株式会社NATTY SWANKY(ナッティースワンキー) 餃子居酒屋ブームの火付け役!『肉汁餃子のダンダダン』快進撃の秘密 株式会社NATTY SWANKY(ナッティースワンキー) 代表取締役社長 井石 裕二  (2020年9月取材)

インタビュー内容

【ナレーター】
アフターコロナという新時代を迎え、変化が求められる外食産業。店舗づくりやメニュー開発など、これまでにない発想で創意工夫を凝らせるかが、生き残るための鍵と言っても過言ではない。

そんな中、中華料理の人気メニュー「餃子」に特化した飲食店を全国へ展開し、躍進する企業がある。株式会社NATTY SWANKY(ナッティースワンキー)だ。

「街に永く愛される、粋で鯔背な店づくり~期待以上が当り前、それが我らの心意気~」を経営理念に掲げ、1年以上の月日をかけて研究し、誕生した「肉汁焼餃子」を看板メニューに据えた飲食店「肉汁餃子のダンダダン」を全国に95店舗展開。

2019年、東証マザーズへと上場し、翌年の2020年、新型コロナウイルスの影響で業界全体が大打撃を受ける中、黒字経営を継続させ、その後も順調に店舗数を伸ばしている。

餃子にこだわった経営戦略から紐解く、ナッティースワンキーの成長の秘密に迫る。

【ナレーター】
26歳の時にナッティースワンキーを現取締役副社長の田中氏と立ち上げた井石。田中氏との出会いと、知られざるエピソードの裏側に迫った。

【井石】
当時住んでいた家の最寄り駅近くにラーメン屋さんがあって、僕はそこのラーメンが週5日通うほど大好きで(笑)。そのお店の店員だったのが今の副社長の田中(取締役副社長の田中竜也氏)だったんですよね。

ですので、出会った時の関係性はラーメン屋の店員とお客さんという感じです。ラーメン屋の中では、別に話すことはなく、名前ももちろん知らなかったんですけれど、たまたま別のお店、居酒屋でばったり会ったんですね。

僕は普通に会社員で6年ぐらい働いていたんですけど、本当はその時やっていた仕事で独立しようと思っていました。元々独立願望というのはずっとあって、そのタイミングでたまたま田中と会って。

彼も18歳で高校卒業してから「ラーメンで独立したい」という思いを持って、ずっとラーメン店で修行していました。

それで26歳の時に、本当に独立するということになったんですけど、その時に「じゃあ一緒にやろうか」みたいな話になったのが、きっかけですね。

【ナレーター】
そして2001年、田中氏と有限会社ナッティースワンキーを創業。ラーメン店やアルコール業態の店舗を展開していたが、業績は伸び悩み、創業から10年間、苦戦が続いていた。このままでは会社の存続も危ぶまれる中で生まれた業態が、餃子をメインに据えた飲食店だった。

【井石】
僕は京王線の調布駅というところでアルコール業態を2軒やっていて、次、3軒目をやろうという時に、どうしようかとずっとやっぱり考えていて。

調布で3店舗目を出す時は、老若男女に使っていただけるような、そんなお店をつくりたいなと思っていたんですよ。

僕も調布に住んでいて、餃子が好きだったんですけど、「ちょっと美味しい餃子が食べたいな」と思っても、当時はなかなかそういうお店がなかったんです。

当時の餃子と言うと、中華料理屋さんかラーメンのサイドメニューみたいな位置づけだったんですけれど、餃子とビールの組み合わせは、その頃から皆、結構鉄板の相性みたいなイメージは誰もが持っていたはずなんですよね。

じゃあ餃子でビールをゆっくり飲める店ってどこなんだろう?と思った時に、意外とないなと思って。

僕もお酒は好きなんで、餃子でビールを飲みたいなと思っていたんですけれど、「需要は絶対あるはずなのに意外とそういう店がないな」と思って、そういう店をつくろうと思いました。

日本一美味しい餃子をつくれば絶対にお客様に認められて、喜んでもらえると思ったんで、この業態に挑戦することが怖いとか、そういう気持ちは全然なかったですね。

【ナレーター】
日本一美味しい餃子をつくれば、絶対にお客様に認めてもらえる。その想いから、餃子の開発に1年以上の月日をかけて試行錯誤し、2011年、会社の命運をかけた餃子メインの飲食店「肉汁餃子製作所 ダンダダン酒場」の1号店をオープン。しかし、その1ヶ月後に東日本大震災が発生。当時の状況について、井石はこう振り返る。

【井石】
当時物流が崩壊していた時期で、スーパーとかコンビニなどでも朝から行列ができていて本当に食べ物がなくなっていて、夜仕事から帰ってきたら食べるものがないみたいな人たちが結構多くて。

特に1人暮らしの人なんかは多くて、お店を開けていただけでも「本当にここは開いていて良かったです。何も食べるものなかったんで」と大変感謝されたのを覚えていますね。

停電の時なども、他のお店は休んでいたんですけど、停電でも何とか考えればお店を開けれるんじゃないかということで、ろうそくとか、懐中電灯とか、ヘッドライトとかを集めて。

ご飯なんかは停電になるちょっと前に炊き上がるようにして、発泡スチロールにアルミホイルを敷いてそれを保温器代わりにするとか、いろいろな工夫をして皆でなんとか開け続けたという感じですね。

【ナレーター】
一致団結して危機を乗り越え、2019年2月に東証マザーズへと上場を果たしたナッティースワンキー。上場を意識したタイミングとは。

井石:
上場準備を始めたのは2016年ですね。その頃は月1店舗ぐらい出店していた時期で、3年後にはこれぐらいの規模になっているな、というのが容易に想像できたんです。

では、そのぐらいの規模になった時の会社の体制ができているかというと、当時本社は経理が1人しかいないみたいな状態だったので、これは規模が大きくなったら耐えられないなと思って。

会社が成長して大きくなってきた時もしっかり企業として成り立っている状態にしなければいけないと。であれば、上場できるくらいの会社にしようと副社長の田中と話をしました。

【ナレーター】
その後、順調に店舗数を増やし、2020年10月時点で、国内に95店舗展開するナッティースワンキー。店づくりへのこだわりについて、井石は次のように語る。

井石:
僕らは一軒一軒、街に永く愛されるお店をつくっていきたいというのがもともとの理念にあります。

出店ペースを下手に焦って、うまくいかずにブランド価値を毀損するようなことは嫌だったので、とりあえず一軒ずつ、一カ月に1店舗を目安にやっていこうと。

飲食店を見ていると本当に1年2年、すごい流行っていても3年後にはもう閉まってしまう。業界的にも1年で3割、3年で5割閉店すると言われています。

ただ本当にいろいろな人も関わっていますし、街の人からしたら1階にお店を構えてると、その街の風景にもなってくるわけじゃないですか。

そんな中ですぐ閉店しても、あまり意味がないし、やっぱり10年20年30年とそこに根付いてやっていけるのが一番いいなと。

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経営者プロフィール

氏名 井石 裕二
役職 代表取締役社長
生年月日 1974年12月14日
出身地 東京都
座右の銘 餃子とビールは文化です。
愛読書 キングダム
略歴
1995年4月 株式会社クレメント 入社
2001年11月 有限会社ナッティースワンキー(現 株式会社NATTY SWANKY)取締役 就任
2007年10月 当社 取締役社長 就任
2017年6月 株式会社swanky(現 株式会社BORA)設立 代表取締役 就任(現任)
2018年1月 当社 代表取締役社長 就任(現任)

会社概要

社名 株式会社NATTY SWANKY(ナッティースワンキー)
本社所在地 東京都新宿区西新宿1-19-8 新東京ビル7階
設立 2001
業種分類 小売業
代表者名 井石 裕二
従業員数 257名(2024年1月31日現在)
WEBサイト https://nattyswanky.com/
事業概要 飲食店経営
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