【ナレーター】
世界初のブランド品買取専門店として産声を上げ、2021年5月時点で国内に118店舗展開する「株式会社エコリング」。
「感動買取」をモットーに、店舗で買い取った商品を店頭売りせずに、インターネットオークション、業者間取引、海外店舗で販売するという新たなリユースビジネスを確立。
近年では業界初となる職業体験施設「キッザニア」への出展や、リユース品を世界の恵まれない子どもたちのために役立てる活動「えがおプロジェクト」など、リユースの観点から社会問題の解決に向けて取り組んでいる。
他社と一線を画するビジネスモデルで成長を続ける企業を牽引する経営者の軌跡と、リユースを通じて実現したい未来とは。
【ナレーター】
ブランドバッグや貴金属だけでなく、くたびれた古着から使用済みのおもちゃにいたるまで、“ボロボロ”“クタクタ”大歓迎の精神で買い取ることをコンセプトとしている。
このコンセプトが生まれたきっかけについて、桑田は次のように語る。
【桑田】
その当時、買取資金は150万しか持ってなかったんです。
200メートル先に行けば年商10億の質屋さんがあるわけですよ。かたやこっちは150万の買取資金しか持ってなくて、これでは戦えないなと。
その質屋さんが買われる商品というのは、質屋さんに買ってもらおうと。質屋さんが断るような商品を我々が買ったらなんかそこに隙間があるんじゃないかと思い、そういうコンセプトでどんどんつくりこんでいったんですね。
チラシにこの商品はこの値段で買う、しかもボロボロ・クタクタしか買わないみたいな。綺麗なものは質屋さんに持っていってくださいぐらいの勢いですよ。そんな感じで広告をだしたら、その広告を見て利用してくださるお客様は100%折り合う訳ですよ。
当時は、(ボロボロ・クタクタな商品は)選択肢が捨てるかエコリングに売るかしかなかったんです。それであれば売らないで人にあげると言われるじゃないですか。そのもらった人が結局は(エコリングに)持ってくるんですよね。
それぐらい逃げ道のない商品ばかりを僕らは買っていました(笑)。
【ナレーター】
エコリングを牽引する桑田は、高校時代、ある言葉に出会ったことが今につながっていると振り返る。
【桑田】
「鶏口牛後」っていう言葉を漢文の時間に習ったんですね。「牛の尾になるよりも鳥のとさかになりなさい」という言葉なんです。
そもそも僕の家庭は母子家庭だったんで、小学校5,6年生の時に、勉強を一生懸命していたんですが、その時一緒に勉強していた人たちってみんな私立中学校に行ったわけですよ。僕だけ公立に行ったんですよね。
「なんで公立」と母に聞いてみたら「お金がないからや」と言われて。そうか、やっぱりお金って大切やとそういう感覚があって。
それが高校になって「鶏口牛後」っていう言葉を聞いて、やっぱり小さな商売でも経営者としてお金持ちになりたいというのは根底にありましたね。
【ナレーター】
ビジネスをしたいという想いから大学へ進学するも、自身が思い描いたビジネスは法律上の問題でできないと知り断念。
夢が実現できないことから退学も視野に入れる中、桑田が進んだ次の道は飲食店のオーナーだった。
【桑田】
当時はバブルですから出資者みたいな人がいっぱいいるわけですよ。
その時オーナーがたまたま買ったビルの一角が飲食店だったので、そのオーナーの考え方は、当時2階を買ったんですけれど、5階建てのビルで1フロアずつ買っていって建て直して大きいビルにすると。
ですので、5フロアすべて買うまでの間、営業してみないかと言われて。興味があったからやりますって言ってやりましたね。
大学自体ドロップアウトしようとしてるわけですからね。就職するような感覚とやっぱり独立したいというこの気持ちがあって、これはチャンスだと思ってやりましたね。
【ナレーター】
景気の影響もあり、飲食店の売上は順調に推移。しかし、ある偶然をきっかけに桑田の運命は大きく変わることとなる。
【桑田】
たまたま僕が住んでいる近所に居酒屋ができまして。そこの出来たての居酒屋で夕飯を注文するわけですね。
そしたらそこの店員のお姉さんが見た目がボロボロの料理を出してきたんですよ(笑)。例えばサンマですと網の上に乗っけるじゃないですか。サンマが網にくっついているわけですよ(笑)。
もともと僕は居酒屋で料理をつくっていましたから、「こうやってやればくっつかないよと」いうように毎日のように教えていました。
1か月ほどしたら、その店員のお姉さんのお父様がやってこられて。「お前、料理を教えてくれているらしいな」と。「いや、ちょっとあまりに酷かったんで」というようなお話をしたらたまたまその人が大和市の市会議員だった。
「今すごい利益が上がっているでしょう」と言われて「はい、上がっています」と答えると「座間工場がもうすぐ潰れる」と言われて。
工場がなくなることで顧客がいなくなると思って、その情報を掴んですぐに売却しました。それで、そのお金で留年した二年の学費を払って復学したんですね(笑)。
なぜ復学したかと言うと、よくお店に来ていたサラリーマンの人たちが目の前でお酒を飲みながら「大学だけはは絶対卒業しとけ」と僕に教えてくれたんですよ。そんなものなのかと思って、それで復学しました。
【ナレーター】
復学後、公務員試験に見事合格し郵政省に入省。当時の印象深いエピソードとは。
【桑田】
社会に出て働いていた時の感覚と公務員の感覚は全く違いましたね。
取引会社の見積書の金額が決まっている状況で支払いをする時に、端数をまけさせたんですよ。「何万か引いてもらいました」と事務所に帰って伝えたら、とても怒られましたね。
「こっちは予算があって、予算組して予算を確保して、担当者がそのままのお金を支払うと話をしているのにお前がそこに入り込んで値段を安くしてどうすんねん」と。
公務員は予算をこの値段ですって言った“この値段”のままで話を進めないといけないんだと。「えーっ!?」と思って。そこの感覚の違いには驚きましたね。
経営者プロフィール
氏名 | 桑田 一成 |
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役職 | 代表取締役社長 |
生年月日 | 1968年12月19日 |
出身地 | 兵庫県 |
座右の銘 | 照于一隅 |
愛読書 | ベン ホロウィッツ著「HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか」 |
尊敬する人物 | 稲盛和夫 |
著書 | ・桑田一成 (著), 今谷鉄柱 (著)『エコリング創業物語』想伝舎ビジネスマンガシリーズ ・桑田 一成 (著)『経営者のみなさん! 準備できていますか?』出版文化社 |
平成12年6月 郵政省を退省の後、平成13年5月 インターネットコンテンツ販売会社である有限会社アイ・ビー・エスを開業。
その後、平成15年4月 有限会社エコリングに社名変更し、平成17年6月 株式会社エコリングに組織変更して現在に至る。
会社概要
社名 | 株式会社エコリング |
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本社所在地 | 兵庫県姫路市飾磨区恵美酒213 錦ビル 本社 |
設立 | 2001 |
業種分類 | サービス業 |
代表者名 |
桑田 一成
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従業員数 | 521名(2024年1月時点) |
WEBサイト | https://ecoring.co.jp/ |
事業概要 | (1)リユース業(ブランド品・宝飾・古美術を中心とした古物全般)(2)買取専門店の運営およびFC事業 (3)自社ECサイトの運営(BtoB、BtoC) (4)その他インターネット販売および業者間取引 |