考えなければ駄目だと。そこで当社は国土交通省より先に、同省が決めた最高レベルの基準値をクリアする技術を開発し、消費エネルギー2分の1を基準にした家づくりを行いました。

エネルギーを10使うから10生産するんじゃない。10使っていたものを5にしようと。5にして5の生産で済むような家をつくった方がCO2発生を少なくできるだろうという発想なんです。

【ナレーター】
日本ハウスホールディングス・グループを牽引する成田は、建築学科を卒業後、1976年に入社。設計職を志望していたが、人員不足から営業職を打診される。

そこで成田は、ある条件を提示したという。

【成田】
担当するお客様の家を自分で設計させてほしい、それでよければ営業をやってもいいと言いました。今でいうとエンジニアリング営業ですよね。

それがきっかけで、設計を勉強していない営業にもパースを書かせるなど、ある一定のレベルまで引き上げてから営業をさせるというシステムに変わりました。

自身も学校を出て2年目ぐらいで2級建築士の資格を取得、不動産を扱うようになってから宅建の免許も取得しました。そういった行動がお客様の信用・信頼につながり、お客様から紹介してもらう紹介営業を身につけられました。

また、当社には半年ごとに一定金額の売上を達成した社員を表彰する金バッジという制度があるのですが、14年半の営業職のうち、29回の金バッジすべて取り、29回の表彰のうち15回全国1位を取りました。だから我が社では、営業の神様なんて言われていますよね。

【ナレーター】
その後、函館支店の支店長に就任。当時、年間で16億円ほどだった支店業績を約3倍にするなど、経営者としても大きな成果を残す。

それが実現できた理由について、当時の業界の風習を引き合いにこう振り返る。

【成田】
その当時、住宅産業というのはだらしない産業として悪名を馳せていました。

注文の取りっぱなし、やりっぱなしは当たり前。注文を受けたらお客様のところにあまり顔を出すんじゃない。なぜかといったら苦情が増えるだろう、などと言われていました。

ですから、それと逆のことをやったんですよ。

職人に教えを請い、営業活動をしながらお客様のアフターフォローまで行いました。工具箱を持ってお客様のところに訪問し、自分で直したり、対応できないものは職人に依頼したりしていました。

そういったことをこつこつやり続けて約2年。お客様からの紹介だけで30件、40件の注文が取れるようになり、生活できるぐらいになりました。

だから、当社の社員には「引き渡してからが勝負なんだぞ」とよく言っています。

お客様とは長い付き合いをし、その間でお客様とのご縁を大切にして、お客様のお子さんの家、親戚の家、友人知人の家を任せてもらえるような信用される会社をつくることが一番大事というのがやはり基本的な考えですよね。

【ナレーター】
信頼を積み重ねていった成田は2001年に代表取締役社長へ就任。しかし当時は、多角化経営が軌道に乗らず、倒産の危機に瀕していたという。なぜ成田は社長を引き受けたのか。

【成田】
こんな会社になってしまったのは、創業者や2代目社長が原因かもしれないけれど、自分たちも原因だと思ったのです。

ですから、当時の専務や役員に、こうなるまで言えなかった自分たちにも責任がある。一緒に立て直ししようと言ったんです。それで、専務と役員は残り、手伝ってくれました。

やはり人に恵まれたんだと思います。もちろん、立て直しのためにいろいろやりましたけどね。

【ナレーター】
立て直しを図る中で、成田が課題を感じていたのが、従業員の意識改革だった。苦慮の末、成田が取った行動とは。

【成田】
現在、箱根芦ノ湖の「四季の館」というホテルに変わっていますが、以前はそこが社員の保養所兼研修所だったんです。

そこで3年間、1月~4月までを教育月間として、ひと月20名ずつ週2回、1,800名いた従業員の研修を実施しました。

さらに、全国の支店を飛びまわり、従業員へ会社の現状認識と、「人生いかに生きるべきか考えよう。働く目標や夢を持ちましょう」と伝えたんです。

またその当時、会社は潰れそうでも半年に一度の社員の表彰式は欠かしませんでした。従業員の家族も呼び、自社のホテルや、帝国ホテルなどの超一流ホテルで、お金はないんだけれども、盛大に行いました。

こうして従業員の意識改革を進めたことで、従業員から「自分の決めた目標をクリアできた」という報告がどんどん増えていったんです。増えていくというのは、つまり研修で伝えたことが浸透しているということ。

それもあって、「何とかなるのではないか」と思い始めたのが、社長に就任して3年、4年過ぎたあたりでした。10年目には負の遺産も全部整理でき、まだ金銭面では厳しいけれど、順風満帆という雰囲気になりました。

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経営者プロフィール

氏名 成田 和幸
役職 株式会社日本ハウスホールディングス・グループCEO兼代表取締役会長
生年月日 1953年4月20日
出身地 北海道
座右の銘 苦楽一如
著書 「頂点を目指せ」「不屈の経営」「将来の資産設計はマンション投資がいちばんいい」
略歴
昭和51年、東日本ハウス株式会社 函館支店入社。平成2年、函館支店長。平成6年、取締役北海道ブロック長兼支店強化推進部長。平成7年、取締役首都圏ブロック長兼横浜支店長。平成13年、常務取締役関東ブロック長兼首都圏ブロック長。平成14年、代表取締役社長。平成31年より現職。

会社概要

社名 株式会社日本ハウスホールディングス
本社所在地 東京都千代田区飯田橋4丁目3-8 日本ハウスHD飯田橋ビル
設立 1969年2月13日
業種分類 建設業
代表者名 成田 和幸
従業員数 982名
WEBサイト https://www.nihonhouse-hd.co.jp/
事業概要 木造注文住宅の設計・施工・監理・販売、リフォーム・メンテナンス、分譲マンション等の企画・設計・施工・販売、グループ会社でホテル事業を運営。
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